ダークプリーストLV1 第一章−第01話






 降りしきる雨は止む気配はない。
 時折、稲光が朽ちた森を照らす。
 外套を叩く大粒の水滴が、まるでのしかかるように思える。
 それでも、彼はただひたすら進んだ。否、探していた。
 ヴィジョン。神に仕える司祭に稀に与えられる啓示。
 確かにここに何かがある、あるいは何かがいるはずなのだ。
 彼は荒い息をつく。
 もう時間の感覚も怪しくなっている。
 だが、引き返すという選択肢はない。それが彼の信仰なのだから。
 また稲光が轟音と共にきた。

「っ!!」

 彼は一瞬の稲光の中に見つけた人影に駆け寄った。
 それは見た事のない衣服を身につけた少女だった。
 口元近くに手を当てる。
 生きてる。手が彼女の吐息を伝えてくる。そして、同時にその肌の冷たさも。
 まずい。急がないと命がない。
 彼は外套で少女を包んで抱き上げた。

「?」

 少女の手が何かを掴んでいた。
 地面の枝葉に紛れて気付かなかったが、それは少女の背丈ぐらいの木の棒だった。
 それが何かは分からなかったが、彼はそれを少女の手から取り上げ、落とさないよう握りこんだ。
 さぁ、急ごう。
 彼は来た道を戻り始めた。
 迷う心配はない。
 ここからでも微かに見える教会。
 そこが本来の彼の居場所だった。





 道場内は緊迫した空気に支配されていた。
 耳を突くのは棍を高速回転させる風切り音。
 まどかは棍を回しながら、目の前で微動だにしない師範代に、心の中でため息をついた。
 まだ、攻めてくれればごまかしが効くかも知れなかったのに。
 まどかは棍の回転を一段階上げた。

「せやっ!」

 まどかが仕掛けた。
 棍の動きが回転から複雑な曲線へと変化する。
 他の門下生ならこの時点で終っていた。
 だが、相手が違う。まどかの師匠とも言える師範代だ。
 見事に攻撃を受けきる。
 そして、同時にそれまで止まっていた彼の棍が動き出した。
 弧を描き円を描き、そして線を描く。
 石龍寺流棒術の基本にして極意。
 2段突き、そしてそこから派生した横なぎの一撃をまどかは舞うような足運びでかわしていく。
 そして、線は弧に帰る。
 再び石のように師範代が動きを止める。
 本来、石龍寺流棒術では円と呼ぶ棍の回転動作が攻防ともに基本となっているのだが。
 後の先に徹しているのか。
 勝ちに来ている。痛い程良く分かる。

 でも、それではダメなのだ。

 まどかは棍の回転をそのままに支点を上下に揺らし始める。
 見学の門下生の一部からどよめきが聞こえる。
 やるしかない。
 揺れる円から繰り出させる線撃はまるで蛇行するがごとく、相手の目に映るはずだ。
 だが、師範代はそれを的確に弾く。

 そう、この後っ

 静から動への一瞬の移行、見事なものだ。
 恐らく師範代が行き着いた答えだ。
 選択としては正解なのだろう。
 だけど……。

「それまでっ!!」

 この石龍寺道場の師範であるまどかの父親の声が響き渡る。
 師範代の棍の先がまどかの喉下で止まっていた。
 まどかは息を吐いて棍を下ろし、師範代も突きつけていた棍を下ろして、それぞれ定位置に着く。

「ありがとうございました!」

 礼の後、門下生達の盛大な拍手が二人の闘いを称えた。
 だが、まどかの心は冷え切っていた。
 師範代が自分の座位置である師範の横に行こうとまどかの脇を通りすぎる。

 いつも顔を立てて頂きありがとうございます。お嬢様。

 その囁きは嫌味でもなんでもないのだろう。
 だからこそ、心に突き刺さる。
 心から尊敬し、その強さに憧れていた彼を。いつからだろう、試合で手心を加えるようになったのは。
 まどかは座位置に戻ろうとはせずに道場から出て行こうとした。

「これ、まどか。どこへいく」

 静止する父に振り向かずに言った。

「汗を拭きに」
「……そうか。いいだろう。行って来い」

 父にも当然見破られているだろう。百も承知の上での嘘だった。

「そうそう、今日の修練が終ったら、着替えてからワシの部屋へ来い。話がある」
「どの話ですか? それとも新規のお方ですか?」

 まどかは皮肉を込めて言った。

「なんじゃと?」
「どうせ、見合いの話でしょう? わざわざ私の意志を確認するまでもないのでは?」

 そこまで言ってまどかは道場を出た。
 廊下に出ると夜風が火照った身体に気持ち良かった。
 まだ父親が何か言っていたが、耳を貸さなかった。
 始めは師範代とだった。だが、まどかの技が師範代を超えていると知るや、知己の他流派の有望株と次々に見合いをさせるようになった。
 棒術など柔道や空手と違ってマイナーな武術だ。
 師範として後継を案ずる気持ちは理解しないでもないが、自分の娘を道具か何かと勘違いしてはいないだろうか?
 なにより……。

「まどか、どこへ行くんだ」
「兄さんこそ、そんな格好で道場に行くんですか?」

 全身汗まみれで稽古着が着崩れている。

「決まってるだろう。凡人は天賦の才を持ってるお前と違って、何倍もの修練を積まないと認めてすらもらえないんだ」
「……」

 言葉もない。ただ技が劣っているというだけで、まどかの兄は父から見放されている。
 その過剰なまでの努力もただ父に認められたい一心なのに。

「目障りだ。どけっ」

 まどかは素直に道を空ける。
 道場に向かって廊下を行く兄の背中を見ると悲しくなった。
 まだ幼かった時は、師範代の元で肩を並べて修練に励んでいた。
 いずれ兄が師範を継ぐものと思い込んでいて誇らしかった。

「天賦の才……か」

 呟いてまどかも歩きだした。
 広い庭まで来ると廊下を降りて、石で囲んだ池の前で立ち尽くした。
 ただ一心に、ただ真っ直ぐに打ち込んできた。
 高校も卒業間近だというのに、友達一人すらいない。
 同年代の女子がするような遊びも知らない。
 半生を棒術だけに捧げたと言っても過言ではないと思っている。
 その結果がこれだ。

「こんなものの為にっ!」

 衝動的に棍を池に叩きつけようとして、しかしその寸前で手が止まる。
 手放せる訳がない。棍はまどかの半身。今まで歩んできた道の証。
 思わず涙が零れそうになったがぐっとこらえる。
 よくある事だ。そうよくある事なのだ。まどかを取り巻く世界では。
 気持ちを落ち着かせる為に大きく息を吐いた。
 いっそ、この世界から消えてしまえたら……。

「?」

 まどかは妙な事に気付いた。
 池の表面に波紋が次々と出来ている。

「雨?」

 空を見上げるが、夜空は月に微かに雲がかかっている程度で、そんな気配はない。
 なによりも、稽古着も肌も濡れていない。
 にもかかわらず、池の波紋の数は増してゆき、同時に波紋の中心を飛沫が跳ね上がっていく。

「な、なに? なんなの?」

 もはや池だけではなかった。
 池を囲む石も、土が露出した地面もまるで見えない豪雨に打たれているような音と振動を伝えてくる。
 身の危険を感じて廊下に引き返そうとしたその時、まどかの周囲から世界が消えた。

「?!」

 落ちていくような感覚の中、意識が急速に遠のいていく。
 掴みようのない状況の中、棍だけはぎゅっと握り締めていた。






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