四分割の魔女−第十一章 −空の裂け目−






「見えて来たぞ」

 双眼鏡を覗きながら、御者台から竜車内の魔女達に呼びかける。
 もっとも、彼女達ならすでに気付いていただろうが。
 果てなく続くように思われる金属の壁の連なり。
 政府の公式な名称は流刑施設アビス。
 上空からみれば六角の壁で形成されたそれはいかなるマナも吸収する素材で出来ている為、どのようなマナクラフトで脱走を試みようと不可能と言われている。
 しかし、それが嘘である事をフェンはすでに知っている。
 アビスがマナを吸収しているのではない。アビスこそが、その内に封じ込んでいるものからマナ吸収を阻んでいるのだと。
 そして、それとてすでに限界なのだと。
 フェンは双眼鏡を下ろして周りを見渡す。
 一面、不毛の大地。岩と砂だけが延々と続く黄色の絨毯。なによりも魔女達と共に旅するようになって目覚めたウィザードの因子、緑(えにし)の魔法使いとしての力が、この地のマナ欠如の凄まじさを感じさせる。
 同じ砂漠でも、アビスから離れればそこで生きる生命がある。それが、ここにはない。
 地獄。大陸にはいくつかの宗教があるが、どの宗教の教えにも死後の世界に関する下りがあるが、共通しているのは地獄という概念だった。
 罪深き魂が堕ちる場所。その描写は宗教によって様々で、常に燃え盛る炎で焼かれるというものや、針と刃の大地をさ迷うというもの。人の顔をした鳥に肉を永劫についばまれるといったものもある。
 だが、フェンは思う。
 この生命が欠けた場所こそが真の地獄ではないのか、と。

 こんなところへ、オレは囚人を運んで来ていたのか……。

 それが仕事であり、相手は流刑の判決を下された囚人。それでもフェンは胸に重苦しいものを感じた。

「フェンお兄ちゃん?」

 竜車の格子窓から何度もアインスが顔を覗かせる。恐らく背が足りずぴょんぴょんと跳んでいるのだろう。

 まったく、勘の良い。うかうか悩んでもいられない。

 そう思いつつも、口角が自然と上がる。

「舌を噛むから大人しくしてろ。時期に最終地だ」
「うん、分かった」

 出入口。いや、入り口の場所はすでに何度も訪れたので知っている。
 フェンはそこへ向けて竜車を走らせた。



 そこで裏切りが待ち受けている事など予想もせずに。





 あらかじめ知っていなければ見逃しそうな目立たないアビスの門。そこに備え付けられたグローミングリーダーに、フェンは己のグローミングカードを翳した。
 門が重苦しい音を立てて左右に開いていく。ほとんどの政府施設ではこの手のマナクラフトで音を立てるものはフェンの記憶にない。

 そんな事に気にかける余裕も、必要もなかったって所だろうな。

 門の内側。そこにはフェンも入った事はなかった。護送屋の時は囚人を中に入れて門を閉じるだけだった。
 竜車内で物音がする。格子窓から中を見ると魔女達が竜車を降りていた。

「おい?」
「念の為に、竜車はここにおいて行きましょう。歩きじゃ時間がかかるけど、フェンだってテトラ達を危険な目にあわせたくないでしょう?」
「ん、まぁな」

 納得してフェンは御者台から降りた。
 そして、フィーアに確認する。

「入るのはいいとして、出られるんだろうな? 一応流刑地なんだぞ、ここ」

 内側から出られたとして、乗り物と地図か土地勘がなければ生きて戻れないだろうが、脱走者がいれば、そこらに白骨死体が残っているはずだ。

「門を閉めなきゃいいじゃない」
「あ、そうか」

 肩を竦めて、フェンは竜車を門の脇に誘導した。
 テトラ達は空気を読んでいるのか、不安そうにフェンを見る。

「よーしよし。心配するな。ちゃんと返って来るから。おとなしくしてるんだぞ」

 二匹の頭を撫でて門の内側に入る。フェンに魔女達が続く。
 左右に続く壁の内部には入れないらしく、通路は真っ直ぐしかなかった。
 通路の終わりには、アビス、すなわち六角の壁の内部へと、通じると思わしきシャッターとレバー。そして、五つのバックパックが床に並んでいた。
 フェンがバックパックの一つを確認すると、中には水や食料と思わしきものが詰め込まれていた。
 壁に開閉するような仕組みが見受けられる。どうやら、ここから排出されたらしい。

