DF−DarkFlame−-第四章-−16page
「え?」
恵はその光景を呆然と見つめていた。
網を破り、突き出されたのは黒い炎の翼。
片翼はすぐさま両翼になった。
炎の翼は健太郎の背から生えていた。
彼女はその光景を知っていた。
「あ、ありえない。消えろ、消えろ、消えろっ!」
放たれたのは通常の炎術。彼女の強みである火点の炎術ではない。
もはや正気の沙汰ではない。
あふれ出す炎気。それも知っていた。
なんでなんでなんでナンデナンデ──
「嘘だこんなの」
網の中、健太郎はまるでダメージがないかのように立っている。
健太郎の腹から獅子が顔を出した、それに呼応して翼も移動する。
獅子の頭と前半身、鷲の翼、馬の後ろ半身、蜥蜴の尻尾。
「食い破れ、僕の牙、炎術の《魔獣》よ」
瞬間、幾重の網は四散した。
その炎術を破られたダメージに耐え切れなかったのか、恵の膝がくずれる。
「もう終わり?」
冷淡な健太郎の声が闇に響き渡る。
「ひ、ひぃぃっ!!」
逃げようとする恵だが足がもつれて転倒する。
魔獣が一歩前へ進んだ。
恵が思わず腰をおとしたまま後ずさる。
「覚悟を決めたら? それとも逃げられるとでも? この僕から」
逃げられるはずがない。
【紅】の最強の矛。全てを貫く3巨頭が一角。
「……けて」
恵が小さく言った。声が震えていて良く聞こえなかった。
「なんて言ったの?」
健太郎が一歩踏み出す。そして、それにあわせて魔獣もまた一歩踏み出す。
「ひっ、助けてっ」
助けて?
誰が?
誰を?
「面白くもない冗談だね。逆の立場だったら、君は僕を見逃すなんて事はしないよね? いや、それどころか僕を糧にするつもりだっただろ」
沈黙は肯定の証か。
もう十分だ。
終らせよう。こんな悪夢は。
「食い──」
「健太郎っ!!」
え?
魔獣の牙が恵を引き裂く寸前で止まった。
智子がまるで見知らぬ存在をみるような目でこちらの方を見ている。
「健太郎、どうしたの? おかしいよ、あんた」
おかしい?
なぜ?
降りかかる火の粉は払う。
敵は倒す。
それがDF。
…違う。
違う違うチガウ。
そうだ。おかしいんだ。智子が正しい。
前畑健太郎ならそんな考え方はしない。
前畑健太郎ならば──
「ひっ」
凍りついたかのように動きを止めた魔獣の脇を恵が駆け抜けていく。
健太郎は手を出さない。すでに戦意を失っているうえ、ダメージにダメージを重ねて放っておいても長くは保たないだろう。器を替える力すら残っていないはずだ。
戦う必要はない。
そう、前畑健太郎ならば。
「智子、大丈夫?」
「…あ、うん」
智子を囲んでいた火花は消えていたが、健太郎が恵に甚振られている様子に耐えられなくなって抜け出そうとしたのだろう。
制服のあちこちがやけこげ、露出した部分に火傷の痕がみられた。
痛ましさに顔を背けそうになる。
「立てる?」
「ん、大丈夫」
智子は頷いて、健太郎が差し出した手を取った。
そして次の瞬間、呆気に取られたような表情で健太郎の背後に釘付けになった。
健太郎も咄嗟に振り向いた。
恵がいる。まだ逃げていなかったらしい。
だが、何か変だ。
何かが違う。
立ち尽くしたままの恵。
彼女は自分の右腕を、正確には右腕があるはずの場所を凝視していた。
そう、彼女の右腕の肘から先が消失していた。
「あ、あぁ…」
雷に打たれたようにビクンッと体を震わせ、彼女は屋上への出入り口に飛び込もうとした。
次の瞬間、恵の片足が消失した。
苦悶の表情を浮かべて彼女は地面に倒れ込む。
傷口からは血はまったく流れていない。
健太郎は何が起こったかほぼ正確に理解していた。
炎術だ。それも昇華した炎。具現型の炎術。
「な、何が…」
事態が把握できずに智子はただ呆然と眺めていた。そして、彼女を背に庇いながら健太郎は炎気を探っていた。
このスピードと破壊力を兼ね備えた炎術。
奴だ。奴が来ている。
「がぁ、ああぁ、うぁ」
地面に伏した恵は意識がないのか、体を痙攣させながら言葉にならないうめき声をあげる。
傷口からゆらゆらと黒炎が吹き出している。
「め、恵っ!」
「え?」
唐突に背後にいたはずの智子が恵に向かって駆け出した。
それはまったく予想していなかった。ともすれば自らを殺したかも知れない相手だったのだから。
だが、考えてみれば智子の行動は謎でもなんでもなかった。かつての親友が傷つき苦しんでいるのだ。
彼女は気付いていない。彼女の知っている吉田恵はもうどこにも存在しないのだと。
健太郎は咄嗟に彼女のあとを追った。
夜空を覆うような敵意の塊の炎気。牙翼、刃烈に並ぶ《紅》が3巨頭が一角。
間に合うか?!
「智子っ! 伏せてっ!!」
「え?」
智子の速度が一瞬落ちた。
健太郎が突き飛ばすのと、衝撃と砕かれたコンクリートの破片が襲い掛かるのは同時だった。
寸前に耳に届いたのは恵の断末魔。
「おのれぇぇぇぇ、樹連っ!!!!」
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