ノゾミ神社
財布を確認してみた。
小銭入れには五百円玉一枚と五円玉、一円玉が数枚。札入れには一万円札が一枚。
こんな神社の境内に小銭を崩せる所なんてあるはずもなく。
というか、たとえ千円札があったとしても、入れるのもなんだかな。
信じてはいないとは思ってはいても、ついすがりたくなるのは人のサガである。
五百円玉を取り出して賽銭箱に放り込もうとして手が止まる。
そういえば、今日は幸太が買っているコミックの発売日なのだ。掲載されている雑誌は、駅前のコンビニで立ち読みしているので内容は把握しているが、やはり贔屓にしている作者の作品はいつでも読めるよう手元におきたいものである。
別にこの五百円玉がなくても、万札があるのだから文字通り買っても釣りが返ってくるのだが、悲しいかな買い物ではつい細かいものから使ってしまうのだ。それを知る親兄弟や友人は貧乏性とよく揶揄される。
しばし熟考の末、五百円玉を小銭入れに戻した後、金色の輝きが放物線を描き、賽銭箱に放り込まれた。
「我ながらせこいな。でも、ご縁がありますようにって、考えれば五円玉を使うのは間違っていないかな」
二回手を叩いて両手を合わせる。
「若葉先輩に釣り合うよう、身長が伸びますように。……ついでに、それまでに先輩に悪い虫がつきませんように」
後半は随分と身勝手な願い事だが、えてして願い事なんてそんなものである。気付いていないだけで、自分の願いの為に結果他人を蹴落とす一面もある事を多くの人間には見えていない。その意味で、賽銭という行為は願いの代償と共に禊の一面もあるのかも知れない。ならば、それをケチるという行為は危険な行為とも言える。
もっとも、当の本人はそこまで深く考えていないが。
「さて、戻るか」
幸太は地面に下ろしていた学生カバンを手にして踵を返した。
『――――けた』
声が聞こえた気がして振り返った。しかし、そこには朽ち果て今にも崩れんばかりの祠があるだけだった。
気のせいかと思い、幸太はすぐに前に向き直った。
確かに聞き届けた
「やっぱり、身長がネックなのよねー」
ギクリとして幸太は階段の踊り場で足を止めた。
よく知っている声だった。
若葉先輩?
女子テニス部の主将にしてエース、花咲若葉。本校舎玄関には彼女が獲得したトロフィーや賞状がいくつも飾られている。
容姿端麗――とは贔屓の引き倒しもいいところだろうが、その気さくで誰にでも笑顔で接するその態度は異性は勿論、同姓からも好かれている。
「ふむふむ、なるほど。それさえクリアーできればおっけいと?」
別の声が聞こえた。やはり女子テニス部の先輩だ。どうやら廊下で話し込んでいるようだ。
何でこんな所で止まってるんだ? 俺。
別に若葉や他の女子テニス部の先輩方がいても関係ない。確かに、男子テニス部員でありながら、他の部員どころか学年の男子と比べても低い身長のせいで、何かと弄られる事が多いが。
――別に不快な訳ではないし。
幸太とて健全な男子高校生だ。女子にかまわれて嬉しくないわけない。……例えそれがマスコット扱いであったとしてもだ。
まぁ、見つかったら弄られるかもしれないが、いつもの事だし。
そう思って歩を進めようとして、次の女生徒の言葉に凍りついた。
「じゃぁ、佐々木君みたいなのがタイプな訳だ」
男子テニス部で佐々木の苗字は幸太しかいない。
「そうね。みんな、彼を弄ってる所しか見てないでしょうけど、試合の時の彼の顔。なかなか凛々しいわよ。プレッシャーにも強そうだし。リードされてても逆転する事多いでしょ」
「おー、見てる見てる」
他にも数人いるのか、囃し立てている。
見られていたんんだ。
なんだか嬉しかった。
「じゃぁ、いいじゃん。アタックしちゃいなよ。いまフリーでしょ、あの子」
「だから、言ったでしょ。幸太君には悪いけど……あの背じゃね。キスするのだって私が屈まないといけないでしょ」
「まぁ、あんた無駄に背が高いからね」
「無駄とは何よ。この体格あっての戦績よ」
「まぁ、否定はしないけど」
まるで石で頭を殴られた気がした。
そう、幸太が密かに想いをよせている花咲若葉は背が高い。男子部員がランニングで運動場を周回している時でも、コートにいる若葉の姿は、その背丈故に良く映える。
「身長くらい別にいいじゃない。そんな事、佐々木君は気にしないかも知れないわよ」
「私は気にするの。みんな自分の事じゃないからって勝手な事言って。やっぱり、見上げるようにキスするのがロマンティックじゃない」
「何を夢みてるのよ。それに佐々木君だって、そのうち背が伸びるでしょ。……きっと」
「その前に私が卒業になっちゃうわよ」
「あ、そうか」
その後にも楽しそうな会話が続いていたが、幸太は見つからないよう、踊り場から上ってきた階段を引き返した。
人間には努力ではどうしようもない事がある。
佐々木幸太にとって、それが身長だった。
努力をしなかった訳ではない。
好きではない牛乳を毎日飲み、煮干も欠かせない。睡眠不足が原因になりうるとネットで知って、深夜0時までには必ずベッドにもぐりこんでいる。寝る前に間食もしない。サプリメントの類も散々試した。