「一応、死刑じゃなく流刑だからか。人数は入る時にカウントされたのか?」
「さぁ? 何にしろ、私達には必要ない。必要ないわ」

 ドライが無造作にレバーを引き下げる。
 軋む音を立てて、シャッターが上がっていく。
 壁の内側の外側と大して違わない。岩と砂ばかりの砂漠。
 そう思っていたフェンはシャッターが上がりきった時に声を失った。

「なんだ、あれは……」

 空の遥か高みにそれは存在した。例えるなら布地の破れ目、岩の裂け目。
 夜のような漆黒の中に煌々と紅の傷が明滅している。
 アビスの外側からはあんなもの見えなかった。そんなバカな事あるのだろうか?
 思わず、足が進む。一歩二歩と。

「ストップ、フェン。それ以上進むとシャッターが下りるわよ」

 言われて、通路の外に出掛かっている事に気付いた。止めたフィーアがミスティックコードをシャッター周囲に走らせる。

「オーケー。もう大丈夫。シャッターの機能を停止させたわ」

 フェンは空を見上げながら問いかける。

「なんであんなものが外から見えないんだ?」
「勿論、この封印施設のせいよ。封印対象がこの世界にあらざる存在のせいで、封印の外側からは見えないのよ。そして外からも見える時が来たとしたら……世界が終わる時ね」
「……入り口とこっち、両方とも開けて大丈夫か? 影響が外に漏れないか?」
「影響はあるでしょうね。もっともそれが問題になる前に終わりにするつもりだけど」

 フィーアもフェンに倣って空の裂け目に目をやる。

「あれがそうなのか?」
「ええ」

 アインスがフェンの横に並ぶ。

「かつてメンターだったもの」

 ツヴァイはその横に。

「無限にマナを異次元へと吸い込む存在」

 ドライはフェンを挟んでアインスの反対側へ。

「切り裂かれた空の裂け目。すなわち、クレヴァス」

 フィーアがフェンの前に出た。

「あれが私達の目標。私達の果たすべき使命。そして――」

 フィーアはフェンに向き直った。

「旅はここで終わりよ、フェン」

 問い返す前に、全身から力が抜けた。膝が落ち体が崩れ落ちる瞬間、フィーアの手にミスティックコードが散っていくのが見えた。

「なんの……真似だ」
「だからフィーが言ったよ。旅の終わりだって」

 一度、フェンに笑顔を見せてから、アインスはフィーアに並んだ。その笑顔は、フェンの知っているものに比べると固かった。

「ここから先はあたし達だけの問題。だからあたし達だけで行く」

 ツヴァイは強張った微笑みを残してアインスに続く。

 違うだろ。お前はそんな笑い方する奴じゃないだろ!

「あなたはヤットじゃない。ヤットはもういない。フェン、あなたは生きるの。生きるのよ」

 不吉な事言ってんじゃねぇ! こっち向けよっ、ドライ!

