×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

欠落の代償−29page






 目の前を何かが跳ねた。
 小さく細長いそれが人間の指なのだと狭霧が気付いた時には、耳元に指を切断された少年の悲鳴が届いた。
 ドクッドクッドクッ。
 小さく強く、そして規則正しく、心臓は脈うっていく。それに無意識にリズムを合せ、爪先がトンットンットンッと地面を叩く。
 首筋に大気の濃度が濃くなる気配を感じて身を屈める。
 一瞬遅れて金属バットが罵声と共に通過する。
 身を起こし様に右腕を一薙ぎする。
 恐怖に引き攣った少年の表情に赤い線が引かれる。
 傷は浅いだろうが、顔面を切り付けられて正気でいられるような人間はそういない。
 悲鳴を上げて後ずさり、その後ろから切りかかろうとしていた少年の持つナイフに右肩を貫かれる。
 息を付く暇もなく、手にしていたナイフを振り向くと同時に投げる。
 背後から木刀を振り下ろそうとしていた少年は、かろうじて投げつけられた刃を手にした得物で跳ね上げる。
 恐怖は一瞬、相手が丸腰になったのに気付くと、勝利を確信した表情で一気に距離を詰めて木刀を振りかぶった。
 そして、狭霧が無造作に上げた手に無くなったはずのナイフが握られた時、信じられないといった表情のまま両腕を切り付けられ血の吹き出す傷を両方の手の平で押さえて蹲る。
 彼には理解できないだろう。
 自分が跳ね上げたナイフが相手の真上に落ちるなどという出来過ぎた偶然を。

「どうし…て」

 空いているほうの手にべっとりと張りついた返り血を見つめながら呆然と呟く。
 どれだけ野良犬、野良猫を殺す事が出来ても、人間には傷一つ付ける事すら躊躇われたのに。
 だが、それがまるで嘘のように手にした刃は躊躇なく肉の感触を伝えてくる。
 一際高い悲鳴にそちらを見れば、地獄のような有り様だった。
 両腕、両足を真っ赤に染めて地面に横たわっている少年にさらに何度も刃を突き立てている筒井。
 残った少年達もその行為を止める事も出来ず、恐怖に顔を引き攣らせている。

「筒井」
「やぁ、そっちも終わった?」

 その声にようやく気付いたかのように残った少年達は狭霧の方を向く。
 と、足元から悲鳴が聞こえ、そして遠ざかっていく。
 狭霧に両腕を切り付けられた少年が逃げ出したのだ。
 それが引きがねとなったように、狭霧の周りにいた少年達が我先にと逃げ出していく。
 筒井に襲い掛かった数人は、怒鳴って呼び戻そうとするがその声は恐怖に支配された彼等には届かない。
 やがて、残った少年達も顔を見合わせて、捨て台詞すら残さずに手にした武器を捨てて背を向けて逃げ出した。

「あーあ、かわいそうに」

 筒井は哀れそうに足元に声をかける。
 ここに残っているのは筒井と狭霧と、そして地面に横たわって呻いている少年。

「や・め・ろ…」

 途切れ途切れに。
 掠れた声で。
 彼は言った。
 狭霧は自分の血で汚れた少年の顔を覚えている。
 前に堤防の上で会った少年達の恐らくはリーダー格。
 金に染まっていたはずの髪も暗闇と血で見分けがつかず、あの日暗い怒りを込めて睨みつけた目は恐怖と絶望に染まっていた。

「やめろ? なにを?」

 分からないはずはない。
 これから行う方も。
 これから行われる方も。
 筒井が片膝をつきながらナイフの刃を地面に向けたまま、腕を上げる。その真下には少年の顔がある。

「やめ…てくれ」

 やめるはずがない。
 それは筒井という人間を理解していない彼にも分かっているだろう。
 まるでこれからレイプを行う強姦魔ですらここまで欲に染まった表情をしないだろう。

「誇っていいよ。君が僕の初めて、だ。何の取り柄もないだろう君が選ばれたんだ。本当ならとんでもない話だけど、慎重に時間をかけすぎたら共に進むべき人が道を誤るかも知れないから」

 ちらっと、横目で狭霧を確認する。

「僕が終わったら、次は嶺本さんの番だよ。大丈夫、僕が手伝ってあげるよ。すぐ終わらせるからこのまま殺しに行こう。今夜はパーティーだ。いい気分だから僕ももっと殺すよ。何人でも。だって、僕達はそういう存在なのだから。だから」

 かくん、と力が抜けたかのように腕が振り下ろされる。
 少年は眼前に迫る刃に為す術もなく、小さく溜息のような悲鳴を漏らして。

「…嶺本さん?」

 刃は少年の鼻先で止まっていた。少年は白目をむいて意識を失っている。
 下半身は失禁したのかぐっしょりと濡れている。

「なぜ?」

 筒井は聞いた。
 なぜ、邪魔をするのか?
 振り下ろした腕は狭霧の手によって阻まれていた。

「別にあなたが誰を殺そうとかまわない。けど」

 筒井の腕を掴む手に力を込めたまま、狭霧は淡々と続ける。

「私を巻き込まないで」
「巻き込む? 何を言って」
「あんな醜いものを私に見せないで」

 筒井の殺し方は不純だ。
 彼は楽しんでいる、傷つける事を。
 その歪んだ笑顔を見れば誰でも分る事だ。
 あの人ならあんな殺し方はしない。
 もっと純粋に、もっとシンプルに。
 人間をただの物のように扱い、ただの物体に変えていく。
 理屈も感情もなく、そこにあるのは無。
 だが、筒井が生み出したこの地獄は喜悦に満ちている。

「筒井。あなたは決して届かないわ。あの人に」
「な…に…を」
「もっと早く見ておくべきだったわ、そうすればこんなに気を揉む事もなかったかも知れないのに」

 今、目の前にいるのは三流。
 三流の殺人鬼。
 ああ、確かにどうかしていた。
 あのキレイな欠落と筒井の醜いひび割れを比べるなんて。

「ふ、ふざけるなっ!! 僕が届かなければ誰が届くと言うんだっ!?」
「誰も」
「な…んだと?」
「あんたには届かない。そして、私も届かない。私達は始めから欠陥品だったのよ。ごく普通の人としてじゃない、殺人鬼として、ね」
「そ、そんなはずはない。今だってキミが邪魔さえしなければ」
「殺せた? ただ、殺すだけなら誰でも出来るわ、違う?」

 筒井が言葉に詰まる。
 彼も見ているのだ。
 ”焼けた殺人鬼”が殺す様を。
 自分のそれとは違う事を否定出来ないのだろう。

「…さっき、私達と言ったね」
「ええ」
「だったら、嶺本さん。キミもそうなんだよ、キミも永遠にあの人に届かないという事だよ。そんな事、納得出来るのかい?」
「いいえ」

 きっぱりと即座に言った。
 納得など出来るはずもない。
 普通に生きる事が苦痛な人間でありながら、異端の道すらも閉ざされたという事だから。
 でも…。

「そうだ、出来るはずがないだろっ。キミも僕と同じの」
「同じじゃない」
「なんだって?」
「あんたにはあの人を目指すしかなかった。私もそう。ただし、それは3年前までの話。今は違うわ」
「何が違う?」
「この私を。人殺しを望むこの狂人を欲してくれる人がいるから」
「はっ、お笑いだね。そいつもまた僕達のような人種だろっ、違うかい?」
「違う…、いえ、もしかしたらそうかも知れない」

 確かに、変化の兆しを感じた。
 彼女もまた別種の異端なのかも知れない。
 だけど…。






© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved