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欠落の代償−26page







「いない…か」

 階段裏を覗き込んで筒井はポツリと呟いた。
 彼女を呼びにいったはずの清里真理亜は次の受業まで帰ってこず、そして彼女自身も結局は戻ってこなかった。

「何かあったのかな?」

 嶺本狭霧は教師ですら従わせる事の出来ない問題児である。
 ただそれだけなら教師も放っておくのだろうが、彼女には放置しておけない危うさが漂っている。
 たとえ自分のような特別な人間でなくとも、そういったものは肌で分かるのだろう。

「そして、その特別な人間に対してもっとも有効な人間が」

 連れて帰ってくる事が出来なかった。
 それ自体は初めてではない。
 だが、そういった事が起き始めたのはつい最近だ。
 ちょうど辻斬りが出始めた頃。
 つまりは自分がきっかけなのだ。

「あはは。見つけた」

 視線を落として影のない笑いを漏らした。
 リノリウムの床を赤茶けた汚れが点々と付着している。
 まだ多少生乾きのそれの正体は一目で分かった。
 それはそうだ。
 自分が慣れ親しんだ色なのだから。

「目覚め始めたのかな? 嶺本さん。会いたいなぁ」

 呟いてから気付く。
 誰だ?
 誰の血なのだ、これは。
 血の量からみて大した傷ではないはず。
 もしも、彼女がやったのならやれれた方は大騒ぎするだろう。
 どこの学校の生徒だろうと、刃物で斬りつけられて暢気でいられる人間などいないはず。

「ただし、それは普通の奴なら、だよね」
「なにがぁ?」

 声は後ろから。
 筒井は振り向かない。
 その必要がなかったからだ。

「もう具合はいいの? 保険室に行ったって聞いたよ?」
「うん、全然おっけぃ」

 背後の気配は動かない。去る事もそれ以上近づく事もない。
 やれやれと肩を竦めて筒井は振り返った。
 案の定、清里真理亜はそこにいた。
 いつもと違うのは首のあたりに包帯が巻かれている所だ。

「とても平気なようには見えないけど?」
「えー、これは保健の先生が大げさなだけだよぉ。たしかに思ったよりも血がいっぱい出てたけど」
「へぇ。で、どうしてそんな所を怪我したの」
「どうして、て。転んだだけだよぉ? 狭霧を呼びにいった結果だからぁ、名誉の負傷だね。うんうん」
「へぇ」

 筒井は目をすがめる。
 そんなはずはない、転んでそんな場所に怪我をするものか。
 間違いなく彼女の対象になったのは目の前にいる女だ。

「分からないな…」
「えー、なにぃ?」
「どうして、清里さんは嶺本さんと一緒にいるの?」
「どうしてって」

 刹那の迷いもなく。

「それは」

 一点の曇りもなく。

「狭霧に殺してもらう為だよ」

 目の前の女は言い切った。
 ごくっと気付かずに喉が音を鳴らす。
 そして、ああそうかと思う。
 だから、彼女は自分の手を取らないのだ。
 誰かの手を取らずとも、すぐ近くに極上の獲物がいるのだから。

「普通じゃないね、清里さん」
「えー、普通だよ。ただ、他の人よりも特別になりたいって想いが強いだけだよ」

 それを普通じゃないって言うんだよ、そう心の中で告げる。
 だが、口をついてでたのは別の言葉だ。

「だったら、別に僕達は相反する存在じゃないんじゃないかな?」
「どうして?」
「僕は彼女と共に誰かを殺したい。君は彼女に殺して欲しい」
「誰かと共に、じゃ嫌なのよ。欲しいのはそんなものじゃない」

 声から舌っ足らずな部分が消えた。
 普段からトロンとした目がまっすぐに筒井を射抜く。
 変わった訳ではない。
 装う事をやめただけ。
 恐らくこれが本当の清里真理亜。

「あれはあたしのモノ。あたしだけのモノ。だからダレニモワタサナイ」
「彼女はモノかい?」
「どっちでもいい。あたしだけの特別になってくれるなら。あたしを特別にしてくれるならなんだっていいの」
「だったら、別に嶺本さんじゃなくてもいいんだ」
「ううん」
「どうして?」
「狭霧しかいないもの、あたしの特別は」

 どこが普通だって?
 筒井は心の中で嗤った。
 方向が違うだけ。
 今目の前にいる女もまた自分達と同じく…。

「特別は誰でもいい…はずだった。でも、あたしの特別に為れるのは狭霧しかいないって分かったんだよ。今までもこれからも永遠に狭霧しかいない」





 すでに放課後を告げるチャイムが鳴ってかなりの時間が過ぎた。
 校庭や文化部の部室がある棟はこの時間になっても人の声が絶えないが、逆に普通の教室などは閑散としている。
 狭霧は窓の外から見下ろせるグラウンドの生徒達と自分の立つ廊下の静けさを比べて、まるで別世界のようだと感じた。
 現実世界から異質な部分を切り取った異空間。
 …馬鹿々々しい考えだ。
 結局、窓の内も外も同じ世界だ。異質なモノなんてただ一つ、自分以外にありはしないのだ。
 分っているのなら、なぜこの世界から飛び立とうとしないのか?
 異端には異端の世界がある。
 血と狂気に彩られた、”焼けた殺人鬼”がいた世界。
 求めても届かないはずだった世界。
 だが、本当にそうなのか?
 本当に届かなかったのか?
 違う。そうではない。
 手を伸ばすフリをしていただけだ。
 本当はいつでもそこにたどり着けた。
 でも、そこには…彼女がいない。
 ただ、それだけの話だ。