「身体の痺れは時期に治るわ。フェン、ごめんなさい。怒っているでしょうけど、皆で決めていたの。私達だけで行くって」

 フィーアが薄く微笑んでいる。ただ、その目尻に涙がうかんでいた。

「第二収容所で所長に依頼が終わったと告げれば、報酬が貰えるわ。今度はきちんとしたお金よ」

 彼女は目尻をふいて、両手を合わし広げた。それに合わせてミスティックコードが展開される。その光景は知っていた。
 かつて、ストームワームに挑んだ時の移動用魔法陣。

「アイ、流して」
「うん」

 アインスが放ったマナにより魔法陣が輝きを増す。そして、それに乗る魔女達の身体が浮き上がった。――フェンを残して。

「さようなら」

 四人の内の誰が言ったのか。その言葉を最後に、魔法陣はクレヴァスの真下へと向かうようにまっすぐに飛んでいった。





 どれ程の時間が経過しただろう。
 数分? 数十分?
 彼女達の誰にも分からなかった。ただ、その時間は永遠にも続くかと感じられた。

「フィーア。来るわ」

 ドライの言葉にフィーアは頷いて魔法陣を止めて着地する。そして、魔法陣を破棄する。
 本当は移動の必要はほとんどなかった。元よりアビスの内側はクレヴァスの領域。世界を滅ぼさんとする存在に対してアビス内の距離など、砂漠の砂一粒ほどの距離に過ぎない。空を見上げると裂け目から血のようにどろりと、液体のごとく降りてくる。それは地上で泥のように広がったかと思うと、一点に収束し人の姿をとった。
 魔法文明時代のローブを身に纏ったその姿は魔女達のよく見知った姿だった。

「お久しぶりです」

 四人一同に頭を下げる。

「おお。久方ぶりだなツェーンよ」

 その声はまるで人間そのものだった。そう、かつて稀代の魔女ツェーン=タウゼントがメンターと呼んでいた頃と同じ。
 彼は四人を見渡した。

「これは何かの趣向か? 過去を抜き出したようだが」

 仮にも時空の二つ名を持つ者。いや、持っていたモノ。魔女達の状態を一目で把握したようだ。
 フィーアが代表して答える。

「いえ、予定外の事故によるものです。メンター」
「おお。まだ私をメンターと呼んでくれるのかね」

 彼は面映いような表情をする。
 その言葉に魔女達は一斉に頷いた。

「どうであろうとも。我々の、稀代の魔女のメンターは。ヴォイド=ニル、あなたをおいて他にいません。そして、だからこそ」

 フィーアの言葉は血を吐くようだった。

「あなたを滅ぼします。メンター」





「っざけんな」

 辛うじて声が出る程度。たしかに身体の力は少しずつもどっていっているが、大人しくそれを待っていられるものか。

 ここまで巻き込んでおいて、何が『さようなら』だ。バカヤロウッ!!

 怒りが身体を突き動かす。感情だけでは現実は変えられない。フェンは身を持ってそれを知っていた。幼少時、黒の盗賊団に襲われた時に。だから、力の入らぬ身体で魔女達を追おうとしなかった。
 悔しさが身体を突き動かす。やるべき時に行動を起こさないと後悔する。フェンは身をもってそれを知っていた。ミリヤンに、第二の母親に感謝の言葉を伝えられなかった時に。
 だからこそ、今出来る事をする。
 渾身の力でリングブレイドを引き抜き、アビスの外へと繋がる扉へと向ける。

「ワイヤー」

 エゴフォトンの糸が扉の横の壁を貫通する。そしてエゴフォトンの糸のたるみがなくなり、ピンと張り詰めると次にフェンの身体を扉へと引きずり始める。フェンの意思でワイヤーが短くなっているのだ。壁に近づくにつれてスピードが増していく。床が滑らかだからまだ大丈夫だが、岩の地面なら大怪我を負っているだろう。
 ワイヤーモードを解除するのと、壁に激突するのは、ほぼ同時だった。
 咳き込むと口の中に、苦い鉄の味が広がる。吐き出すとそれは血だった。
 もともとリングブレイドの機能は戦闘用のもの。本来、敵を引き寄せるワイワーモードの勢いは確実にフェンの身体を痛めつけた。

「たくっ」

 よし、声は出る。

「……テトラ、ペンタ。……来い」

 叫べない。声はかすれていた。でも、届くと信じていた。
 あいつらは家族だ。何年も一緒に生きてきた。届かないはずがない。
 そして、フェンの耳に微かに聞きなれた鳴き声が聞こえてきた。

