欠落の代償−24page






 ふあぁぁぁぁぁ、などと大きい欠伸を目撃して狭霧は目を疑った。
 教壇の上を見る。まだ、授業開始前だ。
 断っておくと欠伸そのものは珍しくない。教室を見渡せば夜更かししたと思わしき連中が目を擦りながら欠伸をかみ殺している。
 しかしだ。いま狭霧が注目している彼女は比較的規則正しい生活を善しとしていて、いままで教室で欠伸など見た事がなかったのだ。
 しかも、注意深く見れば頭が微かに揺れている。
 …どうやらかなり眠いらしい。

「真理亜。何かあったの?」
「ん? んーん? なぁーんにもないよ?」

 言いながらも気を許すと瞼が閉じそうな感じだ。

「何してたの?」
「ん? いろいろぉ」

 手を伸ばして狭霧の髪をつんつん引っ張るのは寝ぼけているのか、それとも眠気を誤魔化す為なのか。
 どっちにしても狭霧自身には迷惑だが。

「いろいろって? こら、痛い」
「あんっ、いろいろはいろいろだよぉ。誰かさんみたいにねぇ」

 手を振り払われた恨みか、嫌みったらしく言うと狭霧は素知らぬ風に明後日の方を向く。
 それを半眼かつ横目で見ながらこれ見よがしにはぁと溜息をつく。

「まぁ、いいけど」

 呟きを聞きとがめて、チラリとだけ狭霧は彼女を見る。

「ノーヒントで捜すのって大変だねー」
「ゲーム?」
「みたなもんかな?」

 要領を得ない答えに狭霧は首を傾げた。





 昨日のあれはなんだったんだ?
 廊下ですれちがったクラスメイトの女子生徒に笑顔で挨拶しながら、筒井は昨晩の事を思い返していた。

『いたぞっ』

 唐突な叫び声と共に襲いかかってきた連中。
 どうみても警察ではない。
 見た目は自分と同じか少し上と思える少年達。
 心の中で何度も首を傾げる。
 自分が襲って反撃されたというのなら分かる。
 だが、あの時自分は何もしていない。
 当然だ。
 まだあの時点では誰を殺そうか決まっていなかったのだから。
 次こそは殺せそうだ。
 だから、適当な獲物を選びたくない。
 その慎重さが裏目に出てしまったらしい。
 おかげで気がそがれてしまった。
 その分、襲ってきた連中にはたっぷりとその報いをうけて貰ったが。
 ただ、その憂さ晴らしに夢中になってなぜ自分を襲ったのか聞くのを忘れていた。
 迂闊。我ながらなんて迂闊。
 立ち去る前に聞いておくべき事じゃないか。
 そう悔やんでも後の祭り。
 彼はあの時殺すつもりはなかった。
 感じていた、目覚めは近い。
 だから焦る必要もない、だったら初めては上等な獲物にしよう。
 だが、殺そうとする意思がなければ、偶然という必然は起こらない。
 始めから殺すつもりでやっていれば、こんな事に悩む事もなかっただろうに。
 つまらない大ポカだ。
 だが、同時に幸運だったのかも知れない。
 下手をすればあの場に騒ぎを聞きつけた警察が来る事だってあったかもしれないのだ、彼に殺す意思がなかったのだから。

「さっさと、初めての人を捜して済ませてしまうべきだよな」

 呟きにを聞きとがめた通りすがりの生徒が首を傾げるが、筒井は適当な笑顔で誤魔化した。
 そして返す々々考える。
 結局、昨日襲ってきた連中は何者だったのだろう、と。
 そして、また始めの疑問へと戻る。
 何人かはどこかで見たような気はするのだけど…。





 また…だ。
 真理亜の脳裏には逃走という二文字が浮かんできた。
 いや、どうせどこにいるかは分かっているから逃走と言うべきではないかも知れないが。
 受業の場にいない状況をより正確に言うにはサボリの方が的確か?

「せんせいっ! 狭霧を捕まえて来ていいですかっ?」
「え? あ、ああ。…そうだな、あまりにも授業に出なさすぎるからな。悪いが清里、頼めるか?」

 迷いつつといった感じだったが、許可が出たので真理亜は席を立った。
 このままじゃ本当に留年決定だ。
 早足で教室を出た。

「留年…かぁ」

 それは困る。
 何が困るかと問われれば。
 主に自分が。

「離れ々々になっちゃったら、不安だしなぁ」

 信じていると言いながらも、気が気でない。
 口ではなんとでも言えるのだ。
 昨夜だって、辻斬りの噂を頼りに街を無作為に歩き回った。
 勿論、目的は辻斬りではなく狭霧だ。
 会って何かある訳でもない。
 会うだけなら学校で会えるのだから。
 でも、何かが許せない。
 狭霧の初めては自分なのだ。
 万が一にでも辻斬りに触発されて、自分以外の誰かを手にかける事があれば。

「ゆるさない…」

 ユルサナイ
 ユルサナイユルサナイ
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ
 彼女は自分のモノだ。
 彼女の初めては自分が貰うのだ。
 そしてその至福を誰にも渡すつもりはない。
 だから最後だ。
 自分で最後だ。
 浅ましい、自分自身に対して吐き気を及ぼすほど。
 他人の為でなく、彼女の為でもなく、ただ自分の為。
 自分の欲望の為。
 特別な人間の特別な存在になる為に。
 端から見てどれほどの狂気な行動であっても真理亜は止まらない。
 自分が特別になれないと知っているから。
 狭霧のように。
 そして、筒井のように。
 筒井は真理亜の知るもう一人の特別な人間だった。
 彼と関わりをもてば、狭霧も目覚めるのでは期待した事もあった。

『邪魔だよ、お前』
『あはは、お互い様だよぉ』

 体育館の影で交わした言葉が全てだ。
 アレはだめだ。
 狭霧を求めている。
 それではだめなのだ。
 なぜ、求めるのかは分からない。
 あるいは、狭霧が辻斬りを追うようなものなのか。
 あるいは、筒井自身が辻斬りを行う理由に関わるのか。
 理由は分からないが、その目的はいけない。

「狭霧」

 一階の階段裏。
 ちゃんとそこにいてくれた彼女に対して真理亜は微笑んだ。

 コレハ、ワタシノモノ。
 ダカラ、ダレニモワタサナイ。

 どこかで、ピシッと硬質な音が聞こえた気がした。






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