「…開いてる」

 教室の扉に手をかけて確認する。
 開いているのは当然の話。
 職員室に鍵はおいていなかったのだから。
 狭霧はゆっくりと取っ手に指を掛けたまま、扉を横に開いていく。
 やや赤みのかかった陽光に満ちた教室の中で一人、机に突っ伏している女生徒がいる。
 そこは彼女の席ではなく、狭霧の席だ。

「真理亜」

 すぐそばまでよって恐る々々声をかけるが、すぐに目を覚ます気配はない。
 彼女は狭霧の鞄を枕にして寝ているのだ。
 結局授業をエスケープした狭霧が鞄を取りに戻ってくると彼女は読んでいたのだろうか?
 教室に戻れという言葉を無視した手前、起こすのは非常に勇気がいったがこのまま延々と放っておくと明日の朝になりかねないので、肩に手をおいて揺り起こそうとする。
 と、手に違和感を感じた。
 包帯だ。
 あの時の傷はそんなに酷かったのか?
 たしかに血は派手に流れていたが。
 意識せずとも手が包帯に触れた。
 微かな湿り気は血のせいではなく、寝汗を包帯が吸ったのだろう。
 指の先で触れているだけのはずが、指の腹で、そして手のひらの全体でと広がっていく。
 呼吸に合わせて微かに振動が伝わっていく。
 ふいに振動の質が変わった。
 目を覚ましたのだろう。
 真理亜はやや横無きのまま伏せた顔を上げずにいる。
 だが、それでも触れている手が誰のものか分るようだ。
 身動き一つしない。
 まるで、手のひらの上で身を預けきっている仔猫の様に。

「よく、寝てたね」
「…やっぱり、まだ寝不足だったみたいだねぇ。よく寝ちゃった」
「ねぇ」
「うん?」
「怒ってる?」
「少し」
「少しだけ?」
「なんとなく、戻って来ないんじゃないかと思ったから」
「…それじゃ予想、あたったわね」
「半分はねぇ」
「半分?」

 真理亜は顔の向きを変えて、下から狭霧を見上げる。

「うん半分。もう戻って来ないで向こう側にいっちゃうのかと思ったから。あたしを見捨てて」
「見捨てるなんて…あるわけない」
「うん、そうだねぇ…」

 言葉だけが空々しく響く。
 それでも包帯越しに伝わる温もりは暖かくて。
 それを無くしたくなくて。
 そして…。

「ねぇ、狭霧」
「なに?」
「あたし、欠けてる?」

 一瞬、答に詰まった。

「何を…言って」
「別に。大した意味はないけどねぇ。なんなく思っただけ」
「欠けてなんかいないわよ、真理亜は」

 嘘ではない。
 ただ、見えないだけで、何かが変化していると感覚が告げている。
 自分に見えるのは欠落。
 欠落以外の何かを見る事は出来ない。
 故に彼女は欠けていない。
 そう、今はまだ。

「…そっかぁ」

 納得したのか。
 それとも声に微かに含まれた動揺を感じ取ったのか、それ以上聞いてこなかった。

「どうするぅ?」
「ん?」
「帰る?」
「もう、大丈夫なの?」
「うん。充分寝たよぉ」
「なら、帰ろ」

 真理亜は身を起こして、狭霧に鞄を渡し自分の鞄を手に取る。

「あ、よだれ」
「え、うそぉっ」
「嘘よ」
「ああっ、悪い子発見っ!」
「こら。鞄の角は反則っ、痛いって」

 二人はじゃれあいながら教室を出た。
 鍵を閉める為に扉を閉める瞬間に見た教室は、夕陽に赤く染まっていた。





 殺す、ころす、コロス、ぶち殺す…。
 もはや怨念とすら表現してもおかしくない空気が狭苦しい空間に満ちている。
 このゲームセンターの店員はすでにどこかへ姿を消してしまった。
 当然だろう。日の光も届かないこの地下で殺気立った少年達に囲まれては逃げ出したくもなるだろう。
 怒りは伝染する。
 当初、比較的冷静だった者も、及び腰だった者も、いまや例外なく目を血走らせている。
 冗談にもならない。
 ふいをつかれたとかそういうレベルではない。
 2度も同じ相手にやられた。
 彼等には暴力が全てだ。
 それこそが自己主張であり、身の証であり、存在理由だ。
 そして、それを失った時、何も残らない。
 昨日、やられた連中のうちで、最初に辻斬りと遭遇した時にもいたのはたった二人。
 2度負けたのは二人だけ。
 だが、重要なのは自分達が属する集団が、2度も同じ相手に引けを取ったのだ。
 それは自分達の属するグループが、他の不良グループらに舐められる事につながりかねない。
 メンツもさる事ながら、もはやグループの死活問題だ。

 殺す殺すころすコロス…。

 彼等が口ずさむ呪いの言葉が彼等自身を縛っていく。
 もはや、ここには怒りで目が見えなくなった獣しかいない。






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