欠落の代償−04page
誰もが心臓が締め付けられるように感じる程の冷たい意思に満ちた空間。
それを生み出したのは狭霧の凍てついた瞳。
だが、その瞳を前にしても筒井は表情を変えない。
「で、どうして逃げたの? どうせなら参加すれば良かったのに」
射るように筒井を睨む狭霧。
10秒前後、そうしていた。
「私は」
そこで一呼吸入れて続けようとした瞬間。
「さーぎりっ、みっけったぁ!!!」
容赦のないショルダーアタックが脇の下を直撃した。
みしり、と骨が鳴る音が狭霧の耳に確かに届いた。
「あれ? 狭霧、どうしたの? 大丈夫?」
「ぜん…ぜん、大丈夫じゃない」
恨めしそうに未だに抱きついたままの真理亜を見る。
「あれ? 筒井君? いつの間に?」
「いや、最初からいたんだけどなぁ」
頬をかいて苦笑する筒井。
それから二人に笑いかけて、
「そろそろチャイムなるよ?」
「うんっ、ほら狭霧。背中丸めてないでスタンダップスタンダップ」
「誰のせいだと…」
よろよろとよろめく狭霧をおいて筒井は一人先へいく。
だが、ふと二人を振り返り
「あ、そうそう」
「なに?」
「夜、無闇に出歩くのは関心しないよ」
一瞬だけ、表情が変わった。笑っている事には変わりはないが、邪気がないといった風から獲物を狙うネコ科の動物を思わせる。
「なにせ最近、辻斬りが出るからね」
そう言葉を残して、階段を昇って見えなくなった。
完全に見えなくなったのを見計らったようにピカリと真理亜の目が光った…気がした。
「ねぇねぇ、狭霧。筒井君と何を話していたの」
「…真理亜。チャイム鳴るって」
「それはどうでもいいから」
「どうでもいいの?」
「いいの! で、何。何の話? 何で筒井君が狭霧が夜出歩いている事知ってるの? あたしが知らない事を。なんでなんで?」
無邪気をよそおっているが、目が笑っていない。
極めて危険な目。
こうなったら何をするか分からない。
出会った時から彼女はこうだ。
彼女は欠けていないにもかかわらず、誰よりも予想がつかない。
…だからこそ、
「あー、また逃げるー」
「ほらっ、チャイム鳴ったって」
誤魔化すように声を張り上げる。
確かに予鈴が鳴っていた。
欠落。
気付いたら当たり前に見て取れていたそれ。
自分以外には見えないのだという事実に気付いたのはいつだったか。
彼女にも思い出せない。
ただ、両親はもしかしたら彼女自身よりも先に気付いていたのかも知れない。
だからこそ何かと理由をつけては遠ざかってばかりいたのだろう。
人の内側にある欠けた何かを例えるのに欠落と名付けていた。
まだ小学生になったばかりの頃に新聞で見つけた言葉だ。
欠落はどんな種の人間にでもあった。
だが、誰にでもある訳でない。
その基準がどこにあるのかは彼女には分からなかったが、欠けた人間はどこか正常と呼ばれる状態から外れているという事はまだ幼かった頃の彼女にも理解出来た。
欠落があるから外れるのか。外れた人間だから欠落があるのか。
そして、自分もまた外れた存在である事を彼女は自覚していた。
だからこそ、ずっと知りたかった。
自分の欠落がどのようなものか知りたかった。
そう、彼女は自分自身の欠落だけは見つけられなかったのだ。
代わりに彼女は欠落のある人間を捜し続けた。
求め続けた。
なぜなら他人の欠落を通じて自分の欠落が理解出来るような気がしたからだ。
新たな欠落を見つける度にそれを自分の心に映した。
これこそが自分の欠落だと。
それは単なる自己満足。
だが、それで良かった。
それだけで満たされた。
そう、あの男に出会うまで。
たった一つの出会いが何もかもを狂わせてしまった。
瓦解したそれまでの価値観から新たに生まれた欲求。
知りたい、ではない。
為りたい、だ。
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