「覚悟……しろよ、あいつ等。オレを……置いていったツケはでかい、ぞ」





「これが五百年の研鑽の成果か? ツェーンよ。いやフィーアだったか」

 自らの腕についた傷口を見て、感心したかのようにヴォイドは言う。その傷口からは血は流れず、ただ空の裂け目同様に紅に明滅している。
 彼の正面、背後、左右。魔女達は包囲していた。荒い息をつきながら。
 一番の問題はマナドレイン現象だった。それはフェンという縁(えにし)の魔法を引き継ぐものの発見により解消した。
 次の問題は攻撃手段だった。世界に属さないものに転換した存在を傷つける方法は皆無に等しい。元々は合一した上で、自らも転換し対消滅を図るつもりでいた。だが、緑の魔法使いは、彼女達に盾だけではなく、剣まで与えてくれた。
 後は何の問題もなかった。なかったはずだった。実際に攻撃は通じた。一つ。たった一つ考慮漏れがあったとすれば。

「はっ!」

 気合と共にツヴァイが、距離を詰める。阻まれるのは承知の上だ。視界の端に映るものが消えた。いや、高速で襲い掛かって来るのだ。
 ヴォイドが物質化させたツルハシを思わせる長柄の先に左右に刃が伸びた鎌。
 這うように地面に伏せると、風切音を残して頭上を通り過ぎる。
 それに合わせて空間転移したドライが空間断層を放つ。しかし、それはヴォイドのミスティックコードにより、無効化される。
 引き戻された鎌に切り裂かれるより早くドライは空間転移する。
 先ほどからこの繰り返し。
 ツヴァイの武器術の師もまたヴォイドだった。攻撃の呼吸を読まれ、文字通り人間離れしたスピードとパワーの鎌に翻弄される。
 ドライの時空の魔法は、元々ヴォイドが開拓したもの。当然、防御の手段も知られているし、攻撃手段が限られるのも知られている。
 そして、フィーア、アインスに至っては攻撃に加わる事も出来ない。縁の魔法が提供する剣、転換した存在を攻撃可能にする力場が狭いのだ。フェンはその力場を広げてみせたがそれはオリジナルの縁の魔法、縁の魔法使いだったが故。
 長柄の鎌はそれを見越しての物質化だったのだろう。
 そう、たった一つ考慮漏れがあったとすれば、それは彼女達がヴォイドを甘く見ていた事だ。
 稀代の魔女のメンター、時空の魔法の開拓者。まぎれもなくヴォイドは超一流のウィザードだった。ただ彼の不幸は超一流ですら及ばない才能を持ったプロテジェがいた事。
 そして、転換はそのプロテジェを越える為の行為。

「人間を捨てた私を傷つける事を可能とするとは見事だ。そう、それでこそだ。私が人間を捨ててまで力を求めた価値がある」

 誇らしげなヴォイドの言葉。
 しかし、それはヴォイドの意図とは無関係に魔女達の心に突き刺さる。
 改めて思い知らされる。尊敬したメンターは稀代の、自分達のせいで人間を捨てたのだと。

「メンターは」
「ん?」

 アインスがヴォイドへとゆっくりと歩を進める。

「メンターはどこを目指しているの? あたし達はメンターを目指した。時空の魔法だって、メンターに褒められたくて、メンターの誇りとなるプロテジェになる為だったのに。メンターの今の目的が私達なら。私達を越えた後はどうなるの」
「越えた後……」

 ヴォイドの動きが止まった。その表情がアインスの言葉に歪む。
 そして、少しずつアインスとの距離が縮まる。

「そうだ。私はお前を越えた後、どうすればいいのだ。魔法文明はもう――」
「アイッ!!」

 皮肉な事にフィーアの叫びが時を動かした。
 アインスはヴォイドの鎌の攻撃圏に入っていたのだ。そして、ヴォイドもアインスの力場の圏内への侵入を許していた。
 ただ、アインスにはそのつもりはなかった。彼女はただ、問いかけていただけ。
 だが、ヴォイドにはそんな事は意味がない。彼はクレヴァス。人間を捨てたモノ。
 アインスに鎌が迫る。
 アインスに気をとられていたドライは間に合わない。
 アインスに気をとられていたツヴァイでは防げない。
 アインスに気をとられていたフィーアでは止められない。
 そして、再び時が止まった。
 ヴォイドの表情は空白そのものだった。何が起こったのか、まるで理解出来ない。
 それはそうだろう。誰が想像し得る?
 鎌を持つ両の腕。それぞれにクエイクフットのあぎとに噛み付かれている。

