あおいうた−第二章 白と黒 第02話






 ……なんだ?

 シャワーから出た蒼一はアコーディオンカーテンを閉め忘れたせいで、困惑してこちらをみている良縁の顔をすぐさま見るハメになった。
 裸を見られるのは今さらだが、それでも行為以外で見られるのは何故か恥ずかしく、バスローブを羽織る。
 
 うわっ、こんなところにキスマーク付けやがって。

 心の中で頭を抱えながら、帯を結ぶ。

「なんだ? 電話なんだろ?」
「えっと、蒼一に」
「……まて、それはキミの携帯だろう?」
「そうなんですが。金石さんって知ってはります?」

 金石? なんであいつが良縁の携帯に?

「前に鶴沢さんと一緒に僕を公園に連れていった連中がいただろう。あの時のリーダー格の奴だ」
「ああ、なるほど。美澄先輩の携帯からなんですわ。デート中にかけてきたんやないですやろうか?」

 デート? 恐らくあの時の鶴沢さんと金石の様子じゃ、以前は付き合っていたんだろうけど、そう簡単にヨリを戻せるものか?

「とりあえず代わってくれまへんか。蒼一の携帯番号教えろ言われて、一緒におる言うたら代われの一点張りなんですわ。なんか深刻そうやし」

 状況は良く分からなかったが、確かに金石からの電話を良縁に聞いてもらっても仕方ない。

 携帯を受け取って耳に当てる。微かに良縁の体温が残っていた。

「僕だ、金石」
「やっと代わりやがったか。一大事だってのに」

 一大事?

「それは鶴沢さんとヨリを戻した事か?」
「冗談言ってる場合じゃねぇ。『アイツ』が戻って来てる」

 あいつ?

「何の事だ?」
「3年前、あれだけ派手にもめたクセに。忘れたのか?」

 ……え?

「まさか……そんなはずは」
「顔が似てるとかそんなじゃねぇ。お前が別れ話で切りつけた痕もしっかり残ってたよ」
「なんで、いまさら」
「こっちが聞きてぇ。いや、やっぱり聞きたくねぇ。関わりたくねぇからな。だが、偶然近くを寄っただけなんてのはありえねぇ。お前の前のオトコだからな」

 あの人が来ている? そんな馬鹿な。だったら、あの別れはなんだったんだ?

「蒼一、大丈夫か。顔色悪いで」

 隣にいるはず良縁の声が遠く聞こえる。
 悪夢だ。やっと見つけたんだ、あの人を忘れさせてくれる彼を。
 また繰り返しなのか?

「繰り返すんじゃねーぞ」

 まるで心を見透かしたような力也の声。

「お前の中のバケモノは閉まっとけ。その為に美澄のオトコを奪ったんだろう。いまさら3年前から進歩してねぇとは言わせない」
「金石……」
「俺からはそれだけだ。じゃぁな」

 そして通話が切れた。

「蒼一? なんの電話やったんや」
「なんでもない」

 押し付けるように携帯を良縁に返した。

「なんでもない事ないやろっ。そんな真っ青な顔して」
「なんでもない。なんでもないんだ」
「蒼一……」

 信じて貰えない事なんて分かってる。
 でも、蒼一にはそう言うしかなかった。





 駅から少し離れた吊り橋、その歩行者用通路で初めて彼と出会った。
 まるで今にも飛び降りそうな、まるで死にとりつかれているような雰囲気に、声をかけずにはいられなかった。
『オールグリーン・オールブルー』、かつてそうであったように、今もまたあの歌を彼は歌っていた。

「蒼一」

 声をかけると彼は歌を止めて振り向いた。昔なら歌を止める事なく振り向いていた。

「久しぶり、白仁」

 その表情からは何も伺えない。
 偶然ここにいた訳ではないだろう。何らかの理由で自分が戻って来た事を知って待っていたのだ。

 ……少なくとも、俺がここに来る程度には心に残っていた訳か

「その傷。思ったより残ったね」

 言われて、反射的に頬に触れる。

「だいぶ縫ったからね。まぁ同僚からは凄みが出て良かったとか言われたよ。迫力に欠けてるらしいからね、俺の顔は」
「否定はしないよ。一時でも心を許したのはその顔も一因だったと思うよ」
「酷い事言うなぁ」
「酷い? 酷い事言ったのはどっちだ?」

 言葉は切りつけるように。だが、その表情は変わらない。氷のような仮面を被っているようだ。

「妻とは別れた」

 それは切り札だった。
 歓迎されるとは思っていなかった。だが、会えば罵られる、いやあの時の再現になりかねないと覚悟の上だったが。

「そう」

 彼はあっさりと流した。



 

「なぜ、戻って来たの?」

 良縁の目を逃れるようにマンションを出て、ここに来たのはこの一言の為だ。

「なぜも何も。あの栄転は妻が大手取引先の重役だったからさ。離婚した今、会社にとって僕は元の価値に戻っただけ。いや、マイナスかな。本来なら左遷なんだけど、元の支店以下の場所がなかっただけさ」
「なぜ、ここに来た?」

 抑えようとしても無駄だった。
 心の中のバケモノがかま首をもたげた。
 背後に回した右手にはバタフライナイフ。音を立てないようゆっくりと開いていく。

「俺が電話してもキミはでてくれないだろう? あんな事があったんだ、学校や寮に近づけないし。そもそも、キミが別の高校を受験している事だって考えられる」

 血が黒くなっていく。僕の中のバケモノはこいつの言葉を黒いナニカに変えていく。
 言い訳はまだ続いていたが、もはや意味が頭の中に入って来ない。ただ、僕の中を黒く染め――。
 溢れた。

「?!」

 ナイフを振るう腕が止まった。よく知っている大きな手が手首をつかんでいた。

「ダメだ。蒼一」
「良縁、どうして……。そうか、つけてたのか」
「すんません。けど、どうしても気になって」
「謝るな。悪いのは僕だ」

 手首のスナップを利かせてバタフライナイフを折りたたむ。
 良縁が手を離すと、蒼一はナイフをポケットに閉まった。

 しかし、良縁の事に気付かないとは……。よっぽど、僕はバケモノに支配されていたらしい。

 その良縁は蒼一の前に立ち、白仁に対して言った。

「今日は引いてもらえませんやろか」
「キミは誰だい?」

 疑問は良縁に対してだが、視線は蒼一に向いていた。
 だから、蒼一が答えた。

「恋人だ。付き合ってるんだ」






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