欠落の代償−22page






 自分が特別なのだと気付いたのはいつだったか。
 教室に戻る道すがらそんな事を考えていた。
 きっかけは”焼けた殺人鬼”だ。
 だが、もしもあの出会いがなければ自分はごく普通に生きていけたのか?
 ありえない。即座に自分の考えを否定する。

 …始めは腹立ち紛れの仕返しだった。
 つまらない事を根にもたれて、下らないイヤガラセをする奴を脅かそうと刃物をちらつかせただけだった。
 どうせ、適当に脅せば黙る程度の根性しかないだろうとタカを括って。
 まさか、相手が逆上して掴みかかって来るとは予想していなかった。
 だから、あれは事故だ。故意ではない。
 勝手に刃物に刺さりに来て、痛みに喘いで壁に頭をうってそれっきり意識が戻らなかったのも、偶然にそうなっただけだ。
 そして、自分はとりあえず用がなくなったのでその場を離れて、偶然にも目撃者も証拠も残っていないので犯人は見つからないままだった。。
 警察がいつまでたっても来ない以上、彼は未だに植物状態で入院しているのだろう。
 それともすでに死んでしまったか?
 あれはあくまで偶然が続いただけの事。
 だけど、数年が過ぎた今になって思う。
 なぜ、自分はあの時、刃物を持っていたんだ?
 いつも持ち歩いていた訳ではなかった。”焼けた殺人鬼”が使っていたナイフのレプリカ。中学生にとっての大金をついやして手にいれた宝物だ。見つかれば取り上げられるだろうと大事に隠していたはずのものをなぜわざわざ学校に?
 でも、本当はその答えは始めから分かっていた。
 筒井幸太という人間は知っていたからだ。
 自分はその時、目覚めると。
 相手が逆上するであろう事、自分が誰にも捕まらないであろう事。
 偶然と言う名の必然が自分を守るであろう事を知っていた。
 そうだ、すれはすでに決まっていた事が予定通りに進んだだけだ。
 自分は殺人鬼になるのだ。
 だから、殺人を行うという行為において全ての偶然が自分に味方するのだ。
 ただ、”焼けた殺人鬼”という自分の先を行った存在がいたに過ぎない。
 だが、ならばなぜ誰も殺せない?
 今まで何人もの人間を傷つけて来た。
 肉を貫き、肉を裂く感触。
 いつでも思い出せる。
 だが、肝心な所でいつも興味が消えてしまう。
 心臓を突く瞬間、首筋に刃を突き立てる瞬間、腹を裂く瞬間。
 世界は殺そうとする行為に味方をするのに、殺す一瞬前にその意思を奪いとってしまう。
 酷い話だ。これでは飼い殺しではないか。
 自分は殺したいはずなのに。
 そして、徐々に他人を傷つけるのをやめていった。
 当然だ。
 いくら捕まらないといっても傷つけるという行為には全然興味ないのだ。自分が興味があるのはあくまで殺すという事だけなのだ。

「だったら意外と…、普通に生きる事も可能だったかも知れないな」

 教室の戸の前で誰も耳にする事のない独り言が洩れる。
 再開された無差別な殺人未満の行為。
 きっかけはこの戸の向こう側の空間。
 ずっとそばにいたのだ。
 自分と同じ、殺人鬼になるべくあの”焼けた殺人鬼”と出会ったクラスメイト。
 嶺本狭霧。
 彼女がそうだと知った時、全てが動きだした。
 もう止まらない。
 きっと、終着点まで辿りつく。

 そうそう。あのコ達にも感謝しないと。

 クスッと小さく筒井は笑った。
 彼女達の言い合いを耳にした事から始まったのだから。





「どうして分かってくれないのよっ」

 ヒステリックな声に入り口を開こうとした手が止まる。
 何事だろう?
 筒井は眉を潜める。
 すでに本日最後の受業が終わって1時間は過ぎている。
 どの部にも属していない生徒はとうに下校している時刻で、実際に筒井も一度校門を出たのだが、教室に借り物の教科書を置き忘れていた事に気付いて引き返して来たのだ。
 声が聞こえたという事は教室の中にだれかいるようだ。それも少なくとも二人。
 …いや、気配からしてもっといる。
 どうりで職員室に教室の鍵がなかった訳だ。
 てっきり最後の生徒が閉め忘れただけだと思っていたのだが。
 窓からこっそりと覗く。
 別にやましい事とは思わなかったが、さっきの声からするとどう考えても言い争いをしてると思われるからだ。

(ふぅん…)

 中にいるのは全員女子生徒で、皆顔には覚えがあった。
 構図としては1対多のようで一人を半円を描くようにして5人で囲っている。
 さてどうしようか?
 彼にとっては女子の言い争いなどどうでも良いことだ。
 獲物としてならともかく、クラスメイトとして興味をもてる他人などいない。
 かといって、無警戒に教室に足を踏み入れるのもどうだろう?
 変に巻き込まれるのもごめん被りたい。

(いじめ…という奴ではなさそうだけど)

 囲まれているのは清里…確か清里真理亜という名前だったはず。
 そして、取り囲んでいるのは…こちらの方は名前をほとんど忘れてしまっているが、そのうちの一人を彼女の仲間達がユキと呼んでいたのは覚えている。
 まぁ、どうでもいい人間だから、名前を覚えていようがいまいが大した問題ではないはず。