「……なんだ、これは?」

 呆気にとられたヴォイドの声。
 異変はそれで終わらなかった。
 銀光が一閃し、ヴォイドの左腕を切り飛ばした。

「くっ?!」

 ヴィイドが跳び下がろうとするが、クエイクフットが腕を噛んだままだ。空間断層を生むより早く、彼に聞き覚えのない声が響く。

「離れろっ、ペンタッ!」

 ヴォイドの腕があぎとから開放される。腕には歯型がびっしりと明滅している。
 鎌をクエイクフットに振り下ろすが、その前にドライが空間転移でクエイクフットにしがみつきそのまま、離れた場所に再び空間転移する。

「たくっ、苦労したぜ。ピックじゃあるまいし、こいつらの背にしがみついて移動してきたせいで、擦り傷だらけだ」

 フィーアはこれは夢かと思った。
 本当に最後の別れだと思っていたのに。
 だけど、彼はここにいる。

「フェンッ!」
「たく、覚悟しろよお前等。後でたっぷりお仕置きだ」





「何者だ、キミは」
「あんたの息子の子孫だよ。……いや、待て。それじゃあんたの子孫って事にもなるな。初めまして、ご先祖さんよ。フェンフ=ニルだ」

 フェンは両のリングブレイドを抜き放ち、すでにエッジで刃にエゴフォトンを宿らせている。

「……そうか。あ奴、子を成していたのか。それに転換したこの身を傷つける力、彼女達ではなく、キミの力か」
「ああ、そうだ。正確にはあんたの息子によって作られたらしいぜ。オレにとっちゃどうでも良い事だけどな」

 フェンは周囲を見渡した。

「アインス、怪我はないか」
「う、うん! フェンお兄ちゃん!」

 涙をボロボロ流しながら笑顔で頷く。

「ツヴァイ、ボケッとしてんじゃねぇ。この中で一番近接戦闘が得意なのはお前だろうが!」
「分かっているよ、そんな事。言われるまでもない!」

 破顔一笑。言葉とは裏腹に野に咲く花が咲いていた。

「ドライ、ペンタに怪我はないだろうな」
「ないわよ。それより私の心配はないの?」
「はっ。心配してほしかったら、もうちょっと頼りなくなれよ」
「……褒めているのかどうか分からない。分からないわ」
「フィーア」
「………………」
「まさか、ここまで来て『さようなら』はねぇだろうな」
「バカ!」

 目尻から涙が溢れて頬を濡らしている。
 フェンは大きく息を吸い込んだ。そして叫んだ。

「さぁ、とっとと終わらせるぞ、この下らない戦いをな!」
「下らない?」

 聞き捨てなら無いと言った風にヴォイドがフェンを見る。

「プロテジェの常に先いる。それがメンターたるものの使命だ。だが、稀代の魔女ツェーン=タウゼントを導くには力が必要だった。転換は必要で、そしてこの戦いは必然だったのだ」
「ほう? じゃあ聞くが、あんたは今、誰を導いている。何へと導いている」
「……何?」
「メンターってのは導くのが使命なんだろ? この戦いが必然だというなら、この戦いを通して何を導く。あんたが人間をやめた事でこいつらを何へと導くつもりだった?」
「それは……」
「オレはほんのちょっとしか見てないが、あんたはただ力に溺れて暴れていただけに見えたぜ」

