DF−DarkFlame−-第四章-−18page






 一撃。
 たった一撃だった。
 それだけでそこに残ったのはただの肉片だった。

「と、智子っ!!」

 健太郎の腕の中で智子はぐったりとして目を開かない。
 彼女の額には一筋の赤い線。コンクリートの破片の直撃を食らったらしい。
 慌てて体を揺するが目を覚まさない。だが、浅い吐息を感じてほっと一息ついた。
 そして、恵だったものの残骸から距離をとって智子をゆっくりとコンクリートの床に寝かす。

「見つけたわ」
「そうだね」

 寝かせた智子から離れて、健太郎は声の方へ振り向いた。
 落下防止フェンスの上。
 熱気で荒れ狂う風の中、微動だにせずに立ち尽くす人影。
 そのシルエットは女性のもの。
 見覚えがある。
 今日も学校の塀の外ですれ違った。
 いや、そうじゃない。
 知っている。彼女を知っている。
 今向けられている敵意の篭った視線を感じるのは始めてではない。
 以前は毎日のように感じていた。
 …【紅】に居た頃に。
 健太郎は名を呼んだ。

「樹連」
「久しぶりね、牙翼。随分と炎気が変わったわね。器が変わったせいかしら。この街で何度かあなたを見掛けたはずなのに…随分と間抜けだわ」
「…僕は牙翼なんかじゃないよ」
「器を換えたら別人ってわけ? 笑えない冗談ね。あの方の信頼を裏切ったくせに」
「君の目的はそっちか」
「そうね。あなたが【紅】から出て行こうがいまいが正直に言うとアタクシは興味ないわ。むしろせいせいするわ、あなたが目障りだったから」
「そうだったね、君は牙翼という存在を毛嫌いしていた」
「ええ、あの方の隣にいるのは私だけでいいのよ。だから、ただあなたが出ていっただけならわざわざこんな所まで出向きはしないわ」

 ゆらりと空間が震えた。
 健太郎の鼻先を何かがかすめ、足元のコンクリートが砕け散る。

「あの方はどこ? 刃烈はどこにいるの? 返答次第ではそこの愚か者と同じ末路を辿る事になるわよ」
「…彼女は【紅】のメンバーじゃないか。なぜ殺した?」
「おかしな事を言うのね。敵に命乞いをするような弱者は【紅】には不要よ。なによりもこいつの炎術、気にいらないのよ。なぜなら」
「似ている…から?」
「似ているもなにも。真似たのよ、刃烈の炎術をね」

 憎らしげに恵の方を睨む。と、彼女の残骸からふいに黒い炎が弱々しく昇る。

「たくっ、しぶとさだけは一級ね」

 樹連は腕を振った。その動きに連動して一条の閃光が恵の炎を打ち据える。
 それは黒い炎のムチ。それこそが樹連の昇華した炎、具現の形。高速で迫るそれは防ぐ事もかわす事も困難。
 そして今、恵が死んだ。正確には吉田恵なんて人間はとうにいない。今死んだのは恵に取り付いていたDFだ。
 そして、吉田恵がとうにいなくなっていた人間ならば、前畑健太郎もまた…。

「…今は考えるな」
「何?」
「いや…ただの独り言だよ」

 今はただ智子を守る事だけを考えればいい。
 …贖罪は全てが終わってからだ

「まぁいいわ。さっきも言ったけど、私が知りたいのは刃烈がどうなったのか。さっきも言ったように返答次第よ、私がどうするか。場合によっては幹部らへの報告を偽ってもかまわないわ。もちろんそれは刃烈が無事であった場合に限りだけど」
「僕の返す答は一つしかない」
「…へぇ? それは?」
「知らない。刃烈も牙翼の名も。僕は――」
「前畑健太郎…か?」

 最後の声は二人のうち、どちらでもなかった。

「俺はどちらでもかまわないがな。【燈火】にさえ迷惑がかからなければ」

 斬場と八識。いつからそこにいたのか。
 二人とも余裕ぶってはいたが、改めて感じる炎気は張り詰めている。当然だろう、敵対しているグループの三巨頭のうちの2名がこの場にいるのだから。

「すっかり騙されていた事になるのかしら?」

 ちらりと八識は恨めしそうにこっちを見るが、肩を竦めるしかない。
 騙すも何も、自分が何者なのか。いや、何者であったのかはさっき思い出したばかりなのだ。
 それに

「僕は…前畑健太郎です」
「そう。そうね、そうだったわね」

 智子を見て呟くと、八識は肯いた。そして、彼女と斬場は横たわったままの智子の前に立った。まるで守るかのように。
 樹連はそんな八識達を憎らしげに睨み付ける。

「邪魔をしようというの?」
「当然でしょ? 彼があなたが知るところの牙翼なら【燈火】への亡命者であるはず。すなわち我々の同士。守る義務があるわ」
「それに俺達のテリトリーに土足で踏み入った連中の事情など知った事ではない」

 斬場が炎術の《剣》を手にする。八識の足元から黒い炎が吹き出す。
 そして、健太郎の傍らで炎術の《魔獣》が低く唸り声をたてる。

「3対1って訳、ね?」

 挑発するように炎術のムチを宙に踊らせながら健太郎だけに視線を向ける。
 と、ふいにムチが霧散する。

「あきらかに分が悪いわね。いいわ、ここは引いてあげる」
「ほう、引いてあげる…か。こっちは引かなくても一向に構わないが、なっ」

 斬場が剣を一振りするとその軌跡を黒い炎がなぞり、さらに一振りするとそれは大気を切り裂く炎の刃と化した。
 樹連はそれをまるでうるさい蚊を振り払うがごとく、手でそれを弾く。

「な…に?」

 信じられないと言いたげな斬場に対して樹連はつまらなそうに言い放った。

「【紅】も堕ちたものね。この程度の連中を潰せないとはね」

 トンッとまるで階段の残り2,3段程度を飛ぶような感じで樹連はフェンスを蹴って後ろ向きにとんだ。
 そこの先にあるのは10数メートル下のグラウンドのみ。

「ちっ」

 斬場が追おうとするのを八識が手で制する。

「おいっ」
「やめておきなさい。相手を手負いにしてあるというのならいざ知らず、ね」

 まさか樹連がここまで強いなんて、と小さく付け足した。
 それに彼女にとって、今は樹連よりも重要な事があるのだろう。
 他でもない、健太郎の事だ。

「健太郎君、あなた――」
「待って下さい」

 問いただそうとする八識を手で制する。

「今は彼女を……」

 視線の先には横たわる智子がいる。
 八識もしばらく彼女を見ていたがやがてあきらめたようにため息をついた。

「…後で説明してくれるわね?」
「明日でも良ければ…。彼女の事もありますし、それに僕自身も少し混乱しています」
「隠していた訳じゃないという事、ね?」
「どこかで気付いてはいたのかも知れませんが、自覚したのはついさっきです」

 健太郎は智子の傍らに膝をついた。まるで、彼女に詫びるように。
 八識の差し出したハンカチを受取って、智子の額から頬に流れた血を拭っていった。

「でも、自覚したくはなかったです。僕が前畑健太郎ではないって事に」






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