DF−DarkFlame−-第六章-−1page






 夏休みが終わるまで後一週間もなかった。

「ほんと夏休みなんてあっと言う間だね」
「…そこ、遠い目で現実逃避してないで手を動かす。いくらなんでもまったく手つかずなんて何考えてるのよ」

 両手を組んで仁王立ちの智子に監視されながら健太郎は自室で夏休みの宿題にいそしんでいた。

「と、に、か、く。今日はノルマが終わるまで外出させないからそのつもりで」
「…たぶん、夜中までかかると思うんだけど」
「そう? がんばってね」

 にっこりと嫌に清々しく微笑まれ、健太郎はがっくりとうな垂れる。
 毎年の事なのでやっています等という嘘が通じるはずもなく。

「補習がなくたったと思ったのに…」
「何もしなかったあんたが悪い」

 ごもっとも。分ってはいるがいざその業が自分に降りかかると嘆かずにはいられない。

「ほらほら、全部終わらせないと海いけないよ。私の水着姿が見たけりゃ早く終わらせる」
「…はーい」

 YESともNOとも言えず、とりあえず机のグラスの中身を飲み干して立ち上がる。

「お代わりもってくる」
「…次は麦茶にしたら? アイスコーヒーばっかりで体に悪いわよ」
「ん? これしかないから」
「麦茶あるでしょ? 前に来た時に買い置きしたじゃない」
「パックの奴でしょ? 麦茶のモトはあっても作って冷蔵庫に入れておかないと飲めないよ」
「それくらい作りなさいよ」
「いいよ、こっちのほうが」
「…ちょっと昔まで苦いから飲めないとか言っていたくせに」
「いいだろ、別に」
「悪いとは言ってないわよ」

 智子はため息をついて健太郎から引っ手繰るようにグラスをとる。

「私が入れてくるわよ。あんたは気を散らさないでさっさとやる」
「はいはい」

 智子が出ていってドアが閉るとシャーペンを放りだして床に寝転がった。

「学校…か」

 自分は前畑健太郎を演じきれているのか?
 答が見つかるはずもないと分っていて自問する。
 どうやら智子の前では健太郎のままでいられる。
 だが、もっと大勢のクラスメイト達と共にいて誰かが不審を抱かないか?
 夏休みの終わりが近づくにつれてそんな不安が沸いてくる。
 記憶は完全とまではいかないまでも、引き継いでいる。
 だが、それだけだ。
 どこまでいっても自分はDFであって、人間である前畑健太郎ではない。
 もしその事を智子が知ってしまったらどうなるのか。
 考えるまでもない。ただ、憎まれるだけだろう。
 彼女が好きだったのは前畑健太郎という人間なのだから。
 そこで思考が唐突に打ち切られた。

「え?」

 距離は遠く、だが強く確実に伝わってくる。

「そんな…」

 それは炎気だった。
 しかもこれは戦闘時におけるそれだ。
 今、この街でそんな事を起こすようなグループ二つ。
 【燈火】と【紅】。
 思わず正気を疑ってしまう。
 こんな真っ昼間から?
 いや、それに関しては自分もそうだ。
 人気のない事を確認はしたが駐車場などという人が来る為の場所で戦闘を行った。
 だが、それも【燈火】の監視の人達を当てにしていたからだ。
 健太郎は炎気を感じた場所の窓を開けた。
 目に映ったのはいつもの街の光景。
 だが、遠目にも一瞬黒い閃光とも表現すべき何かが瞬いた。
 人がいないはずがない。
 その辺りはスーパーや雑貨の大型店等が立ち並ぶ朝から夕まで人の気配が絶える事がない地域だ。
 しかも、この距離で炎術を視認出来ると言う事はかなり大規模なものを使ったに違いない。
 …樹連?
 思わず浮かんだ名前をすぐに否定する。
 そんなはずはない。
 確かに彼女は刃烈の事が絡むと感情的にはなるが、同時にどんな時でも心の一部に冷静さを保つ事の出来るDFだったはずだ。
 こんな真似をすればいくら好戦的な性格のメンバーで構成されている【紅】とはいえ、なんの処分もないはずがない。
 ならば、別の誰かか?
 いや、誰であろうともこんな真似はめちゃくちゃだ。

「何が起こっているんだ?」

 思考が混乱していたせいで、耳届く電子音が電話の鳴っている音だという事だと気付くのに数秒かかった。
 そして、それはふいに途切れる。
 次の瞬間に耳に届いたのは悲鳴に似た叫び声だった。

「いい加減にしてっ!!」
「智子っ?!」

 反射的に身を起こして部屋を飛び出した。
 いったい何が?
 そう考えた健太郎は明らかに冷静さを欠いていた。
 落ち着いて考えれば分るはずだ。
 近くであれだけ派手な炎気を放ち、そしてその瞬間にかかって来た電話。
 そして、取り乱したと表現したくなるような智子の様子。
 まるで握り潰そうとでもしているがごとく手の色が青くなるほど力を込めて、智子はすぐ横にいる健太郎にすら気付いていない。

「…まだ、巻き込むつもりなの。健太郎はあんたたちの道具じゃないっ」

 声は震え、手も震えている。瞬きすらしない目はどこを見ているのか。

「智子」
「けんたろう…」

 声をかけてようやく気付いたのか、やっと智子の瞳に健太郎の姿が映ったようだ。

「電話貸して」

 ビクッと震えて咄嗟に手にしている受話器を抱え込むようにする智子。
 構わずに手を伸ばす。
 受話器に手が触れた同時にさらに智子がそれをぎゅっと強く抱え込んだ。
 健太郎の手が受話器と智子の腕、そして彼女の胸に挟まれる形になる。
 軟らかな感触と布を通じて感じる人肌の温度。

「大丈夫だから」

 安心させるように微笑むと、彼女は受話器を離すと健太郎の顔も見ずに小走りで部屋に戻っていく。
 それを無言で見送って、受話器を耳に当てた。

「もしもし」
「あ、健太郎君?」

 電話の相手は予想通りだった。

「すみませんでした、八識さん」
「いいのよ。悪いのは私達の方だろうし。それにちょっと今余裕がなくて言い方がきつくなってたのもあるでしょうしね」
「用件はさっきのアレですか?」
「…ええ。やっぱり気付いたのね?」
「やっぱりもなにも。あれに気付くなという方が無理です。それどころか」
「もはやあの付近にいたらDFじゃなくても丸分かりでしょうね。何せ建物ごと吹き飛ばすなんて真似をしでかしてくれたから、彼女は」
「やはり樹連なんですか?」
「現場にいた同胞は全て消滅したみたいだけど、恐らく間違いないでしょうね」
「…いったい、なぜ? いくら彼女が刃烈に関する事に関しては見境がなくなるとはいえ、こんな真似をすれば【燈火】と【紅】が全面戦争になってしまう。ただでさえ牙翼、刃烈が抜けている状態でそんな真似を【紅】が許すはずがない」
「事情がね、変わったのよ」

 電話から伝わってくる八識の声はどこか途方に暮れているようだった。

「【紅】から和解の申し出があったのよ」
「…はぁ?」

 まったく予想外の言葉に思わず間の抜けた声が漏れた。






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