 ヴォイドは、先程アインスに問われた時のように表情を歪める。

「ち、違う。それは誤解だ。私はただ――」
「御託はどうでもいい!」

 フェンは砂地を踏みしめる。

「お前に何か出来る事があるというのなら証明してみせろ! オレはそれを打ち砕くだけだ!」
「なるほど。力を示せと言うのか。ならば見せよう」

 表情に余裕が戻り、ゆらりと陽炎のようにヴォイドの身体が揺れる。鎌が手から離れ、地に落ちる前にマナ光となって、次元の穴と化した傷口に吸い込まれる。
 ヴォイドはフェンを見た――だけだった。
 だが、フェンは横に飛ぶ。

「なに?!」
「フェンに単発の空間断層なんて通用しない。かわせない量ならフィーアが防ぐ。防ぐわ」

 足元からドライの声。ヴォイドが目を向けると、一緒に転移してきたペンタが足首に噛み付いている。

「このっ」

 ヴォイドは空間位相のズレを発生――させるはずだった。

「馬鹿な?!」
「空間断層は細すぎて無理だけど、空間位相は逆のベクトルで干渉する事で発生を抑える事が出来る。メンター、あなたの教えです」

 ドライとペンタが転移する。と、間隙なくテトラのあぎとがヴォイドを狙う。
 本来なら空間断層のズレで反撃していたところだが、空間位相のズレが防がれた動揺からただ、身をかわすだけだった。そして動揺ゆえに気付きが遅れた。
 その背にしがみつくように乗ったアインスの存在を。
 煌。放たれた熱線を魔法陣で防ぐが、ミスティックコードを生み出すはしから散っていく。

「返してっ。私達の知っている、私達の尊敬するメンターを返せ!!」

 ヴォイドの魔法陣が爆ぜた。

「うおおおぉぉぉ」

 熱線は胴を貫き、拳大の風穴を空ける。

「お、おぉぉ」

 一歩、二歩と下がり、そしてがくんと片方の肩が下がる。先程ペンタが噛み付いた足首がL字に折り曲がっている。
 ツヴァイが正面から堂々と歩いて来る。両手には長剣とダガー。

「メンター。今でも尊敬しています。でも――」

 ヴォイドは何かを物質化しようとしたが、何もかもが遅すぎた。長剣が残った右腕を切り飛ばし、ダガーが左胸を貫いた。

「でも、今のあなたを認める事は出来ない。……フェン頼む」

 突き刺したダガーをそのままに、ヴォイドの身体を突き放す。

「オーバーエッジマキシマム!!!」

 声は背後から。しかし、ヴォイドは振り向けなかった。いや、もはや振り向かなかっただけなのかもしれない。
 エゴフォトンが作り出した巨大な銀光の円が、彼の頭上から真下へ切り裂いた。さらにもう一つ円が、胴を横に切る。
 銀の十字に切り裂かれたヴォイドの視線は、歩み寄ってくるフィーアに注がれた。もはや、意識が残っているか定かではない彼に、彼女は語りかける。

「メンター。あなたは私達のメンターです。例えどんな姿になろうと。例えどんな存在になろうと。そして、メンターの罪はプロテジェの罪。後の事はお任せください。安らかに」

 ミスティックコードがヴォイドを囲んでいく。二重に、三重に。

「術式解除の魔法陣か。確か……最初に…………教えた」

 ヴォイド=ニル。稀代の魔女にメンターと呼ばれ尊敬された存在の最後の言葉だった。





「で? この後は何があるんだ?」

 フェンは隙を見せず、魔女達に問うた。
 もし、これで最後ならわざわざフェンを置いていく必要などない。フェンの身を案じたのだとしても、敗北すれば時期に世界が滅ぶという状況を考えれば、ただ、戦力を減らす愚作でしかない。
 そして。

『さようなら』

 つまり、まだ終わりではないのだ。
 空を見上げれば、ヴォイドを倒したのに今だに裂け目が存在する。

「あれがまだ存在するって事は、つまり奴はクレヴァスじゃなかったのか?」
「いいえ。間違いなく、あの人はクレヴァス。正確にはクレヴァスの意思の部分」

 ここに至ってごまかすつもりもないのか、ドライの説明を止める者はいなかった。

「意思の部分?」
「メンターは転換して次元の裂け目へと転じた。さっき倒したのは次元の裂け目の一部。ただ、その一部にかつて人間であったウィザードの意思が宿った存在だったの。空に残っているのはクレヴァスの残骸と言っても良いと思う」
「残骸っつっても。このまま放っておいていいのか?」

