過ぎた願い−12page






「かり…そめ?」
「そう。彼女は人間じゃなくて。でも、人間であるあなたと共にいたくて。だからあるものと引き替えにその体を得たのさ」
「あるもの?」

 答えはすぐに返ってこなかった。

「おいっ!」
「これから生きていく時間を」
「え?」
「平たく言えば寿命だよ」
「じゅ、寿命っ!?」
「そう、彼女はね。常に人間になりたいと願っていた。ずっとずっと。そしてそれは長い年月の末にあるモノに届いた」
「あ、あるモノって…」

 問われて少年は少しの間だ、考え込んだ。

「悪魔…かな?…」
「あ、悪魔ぁ!?」
「まぁ、例えるならば、の話。もの凄い力があって、不可能を可能にもするけれど、決して神なんて呼べるありがたいモノじゃない存在」
「…な、なんだそれは」

 今度は英二が少し考え込んだ。

「つまり…何か? 彩樹は神だか悪魔だか分からないが、どんでもない奴に寿命を差し出すかわりに人間にしてもらったって事か?」
「うん、まぁそうなるかな?」
「じゃぁこれは…寿命が尽きて?」

 視線を腕の中の彩樹に向ける。
 彩樹の頬は紙のように真っ白で、どこか作り物めいて見えた。

「違うよ」

 英二の想像を察して少年が否定する。

「元々彼女達は長寿なんだ。人間と比べるとね。少しぐらい寿命が縮んだ所で問題はなかったんだ」
「だったらなんでっ」
「問題があったのは器の方さ」
「…なに?」
「寿命と引き替えに得た人間としての器だけど、あまり長い期間そのままでいると無理がかかるんだ」
「すまん、意味が分からない。どういうことだ?」
「元々、人間と性質が違う命を無理に人間の器に押し込めた事で命そのものに歪みが生まれてしまう。歪みはやがて心も体も蝕んで最後には死しか残らない」

 死という単語を聞いた瞬間、英二の全身を寒気が通り過ぎる。

「だから、彼女の願いを叶えたモノは期限を決めていたんだ。人間でいられるのはその期間だけ」
「期限って…どれくらいなんだ?」
「…一年」
「え?」

 英二は絶句する。
 彩樹と始めて会ったのは確か…。

「本当なら一週間前に彼女は本来の自分に戻っているはずだったんだ。なのに彼女は今の自分に固執した」
「そん…な」
「元々は一年だけって話だったから器の方もその間だけ保つように作られてる。期限を限っている事と引き換えにまったく人間として不自由のないような、限りなく完全な器を。だからこそ、期限を過ぎた今の状態は彼女にとっても器にとっても相当な消耗を強いる。本来なら器ごと彼女は消滅してるはずだったけどそれは器を作ったモノが抑えてくれてる。だけど、彼女の消耗に関しては手は一つしかない」

 英二はふと視線を感じた。
 腕の中の彩樹が怯えながら自分を見ている。

「じゃぁ…、どうすれば彩樹は助かるんだ?」
「彼女が本来在るべき場所へ還るだけ。それだけしかない」
「だったらっ!」

 耳元に届く小さな声。

(だめ……)
「さ、彩樹?」

 すがりつくような目で見つめられ、英二は狼狽える。

「一度ね、命の中に出来た歪みは元の彼女に戻ったからと言って簡単に癒されるものじゃないんだ。つまり一旦戻ってまたすぐその器に、という訳にはいかないんだ」
「で、でも、それしか方法はないんだろう?」

言ったと同時に彩樹のしがみつく腕に力がこもる。

「いや…。それだともう英二と一緒にいられなく…なる」

 切れ切れの声が、英二の胸を突く。

「そう…なのか?」

 問いかけに少年が頷く。

「あまりに人とは異質過ぎるからね。無理を通した結果さ」
「異質って…、彩樹はいったい…」

 瞬間、言葉を失った。
 視界を覆うほどの薄紅色が乱舞する。

「なん…で…」

 桜の木々の内、一本だけ花が急速に散っていく。
 それだけではなく、幹がどんどんひび割れて水気を失っていく。
 それはまるで枯れ果てていく様を早送りのビデオで見ているようで。
 この丘の桜で一際目立つ大きさだった桜は今、朽ち果てようとしていた。

「きっかけは僕が来たせいだろうけど。でもおそかれはやかれの問題だよ」

 この状況に驚く風もなく、いやむしろあたり前の様に少年は淡々と語る。

「うそ…だろ?」

 おぼろげながら…英二にも分かったような気がした。
 彩樹は…。

「…どうして、人間に生まれなかったの? それなら英二とも」

 もはや涙もなく、うつろな瞳で呟く彩樹。

「誰にもそれは選択出来はしないさ。望んだように生まれてこれなかったのは君だけじゃない。だから…」

 あくまで淡々と少年は告げる。

「戻るんだ。君の本来の体に」
「嫌よ…」

 弱々しく、しかしはっきりと彩樹は叫んだ。

「戻ったら、英二はもう私を愛してくれないっ!!」

 言って、むせた。
 英二がぎょっと目を剥いた。
 英二の着ていたセーターに彩樹の吐き出した鮮血がべっとりと張り付く。

「言ってやりなよ」

 少年が英二を見つめる。
 それまでの淡々とした態度はかわらないが、その目の奥には真摯な光が宿っていた。

「なに…を?」
「何でも」

 少年はそっと枯れかけた幹に手を触れる。

「何でも、なんであっても。君の言いたいことを。それが彼女の望むことでも望まないことであっても…他に選択肢を持たない彼女にはそれが必要だから。それともこのまま彼女と別れを待つつもりか? 何の言葉も彼女に与えないまま」
「………」

 決断に時間はさして必要じゃなかった。
 ただ、枯れかけの桜を見て、彩樹を瞳を見て、そして出会いから今日までの一年を振り返るだけのほんの数秒だけあれば。

「彩樹…」

 ビクッと彩樹の体が震えた。
 それを見て、そっと樹の根本に彼女の体を降ろす。
 彩樹は目を閉じて体を縮めてじっとしていた。まるで何を聞いても拒否するかのように。
 だが、英二はかまわず彼女の耳元に口を寄せた。
 自分の言葉は彩樹に必ず届くと知っている。
 なぜなら、彩樹が好きなのは自分なのだから。

「…から」

 彩樹の表情が一瞬だけ消えた。
 …そして辛そうにむせび泣いた。






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