あおいうた−第一章 緑と青 第10話






「美澄先輩?」

 やはり様子が変だった。それは玄関でも感じていた。
 まるで何かを疑うような。いや、そんな生易しい目ではなかった。良縁の全てを疑ってかかっているような、そんな目だ。

「なんで?」
「え?」
「なんで、あんたがその歌を歌ってんの?」
「歌って、『オールグリーン・オールブルー』?」
「そうよっ。なんで『姫』の歌を歌ってんのよっ!」
「ちょ、ちょっと。落ち着いて美澄先輩。俺が歌えるのは蒼一先輩からよく聞いてるからですわ――」
「昼休みの音楽室で?」
「?!」

 なぜ、それを知っているのか。
 別に隠している訳ではなかったが、少なくとも真治以外には話していない。

「噂になってたのよ。『姫』が新しいオトコを見つけたって。興味本位で見にいってみたら、あんたがいるじゃない」

 音楽室から出た時に聞いた足音。あれは美澄だったのか。

「あんた分かってる? 『姫』は普通じゃないって。あいつはオトコと寝る人間だって事。あいつみたいな変態――」
「美澄先輩っ!」

 少しずつ蒼一をけなす声が大きくなりつつあるのに耐え切れず、良縁は遮った。

「やめて下さいや。美澄先輩からそんな言葉聞きとうないですわ。それに蒼一先輩は何にも悪うない。俺がお願いして歌ってもらってるんです」
「あんたっ、自分が何言ってるか分かってる?! あいつと私、どっちを取るのよっ!」「なんでそんな話になるんですかっ。俺はただ、あの人の歌が好きなだけ――」

 乾いた音が響いた。
 叩かれた頬を良縁が呆然と押さえていると、真っ赤な顔で美澄が出て行こうとする。
 引き止めるべきだ。
 良縁の冷静な心がそう告げる。
 しかし、玄関が乱暴に閉められる音が届くまで一歩も動けなかった。
 そして、一歩々々まるで怪我をしているかのごとくゆっくりとロフトの階段前まで移動して、段差に腰を降ろす。

 あの人の歌が好きなだけ。

 本当にそれだけ? ならなぜ美澄を引き止めない?
 美澄との交際は、彼女からの申し出で。半ば強引に押し進められた。身体の関係も。
 だから言われるまで自覚がなかった。
 自分が蒼一に惹かれているという事を。





 夜道を早足で歩きながら携帯のディスプレイから目的の相手をタップする。

 あいつならこの時間に寝てるはずがない。

 付き合っていたのは半年ほどだったけど、人間はそんなに自分を変えられない。
 数コール後に相手に繋がり不機嫌そうな声が聞こえた。
 相手の気分が悪くなるのは承知していた。
 振った相手から電話がくれば誰だってそうだろう。
 だが、そんな事にかまってられない。

「力也。お願いがあるの。頼みを聞いてくれるなら」

 そこで美澄は一呼吸おいた。

「一晩だけなら、あんたと寝てもいいから」

 相手の困惑が声から感じとれる。
 自分が相手を知っているのと同じくらいには、相手も自分の事を知っているのだから。

「『姫』を潰してほしいの。今付き合ってる男に絡んでるの」





 校門前で大きな欠伸が漏れた。

「眠そうだな、良縁。寝不足か?」

 真治の質問に。

「昨日、寝てないねん」

 まぶたを擦りつつ良縁が答える。

「なんでまた」
「まぁ、色々と」
「それじゃ、分かんないだろ」

 さらに聞き出そうとして、二人の脇を良く知ってる人物が無言で通り過ぎていった。
 美澄だ。
 いつもなら良縁に抱きついている所だが、それどころか大柄な体格が見えないかのようだった。
 そして、良縁もまたそんな美澄に声をかけない。
 真治はため息を一つついて。

「昨日、何かあったか?」
「家にきて蒼一先輩の事を問い詰められた……」

 思わず額に手をやる。
 いつか、何かおこる。そんな漠然とした予感はあった。
 見事に的中した訳だが、うれしいはずもない。
 昇降口で上履きに履き替え。

「ちょっとこっち来い」
「え、ちょっと、どこいくねん」

 狼狽する良縁にかまわず、自分達のクラスからはどんどん離れていく。

「おい、真治?」
「いいから、黙ってついてこいっ」

 初めてかもしれない。良縁に向かってこんな強引な態度は。
 それに驚いたのか、それ以上良縁は口答えなくだまってついてきた。





 連れて来られたのは校舎の端の空き教室だった。
 本来は戸に鍵がかかっててしかるべきだが、必要に応じてここから机やイスなどを出したり逆に余った分を置いたりと倉庫化していて、普段から鍵が開いているのだ。

「で、なんやねん。もう予鈴なるぞ」

 戸を閉める前に誰もいないのを確認してから真治が問う。

「お前、本気か?」
「何がやねん」
「……『姫』に本気かって聞いてる。何が本気かって説明も必要か?」
「………………」
「何故だ。何故『姫』なんだ? お前には美澄先輩がいるだろう?」

 良縁は答えを探した。
 真治はたぶん、うすうす感づいている。
 何度も警告してくれた。それを無視したのは自分だ。

「こっちが――」
「え?」
「こっちが教えてほしいわ」

 それは掠れた声だった。小さな声だった。
 しかし、言葉にした瞬間、良縁のなかでくすぶっていたものが爆発した。

「理由なんかしらんわっ。気が付いたら好きやったわ」






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