 ドライは首を横に振る。

「メンターの意思は消えた。魔法文明時代、クレヴァスに対抗出来なかったのは、マナドレイン現象と、メンターという超一流のウィザードの意思が宿った存在だったから。そして、今こそ、クレヴァスを。次元の裂け目を塞ぐ事が出来る。出来るのよ」

 フェンはあえて、率直に核心部分に触れた。

「どうやって?」

 方法はともかく、それによって何が起きるか。フェンには薄々予想がついていた。それでもあえて聞いた。後悔しない為に。
 フィーアがミスティクコードを展開した。四人の魔女の足元に魔法陣が描かれる。

「この身をマナと化し、次元の裂け目に取り込まれ同化し、裂け目を閉じる」
「……オレにはこの身を犠牲にして。みたいに聞こえたけど、気のせいか?」

 フィーアは視線を落として、フェンの前を通り過ぎる。足元の魔法陣はフィーアの動きをトレースする。

「ツヴァイの物質の魔法によりマナと化し、アインスの受け継いだ膨大なマナ量で異次元に排出される時間をかせぎ、ドライの時空の魔法により次元の裂け目と同化。そして、私の設計の魔法で次元の裂け目を再構築し、裂け目を消し去る。その後は、再び物質の魔法で元通りに再構成――の予定」
「成功の見込みは?」

 フィーアの元に他の三人の魔女が集う。

「まず確実に次元の裂け目は消えるわ」
「そんな事、聞いてない」
「……五割」
「思ったより高いな」

 フィーアは薄く微笑んで舌を出した。

「希望的観測だけどね」
「実際はもっと低いのかよ」
「分からないのよ」

 魔女達はお互い手を繋ぎ輪になった。

「何せ、魔法文明始まって以来の試みだから」
「魔法文明はもうとっくに滅んでいるぜ」
「そうだったわね。じゃあ訂正ね。魔法文明技術による最初で最後の試み」

 フィーアは、いや魔女達全員がフェンを見た。

「止めないの?」
「どうせ、止めたってやるんだろう?」
「……うん。これは誰かがやらなきゃならない事じゃない。私達じゃなきゃならない事だから」

 フェンは嘆息した。

「で、どれくらいかかるんだ?」
「え?」
「え? じゃなくて。時間だよ。じ、か、ん。戻って来るつもりはあるんだろう?」

 魔女達は顔を見合わせる。そして、お互い確認するように頷いている。

「三日、かな。長くて」
「了解。一年とか言われたらどうしようかと思ったぞ。テトラ、ペンタ。来い」

 フェンは魔女達から背を向けた。

「フェン?」
「三日後だな。遅刻すんなよ。こんな何もないとこで待たされる身にもなれ」

 感極まったようにアインスが声を上げる。

「フェンお兄ちゃん。あたし達はっ」
「続きは三日後だ。なぁ、ツヴァイ」
「……ああ、三日後だ。フェン」
「じゃぁ、またな、ドライ」
「ええ、また。フェン」

 フェンは振り向かず歩き出した。
 そして、少しして背後から膨大なマナ光発せられても。しばらく後に、マナ光が消えても。
 フェンは決して振り向かなかった。
 ただ、ただ歩き続けた。
 アビスの外で魔女達を待つ為に。





 待つというのは、実はとても苦痛な作業なのだと、フェンは肌身に感じていた。
 竜車内の水は残り少なくなったので、流刑者用のバックパックから失敬してきた水筒に口をつける。そして、顔を顰める。