「あんな奴と一緒にいたら、ロクな事にならないってっ! どうして分からないのっ」

 必死の叫びに清里真理亜は曖昧な笑みを浮かべて微かに首を傾げた。

(あんな奴…か)

 恐らくそれは嶺本狭霧の事だろう。
 彼女の名だけは興味が多少なりともあったので覚えていた。
 彼女は何か違う。
 それは恐らく筒井以外の人間も感じているのだろう。
 清里真理亜を除いた誰もが彼女に関わろうとしない。
 噂は彼も聞いていた。
 中学時代に野良犬や野良猫を何匹も殺していたとか。
 真偽の程はさだかではないが、彼女にはそれを真実と思わせる何かがある。
 強いて言えば空気だろうか?
 よく受業をサボる彼女だが、いるのといないのとでは教室の雰囲気が違う。
 教師達は何かと彼女を気にかけて受業に出させようとしているが、それは教師としての体面を保つ為だろう。
 勘の鋭い人間なら彼女の持つ危うさに気付くはず、恐らくユキという少女もその類なのだろう。

「ロクな事ってなにかな?」

 清里真理亜が首を傾けたまま聞く。
 苛立たしそうにユキが返す。

「清里さん。本気で言ってるの?」
「うん、そうだけど」
「じゃぁ、言ってあげるっ」

 バンッ! と机に手の平を叩きつける。
 仲間達がビクッと肩を竦ませたが、清里真理亜は平然としたままだ。

「殺されたらどうするのっ」

 …今なんて言った?
 筒井は耳を疑った。
 たかだか、高校生同士の会話で出る内容ではない。喧嘩の脅し文句といった感じでもない。
 目を懲らすが、清里真理亜は表情を一向に変えない。

「分かってるの? あいつはねっ。あの”焼けた殺人鬼”に会って見逃してもらったような奴よっ!!」

 ドクンッと胸が高鳴った。
 喉がカラカラに乾く。
 まるで空気が薄くなったかのように息苦しい。
 こんな感情は久しぶりだ。
 そう、まるで初めて人間に刃物を向けた時のようだ。
 今、あの子はなんて言った?
 ”焼けた殺人鬼”と言ったか?
 あの人の事を言ったのか?
 ああ、なんて事。
 すぐ近くに同類、いや同族とも言える人間がいたのに気付かなかったとは。
 無意識に鞄に手が伸びる。
 その中には彼の宝物とも言える”焼けた殺人鬼”が使っていたナイフのレプリカがある。
 ドクン、ドクン、ドクン。
 ドクッ、ドクッ、ドクッ。
 心臓が早鐘を打つ。
 止まらない。止められない。

「…だから?」
「だから、て…え?」
「話はそれで終わりかな?」
「なっ。清里さんっ。わたしは真面目に話しているのよっ」
「ごめんねぇ。真面目とかじゃなくて。あたしねぇ、狭霧じゃなきゃだめなんだぁ」

 なおも食ってかかろうとするユキを手で制して清里真理亜が言う。

「それにもし狭霧にだったら殺されてもいいなぁ、なんて」

 その言葉にユキを含めた仲間達全員が言葉を失っている。
 と、そんな彼女達をおいて清里真理亜がこちらの方、つまりは扉の方へ来る。
 教室を出るつもりなのだ。
 我に返って筒井は窓から体を離した。そして、間髪入れずに廊下の曲がり角に身を隠す。
 ほぼ同時に清里真理亜が教室から出てくる。ユキの呼び戻そうとする声が聞こえたが、彼女はそのまま昇降口の方向へと消えていった。

「ははは、ははははは、ははははははははは」

 意味不明な笑い声が洩れる。
 そんなに大きな声ではなかったのでまだ教室にいるユキ達には聞こえないだろうがどうでも良かった。
 イタ、いた、居た。
 もう一人居た。
 嶺本狭霧。
 あの人と出会った人間。
 彼女はすでに殺しているのだろうか?
 それとも、自分のように誰も殺せていないのだろうか?
 噂では野良犬などは殺していたそうだが?
 いや、どっちでも良い。
 彼女だ、彼女しかいない。
 こんな偶然あるものか。
 ”焼けた殺人鬼”がすでにいない今、殺せないという自分の壁を破ってくれるのは彼女しかいない。
 こじつけ? 妄想? 馬鹿なっ!
 自分には偶然なんて必然と同義語だ。
 いままで何人の人間を傷つけてきた?
 これがただの偶然で終わるのならとっくに警察に捕まり、少年院か病院送りだ。
 つまりは全て必然だったのだ。
 自分が嶺本狭霧と同じクラスだったのも、今日この話を聞いてしまう事も。
 ああ、そうだ。
 教科書を借りたのも、借りるハメになったのも、忘れて取りに戻ったのも決まっていたのだ。
 やはり自分は殺人鬼だ、そうなるように定められているんだ。
 自分は特別なんだ。

「はははっ、はははははっ、ははっ」

 口の端からだらしなく涎を垂らしている事すら気付かずに筒井は笑い続けた。
 それは教室からユキ達がいつの間にかいなくなっているのに気付くまで続いた。
 この時が、確かに始まりだった。


 ただし、終わりへの。






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