魔女の森の白き魔女−21page







『これをエドが目にする事を願って』

 まず、最初にそう書かれていた。
 煤けたその手紙には短く次のように書かれていた。

『ごめんなさい。とんだことに巻き込んじゃって。ひょっとしたらキミは自分の事を責めているのかも知れない。だけど、そうじゃない。いつかはこうなる事は分かっていたから。最後にさようならを言いたかったけど街の人に見つかったらいけないからもういくね。これからは旅をしてもっと遠くにいくつもりです。またここにいた時みたいに一つの土地に住み着く事もあるかも知れないけど、また同じ様な事が起きたら困るから長居はしないつもりです』

「………」

 最後まで目を通して、エドはぎゅっと手紙を握り潰した。
 しばらく微動だにしなかったが、やがて無表情に降りてきた階段を昇った。
 上から眩しい光が降ってくる。
 そこはあの作業小屋の焼け跡だった。
 服に付着した煤を叩き落とし、今来た方を振り返る。
 床の一部に隠された地下への階段。
 恐らくは薬の貯蔵庫だったんだろう。酸欠にならないように空気の通り道と思われる穴もあった。
 大人達に襲われて、咄嗟に小屋に駆け込みここに逃げ込んだんだろう。
 周りを囲まれ火をつけられてどんなにか怖かっただろうに、それでも手紙には恨み言は何一つなかった。
 そして最後に書かれた言葉。

『最後に一つだけお礼を言わせて。ありがとうエド、少しの間だけど孤独から解放してくれて。あなたに会えて良かった』

 無言で握りつぶした手紙を広げて両手でつまんだ。
 少し力を入れると容易くそれは二つに裂けた。
 さらに重ねて破って重ねて破って…。
 風が吹いたタイミングに合わせて腕を振った。
 撒かれた紙片はばらばらに散って空へと駆け上っていく。

「エド」

 声に目を向けるとサラの姿があった。

「あ…」

 彼女の横を無言で通り過ぎる。
 サラは声を掛けようとして出来なかった。自分の全てを拒否しているように思えて。
 結局、振り返る勇気もなく、サラはエドが去った焼け跡を前にして立ちつくすしかなかった。





 その後の事。
 エドの処遇には色々と揉めはしたが、結局の所たいした咎めはなかった。
 全ては魔女の存在がいけなかったのだという事で落ち着いたのだ。
 事件から数日は魂が抜けたように覇気のない様子だったが、数日後には以前の彼に戻っていた。
 …表面上は。
 エドの変化に気付いたのはロックやサラといった普段からエドに近しい人間だったが、彼等にしてもあんな大事件があったのだから心境の変化もあるだろうと大して気にしていなかった。





 そして、それから幾年かの月日が流れて……。


「おい、本当に出ていくのか?」

 ロックが諦め混じりながらも、何度も言った台詞を繰り返す。
 エドとロック、二人は街と外を繋ぐ門のそばに待機している商団一行の所へ向かっている所だ。
 いや、正確には向かっているのはエドだけで、ロックはただ彼を引き止めようとしているだけだったが。

「だから、決めたっていっただろ?」
「親父さん、反対してんだろが」
「いーや? 好きにって言ってたぞ」
「…本当かよ?」
「ああ、『お前なんて二度と帰ってくるな』だってさ」
「それはお前…、勘当っていわねぇか?」
「かもね」

 やれやれと首を振るロック。
 いまさらなのは分かっているが、やはりこの頑固な弟分の決意を翻せそうにない。

「しっかし、ここ数年のお前の勤勉振りから何かやらかす気かって思ってはいたが、まさかこんな事をたくらんでるとはなぁ…」
「たくらむって人聞きが悪いな」
「事実だろ」
「俺だって予定を前倒しにするつもりなんてなかったんだ。本当は一回、中央に出て勉強しときたかったんだけどな。ここじゃ医学書なんてほとんど手に入らないし、取り寄せなんてしたら凄く高くて手が出ないし」
「だったら、なんで急に旅に出るなんて言うんだよ」
「だーかーら。予定が狂ったんだって」

 そんな事を言い合いながら、もう商団一行の馬車が見えてきた。
 商団のリーダーに話をつけて、便乗させてもらう事になっていたのだ。
 視線を巡らすと、そのリーダーが忙しそうに周りの人間に指示を飛ばしていた。
 向こうもエドに気付いた。

「出発の準備にもうちょいかかるから、先に乗ってくれていいですよ」
「なにか手伝いましょうか?」
「気持ちはありがたいが、勝手を知ってる人間じゃないと…ね」

 語尾の方を濁していたが、ようするに下手に手を出すと逆に足を引っ張る事になるという事だろう。
 言葉に甘えて馬車に上がろうとする。
 だが、ロックが身振りでそれを制した。

「おい、あれ…」
「………」

 エドは無言でそちらを向いた。
 見るまでもなく誰がそこにいるのか分かっていた。

「…いくの?」

 サラだった。

「ああ、決めたんだ」
「…たんなる噂だけかも知れないわよ」
「いいさ。その時は流れの医者にでもなるさ」
「…そんな腕なんてないでしょ。見習い以前の問題なのに」
「言うなよ。ま、なんとかなるさ」

 サラは溜息をついた。
 彼女だけはいつかこんな日が来る事を知っていた。
 あの事件を境に、何故エドが医学に興味を持ったのか知っていたから。
 だから、辺境を旅して回っている薬師の噂を聞いて愕然とした。
 恐らく、その噂がエドをこの街から解き放つ事になるだろうと思って。
 そしてそれは見事に当たってしまった。
 魔法を思わせる優れた薬を創り出す、白髪の薬師。
 そう、そんな噂を聞いて彼がじっとしているはずがないのだから。

「じゃぁな。二人とも」
「あっ」

 二人に背を向けて馬車に乗り込むエド。
 咄嗟にサラは手を伸ばしてその腕を掴もうとする。
 しかし、ほんの少しの差で届かない。そして、その一瞬の差で手が届かない距離まで離れてしまった。
 彼女は悔しそうに唇を噛んでクルッと背を向けた。

「…馬鹿」

 エドの返事もまたずにそのまま駆けていった。ずっとその間、口元を押さえたままで。
 それを見届けてからロックも肩を竦めて背を向けた。
 そして思い出したように首だけで振り返って手をひらひらと振る。

「じゃぁ、達者でな。つまんねぇ事でくたばんなよ」
「ああ、じゃぁなっ、ロック」

 ロックも行ってしまった。
 出発までもう少し。
 荷物を床に置いて幌の隙間から外を見た。
 今まで住んでいた街とその向こうに見えるエルゲ山、麓には魔女の森。
 いや、いまはもうただの森だ。
 あの事件以来、それが禁忌にでも触れるかのように誰もがその名を口にしなくなった。
 魔女の森ではなく、ただ、森とだけを口にする。
 だが、それは正しいこと。
 元々、あの森には魔女なんていなかったのだから。

 そう、魔女なんてどこにもいない。
 いたのはとても悲しい想いをした少女。

 エドは外の景色から目を離して、座り込んで目をつむる。
 今でも鮮明に思い出せる、彼女との日々。
 さぁ、また会った時になんて言おうか。
 出発までの後少しの時間。ずっとそんな空想に浸っていた。


−完−






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