「生臭いな。大丈夫なんだろうな、これ」

 先に煮沸するべきだったかと後悔しながら、砂地に大の字になった寝転がる。
 ハーネスから外したままのテトラ達がフェンの顔を覗きこむが、心配するなと手振りで合図すると、二匹は竜車の定位置でうずくまる。そこが影になっているのだ。
 一方、フェンは容赦なく照りつける太陽の下で胸に空いた穴をどう埋めればと考えていた。
 魔女達と別れてもう四日経っていた。
 本当は分かっている。
 アインスが最後に言おうとした事。
 だが、どうすれば良かった?
 止められたか? あいつ等を。
 胸に空いた穴。理由は分かっている。同じ気持ちを二度味わったから。
 黒の盗賊団の襲撃。そしてミリヤンの死を知った時。

 ……あいつらはもう家族だったんだ。

「いまさら」

 フェンは身体を起こした。

「いまさら気付いても遅いんだよ、バカヤロウ!」

 テトラ達がビクッと体を震わせる。
 それにかまわずフェンは拳を顔に押し付ける。

 これじゃミリヤンの時と同じだろう。あの時からオレは成長してないのかよ!

「あ、れ?」

 砂に水滴が落ちる。水筒の水じゃない。涙が頬を伝っていた。
 止められなかったのか? 本当に止められなかったのか?
 他に方法はなかったのか?
 自分でもみっともないと思うくらい、フェンは後悔に苛まれていた。





 六日経った。
 フェンはテトラ達をハーネスに繋いで御者台に乗った。
 水、食料の問題もあったが、なにより未練をどこかで断ち切らないと永遠に待ち続けてしまいそうだったから。
 家族を失わない為に、失わないように力をつけた。
 だが、力ではどうしようもない事がある。ただ、それだけだ。
 ミリヤンのように。あいつ等のように。
 これ以上、弱音を吐かないように歯を食いしばった。

「ん? どうした?」

 テトラ達がハーネスを通した指示に従わない。
 二匹の視線はアビスの方へ向いていた。反射的にそちらを向く。
 食いしばったはずの歯は開き、口角が上がる。

 おいおい、大遅刻だぞ。

 ミスティックコードが爆ぜるのが見えた。ここまで魔法陣で飛んできたのだろう。
 フェンは御者台から降りて、歓迎の罵声を上げようとしてふと何かがおかしいと感じた。

 ……オレの目がおかしいのか?

 しかし、何度数えても数が違う。

「何で増えてんだよ、お前等!!」

 フィーア、アインス、ツヴァイ、ドライ。そして、ツヴァイより少しだけ年齢が上と思われるのが一人。フェンに手を振りながら向かってくる。

「ハーイ、フェン。私は――」
「言うな! 黙っていろ!!」

 そして、フィーアに駆け寄る。

「おいっ、なんだあいつは!」
「あ、あはは。ちょっと再構成のマナの配分間違えたみたい。そのせいで遅れちゃった、ごめんなさいね」
「お前、ごめんなさいで済むと思ってんのか。どうするんだよ、あれ!」
「フェン。私はあれじゃなくて――」
「いいから黙っていろ! 元に戻せないのか?!」
「さすがにちょっと。無理……かな」

 フィーアが明後日の方向を向く。

「ねぇ、ちょっとフェン」

 五人目の魔女がしつこく話しかけて来る。

「あー、もう分かった。というかなんでも良い! 全員竜車に乗れ。ほら、お前も!!」
「ちょ、自己紹介もなし?!」
「はーい、フェンお兄ちゃん」
「フェン、何かすぐ食べられるもの無いか? さすがに全員を物質化はきつかったんだが」
「感動のハグくらいあってもいいと思う、思うの」

 口々に不満やら要望やらを口にする魔女達を竜車に押し込む。
 そして、最後に残ったフィーアを見やる。

「……これで最後だろうな?」

 念を押すとフィーアが顔を近づけてくる。薄く微笑みながら。

「最後にしたい? 私達との旅」

 フィーアはフェンの額に口付けた。最初に会った時のように。
 そして、フェンが返答する前に竜車に乗り込んだ。
 彼女が返答を求めていたのかは分からない。
 ただ、もしそうだとしても答えは決まっていた。

「フェン、行く先は?」
「さぁな!」

 御者台に乗り込んで、フェンは今度こそ竜車を走らせた。


 第十一章(最終章) 完






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