あおいうた−第一章 緑と青 第09話
いつの間にか、こういうのが当たり前になってきたな。
音楽室で『オールグリーン・オールブルー』を歌いながら、蒼一は良縁を見た。
彼は椅子に座って心地よさそうに聞いている。
ずっとこの歌ばかりを歌っている訳ではない。ブラウンの曲ならほぼ暗記しているので適当にチョイスして予鈴がなるまで歌っている。
もっとも、最初に歌うのは『オールグリーン・オールブルー』と決まっている。
初めは壁にもたれて歌っていたのが、今では教壇前で立って歌っている。
それは場所と相手こそ違え、かつてあった光景。
胸を刺す針のようなものが罪悪感だと気付いた時は、まだそんなものが残っていたのかと少し驚いた。もう堕ちるところまで落ちたと思っていたのに。
良縁をあの人の代わりにしているのか?
自問するが、良く分からなかった。
ただ、彼に請われて歌うのはとても気持ちが良かった。
予鈴がなった。
つかの間の幸福な時間もここまでだった。
「はい、今日はここまで」
蒼一が柔らかく微笑んでそう言った。
ここに通ううちに良縁と打ち解けたせいだろうか? どちらかと言えば感情を表に出さなかった蒼一が、よく笑顔を見せるようになったのは。
「あ、蒼一先輩。それ、シミなってるんやないですか?」
ふと、良縁は気付いて指差した。
左の袖口から除くリストバンドが変色している。以前のナポリタンのソースのせいだろう。
蒼一も当然気付いていたようで。
「ああ、結局洗っても落ちなくてね。目立つものでもないしそのまま使ってる」
「落ちないんやったら、新しいの買いません?」
「え?」
「ほら、俺。筋トレ用品のモニターしてますやん。週末毎にレポートをスポーツジムに提出してるんですけど、そこスポーツ関係の小物を結構置いてますねん。リストバンドも確か結構おいてましたよ」
「新しいのか……」
蒼一は少し考えていたようだったが。
「そうだね。そろそろ新しいものにかえた方がいいかもね。週末に場所を案内してくれるかな?」
「前に食事をしたところの近くなんですけど、念の為に携帯教えてもらえます?」
「いいとも」
そして、携帯番号を交換する二人。
「おっと、授業に遅れるな」
「あ、そうですね」
良縁が先に音楽室の外に出て、ふと眉を潜めた。
後から出てきた蒼一が、良縁の様子に気付いたのか聞いて来る。
「どうした?」
「いや、何か足音が聞こえたような」
「別に不思議じゃないよ。昼休みに利用する生徒が少ないだけで、まったくいない訳じゃないからね。僕達だってそうじゃないか」
「それはそうですけど」
それにしては、まるで逃げるような足音だったような……。
内心首を傾げつつ、良縁はそれ以上の言及はしなかった。
全ての授業が終わり、帰る為に学校を出た時、良縁が振り向いた。
二年校舎だ。
真治はため息をついた。
今日の昼休みも食堂を早く出て行った。
「朝言ったばかりだけど、『姫』に深入りしすぎるなよ」
反論が来るとばかり思ったが、良縁が困ったように頭をかいていた。
「あー、週末。買い物に行く事になった」
「……泥沼じゃないか」
何やってんだ、こいつ。
それ以上言及しようとして凍りついた。
美澄がこちらを、いや良縁を見ていた。いつになく冷たい視線で。
相変わらず二年校舎を見たままの良縁は、先に校庭に出ていた美澄に気付いていない。
いつもなら良縁に飛びついてくるはずの彼女。しかし、美澄はそのまま早足で立ち去っていった。
真治は嫌な予感がしてならなかったが、警告の言葉はでなかった。
美澄は良縁の彼女なのだ。第三者の真治が何を言えようか。
インターホンが鳴った。
誰だ?
もう遅い時刻。筋トレ用品のモニターでかいた滝のような汗をタオルで拭きながら、玄関に向かった。美澄なら合鍵で入って来るはずだから、セールスか何かだろう。そう思ってドアの鍵を開けた。
美澄だった。
「……なんでわざわざインターホンなんか」
「気分、中に入れて。寒いから」
「どうぞ」
心なしかいつもの美澄っぽくなかった。
何かあったんかな?
そう思いながらも美澄から言い出さないなら聞かない事にした。
そして、そのまま脱衣場に直行する。
どうせこのままいつものパターンだ。
着ていたジャージも下着も脱衣場で脱ぎ捨てて、バスルームに入りシャワーの栓を捻る。
身体をべっとりと覆っていた汗が熱湯に流されていく心地よさに身を任せ、『オールグリーン・オールブルー』を歌う。
他の曲はともかくこの曲だけは毎日のように聞いていたので、歌詞はもう暗記出来ている。意味のほうは今ひとつだが。
汗を一通り流し終わって、バスルームを出てバスローブを羽織る。
脱衣場を仕切っているアコーディオン式カーテンを開けると、そこに美澄がいた。
固い表情で。
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