結果は、『身長が低いのも個性である』という敗北宣言じみた結論に終わった。
と言っても、幸太は別に自分の身長にコンプレックスがある訳ではなかった。
努力したとは言っても、身長を男としてのステイタスくらいにしか考えてはいなかった。
その身長が想い人との隔たりという事を知るまでは。
「しまった」
背後で列車のドアが閉まる音が聞こえてから、幸太は自分のミスに気付いた。
身長の事をぐるぐると考えている内に時間の感覚がおかしくなっていたのか、本来降りる駅の手前の駅で降りてしまったのだ。
次の列車が来るのは十分後だ。
たかが十分、そのまま待てば良かったのだが、幸太は退屈していた。
今はテスト前で部活は休みだったのだ。
あんな話を聞いた後では、若葉に顔を合わせ辛いのも事実だったが、普段から予習、復習を欠かせない、テスト前だからと言って行動が変わらない幸太にとって、部活禁止は不条理以外の何物でもなかった。
そう言えば、この辺の事。何も知らないな。
急行から次の駅で各駅停車に乗り換える毎日。電車から毎日外の風景は見ていたが、商店街が見えていた。
気晴らしにいいかも知れないな。
ブレザーのポケットから定期を取り出して改札に向かった。
当たり前の事だが、そこはごく普通の商店街だった。
携帯電話で話しながら自転車を漕いでいた迷惑な主婦をかわし、書店、菓子屋、八百屋、履物店と通り過ぎていく。
十字路を通り過ぎると通りに並ぶ店が切れた。
ここまでかな?
そう思ったが、少し先にまた店が見える。
ふと、足が止まった。ソレが見えたからだ。
『ノゾミ神社』
五段の短い階段の前の石柱にはそう彫られていた。見れば、奥のほうに祠らしきものが見える。
――聞いた事あるよな。ここにあったのか。
部活中の休憩時間の雑談にたしかにそんな名前の神社が出てきた。
曰く、お賽銭を供えて願い事をすれば望みが叶うと。
ただし、願い事は現実的な事にする事。無理な願い事をすると祟られる。また、お賽銭はケチってはならない。
どこにあるのか聞いても、それを話した本人すら場所を知らないとあっては、ただの作り話だと思っていても仕方ないだろう。
まぁ、その『ノゾミ神社』とは限らない訳だけど。行ってみるか。
そして、幸太は五段の階段を上って祠に向かった
願い事を済まし、神社から出てすぐ、シルバーカーを押した老婆に呼び止められた。
「すみません。××町の二丁目はどっちになりますかねぇ」
「え? あ、えっと。俺、この辺の人間じゃないんで、詳しくないんですが」
「あら、ごめんなさい。駅に戻って交番で聞いた方がいいかしら」
「そうですね」
言って無意識に駅の方を向いて、言葉を失った。
老婆に話しかけられたのは、五段の階段を下りてすぐ。なのに自分が今来た方向には階段はおろか祠もなかった。
そこは雑草が生い茂る空き地だったのだ。
なんだったんだ、あれは?
翌朝、電車に揺られながら幸太は昨日の事を思い返していた。
夢――ではない事は財布から五円玉が一つ減っているので間違いがない。
人に聞こうにも、「神社が消えたんですけど、何かご存知ないですか?」なんて聞けたものではない。
結局、狐につつまれたような感じで帰宅し、そのまま今に至る。
今日の帰りにでもまた行ってみるか。
学校近くの駅に着き、列車を降りて改札に向かう。
いつもそうしているように階段を下りて、ロータリ前に出る。
あ、若葉先輩!
遠目にも分かる身長。走れば追いつけそうだ。
思わず駆け出した。
真っ直ぐに。
若葉はブレーキ音に振り返った。
なにやらバスを中心に人だかりが出来つつある。
何かしら?
携帯で時間を確認するが、まだ時間に余裕がある。
別に物見高い性格ではないのだが、なぜかこの時は引かれるようにそこに向かった。
なんで――こんな事になったんだ?
薄れゆく意識の中、幸太はそんな事を考えていた。
なんで歩道で追いかけなかったのか。
どうして左右を確認しなかったのか。
分からない分からない分からない。
ただ、何かに押されるように前にでて、気付いたらバスに轢かれていた。
我ながらひどい有様。
胸からしたの肉が、下ろしたてのシャツのようにべったりとアスファルトに張り付いている。
グロいものに耐性のない幸太だったが、自分だったものの肉片を冷静に見ていた。
ブレーキが災いしたのか、幸太の胴をまるでアイロンでもかけたかのように押し伸ばしていた。
名前を呼ばれた気がした。
辛うじて動く目でそちらをみれば、先に行っていた若葉がなぜかそこにいた。
願いは確かに叶えた
ああ、そう言う事ね。
視界が暗くなり、若葉の顔が見えなくなる中、脳裏に届いた声に納得した。
確かに胴が押しつぶされ伸ばされた状態は、身長が伸びた――と言えなくもない。
意識が途切れる瞬間、幸太は考えた。
やっぱ、万札にしとげばよかった。
END
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