魔女の森の白き魔女−20page
葉枝を振り払う音に反応して鳥達が逃げていく。
時々、肌を掠める木の枝が肌を切り裂いていくが気にもとまらない。
ただ目指す場所へ向かって突き進む。
頭の中はもう真っ白で何も考えられず、たった一人の事だけが少年を突き動かす。
ふいに足首に衝撃が走った。
「うわっ!」
地面から突き出ていた石に蹴躓いたのだ。
気付いたときには体が宙を舞っていた。
それは幸運だったのか不幸だったのか、森の中という事もあって地面ではなく木の幹に叩きつけられる。
すぐさま立ち上がろうとして焼けるような痛みに腕がビクンッと震える。
麻痺してしまったかのように指が思うように動かない。
見ると肘から手首にかけて3分の2程、赤い線が引かれていた。
まるで岩からしみ出るわき水のように、血が止まらず肌を伝って地面へと落ちていく。
「く、そ…」
よろよろと、まだふらつきながらもまた前へと歩を進める。
また一歩。
気を失いそうだった。
痛くて痛くて、気が狂いそうだった。
この分では骨にも異常があるかも知れない。
だが、止まらない。
本能さえ越えた何かがエドを突き動かす。
疲労と痛みと焦燥と。
全てがないまぜになって混沌としている。
そして、いい加減限界が近づいたろう時にそれが見えた。
ナンダアレハ?
煌々と輝く炎。
ナンダアレハ?
そこには作業小屋があったはず。
ナンダアレハ?
なんて巨大な炎。
その周りを囲む人々は?
…ナンダ…アレハ?
良く知っている。
燃えているのは初めてシルルと話したあの小屋。
周りにいるのは街の大人達。
…ナンデ…アンナコト
燃えている。
燃えている。
油でも撒いたのだろうか?
凄まじいと表現しても足りないほどの巨大な炎。
確かに小屋一つ燃やすのだからアレくらいの規模にはなるだろう。
あれじゃあ、中のものはみんな燃えてしまう。
彼女が一生懸命に作った薬も…。
…ソウダ…イマハソンナコトヨリ
彼女を捜さなければ。
大人達に捕まったら何をされるか。
今のうちに彼女を見つけて隠れるか逃げるかしないと…
大人達に気付かれないようにその場を離れようとして…それが見えた。
一人が何かを手にしていた。
…ナンダアレハ?
それは何かの布のようだった。
破れているようで、さらに赤色の汚れがあちこちに見えた。
急がなければと、焦る気持ちとは裏腹にそれを目にしたまま張り付いたように足が動かない。
…ナンダアレハ?
その布を手にしていた男が腕を振るった。
熱が生む上昇気流に揉まれながらも吸い込まれるように炎に消えていった。
だが、その瞬間、炎に照らされたそれを見て心が弾けた。
…ア・レ・ハ?
アレハ?
あれはっっっっっ!!!
「うあああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
それがなんなのか理解した瞬間、飛び出していた。
ぎょっと、大人達がこちらを向くがそんなものは見えていなかった。
炎の中に消えたそれを追うように、エドは真っ直ぐに走った。
それは引きちぎられた服の袖。血に染まっていても、それが誰のものなのか分かってしまった。
街の人間が着る服とは違った特徴があったから。
咄嗟に反応できない大人達の間をすり抜けて、真っ直ぐに真っ直ぐに。
もう原型すら判別出来ない炎の塊に向かって。
そして後もう少しという所で太い腕が遮った。
反応できずにまともに激突し、そのままひき倒される。
「離せっ!! 離せよっ!!! 親父っ!!!!」
なおも振りほどいて炎に突っ込もうとする息子を覆い被さるように押さえる。
周りの大人達も我に返って彼を押さえにかかった。
もう身動きすらまともに出来ないのに、それでもエドは力の限りもがいた。
瞳に映る景色は今も燃え崩れようとしている小屋。
中には恐らく彼女が。
血に染まった袖。逃げれる状態かどうかすら分からないのに。
「あ…」
瞬間、何が起こったか分からなかった。
熱風が顔をなぶった後、小屋が異様に低くなった。
いや、もう小屋とは言えない。焼けて脆くなったそれは崩れて倒壊してしまったから。
「あ、あ、あぁぁ」
声にならない呻き。
あの中には、
あの中には、
あの中には、
「あああああああぁぁぁぁっっ!!!」
どこにそんな力があったのか。
体を地面に押しつける全ての手をはね除けて、エドは一歩飛び出した。
しかし、足を捕まれてまた地面に引き倒される。
その手を蹴って、また一歩前へ。
今度は蹴った方の足を捕まれた。また蹴ろうとする。するとその足も捕まれた。
首に手を回された。背中に数人がのしかかってくる。
どうにもならない。
辛うじてまだ動く手は地面をかいて、でも押さえつけられた体は微動だにしない。
「離せっ!!! 離せっ!!! 離せってんだろっ!!! ちくしょうっ!!!!」
崩れた小屋。
その中にいたはずの彼女。
焦燥、怒り、悲しみ、憎悪、無力感
何もかもがない交ぜになった叫びが赤黒い空に木霊した。
「離せよぉ!!!!」
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