今日の勉強会はキャンセルになった。
さすがに殺されかけたのだ。集中できない。
言い出したのは修平で、美月もそれには納得した。
「ただし明日のデートはキャンセルなしね」
そう念を押されたのには苦笑した。
そして、今何をするでなくベッドで横になっている。
命のやりとりがあったばかりだというのに、こんなに暢気にしていられるなんて世の中って不思議なものだ。
ふと、耳がチャイムの音を捉えた。
たぶん、セールスか新聞の集金だろう。
そう思っていたら、階下から母親の声が聞こえた。
「修平、亜矢ちゃんよ」
ガバッと跳ね起きて、玄関の外に出るとそこにはまだ制服姿の亜矢がいた。
「どうした? 話があるなら中で聞くよ。風邪ひくぞ」
「ううん、ここでいいよ。聞きたい事があるだけだから」
「聞きたい事?」
「美月先輩と付き合ってるのって、フリをしていただけって本当なの?」
問われて一瞬考えた。
加太はあれだけ健二にやられたのだ。もう美月に手を出す事はないと考えていいだろう。
そうなれば、亜矢に隠す理由もない。
「ああ、今日の騒ぎを起こした奴。加太って言うんだけど、あいつのストーカー対策の為に俺と美月が付き合ってる事にしたんだ。
まさか、あんな事になるとはおもわなかったけど――おっ、おい」
亜矢は泣いていた。
「まだ、間にあったんだ。逃げなきゃ良かった。思い切って好きって言えば良かった。
もっともっと早くにしゅーちゃんに告白してれば間に合ったんだ」
泣きながら自嘲の笑みを浮かべている。
思わず手が伸びた。
が、その手から逃れるように亜矢は下がった。
「でも、もう遅いんだよね。悪いのは私。待ってばかりいて行動しなかった私が悪いんだ」
そして、深々と頭を下げた。
「困らせてごめんね。もう言わないから」
そして、踵を返して去っていった。
「亜矢……」
しばらく、伸ばしたままの手がそのままになっていたのに気付かなかった。
ずっと、幼馴染で妹的な存在だった亜矢。
それが、今日はじめて一人の女に見えた。
修平は部屋に戻って再びベッドで横になったが、頭に浮かぶのは美月や加太ではなく今まで亜矢と過ごした思い出だった。
馬鹿馬鹿しいもの。
恥ずかしくて人に話せないもの。
楽しかったもの。
そして……愛おしいと思ったもの。
認めよう。自分は亜矢を好いている。
あまりに身近すぎて気付かなかっただけだ。
だけど皮肉だ。美月と付き合う事になって初めて気付いた。
美月と付き合わなければ、ずっと幼馴染の関係だったかも知れない。
だけど、分かってしまった以上、誤魔化す訳にはいかない。
明日、美月に別れを告げよう。
待ち合わせ場所には30分早くついてしまった。
修平は昨晩、別れの言葉を考えていたが結局一睡もしないうちに朝を迎えた。
ただ、一つ悟った事がある。
そんな便利な言葉など在りはしないのだと。
どれだけ非難されようと、自分の今の想いを語るしかない。
そして、待ち合わせ時間まで残り10分位で、車道を挟み反対側の歩道に居る美月の姿を見つけた。
向こうもこちらに気付いたらしく嬉しそうに手を振っている。
もう少ししたら歩行者信号が青になる。
そうしたら、美月は勢いよくかけよってきて抱きついてくるだろう。
拒めるのか? 本当に美月を拒めるのか?
自問するが、答えは見付からない。
そして、それが気付きを遅らせた。
美月の後ろ。
異様な目つきの男がいる。
加太だ。
嫌な予感が全身を走った。
「っ!!」
警告を発するよりも早く、それは起こった。
美月は何が起こったのか、きょとんとしている。車道の中央で。
加太が突き飛ばしたのだ。
そして、そこへ大型トラックがブレーキ音を鳴らしつつ突っ込んできた。
美月の顔が恐怖に染まり、逃げようとする。
たぶん、一生わすれないだろう。
肉をひき潰す音。あちこちから聞こえる悲鳴、アスファルトの血溜まり、狂った男の笑い声、救急車のサイレン。
修平は何故か悟った。
この光景が一生自分の心を傷つけるだろうと。
そう、それはまるで見えない有刺鉄線に縛りつけられたように。
第一章 完