あおいうた−第二章 白と黒 第03話
駅構内のベンチで待っていると良縁が缶コーヒーを両手にもどってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
缶のプルタブを引くと缶コーヒー独特の甘い香りがした。
「さっきはほんまにすんません」
申し訳なさそうに大きな身体を精一杯縮めて頭を下げるその姿は微笑ましいが、それを笑える立場じゃない。
「謝るなと言っただろう? 外の空気を吸ってくるなんて、書置き一つで部屋を出る方がどうかしてる」
「……金石さんからの電話って、さっきの人の事ですか?」
「ああ、あの人を見かけたって聞いたんだ。あの人との関係については説明はいるかな?」
確認するような言葉だが、蒼一は話す気でいた。
いや、本当ならもっと早くに話しておくべき事がらだった。
「彼は宇賀白仁。3年前に付き合ってた。……いや、そんなんじゃないな。生まれて初めて心を開いた人だった。
男だからって関係なかった。周りから『姫』と揶揄されても気にならなかった。ただ、あの人に夢中だったんだ。別れるまで」
「別れた理由。聞いてもええですか?」
「……結婚。普通に考えたら真っ当な理由かも知れない。男と女、その組み合わせが普通なんだ。
だけど――」
だったらなんで、僕にやさしくしたっ。なんで僕を抱いたんだっ?!
それは言葉にしなかった。
だけど、良縁には伝わっただろう。
「彼の頬の傷跡は見た? あれは別れ話の時に僕がつけた。派手に出血して、僕もあの人も、僕を止めた金石も血まみれになったよ。本当に金石には特大の貧乏くじを引かせてしまって申し訳なかったね。あいつはほとんど関係なかったのに巻き込まれて」
「でも、結婚で別れたんならなんで今さら――」
「離婚したそうだ」
良縁が言葉を失っている。それはそうだろう。
別れ話に切りつけるような相手に対して、離婚したからヨリを戻そうなんてそんな発想が出来る人間なんてそうはいない。
……別れる前なら、そんな所も長所に見えたが。
「とりあえず。隠し事をするななんていいませんから。黙って行動に移すのだけはやめてもらえます? さっきのは肝が冷えました」
「ああ。……すまなかった」
蒼一は隣に座った良縁にもたれて体をあずけた。
蒼一の青い目から涙が零れていた。
その肩を抱いて良縁は言った。
「本当に好きだったんですね。あの人の事」
「違うよ」
「違うなら、たぶんそんな風に泣けませんよ」
「そうかな?」
「憎しみは愛情の裏返しって聞いた事があるけど、蒼一もそうだったんじゃないですか。ちょっと行動が過激すぎやけど」
相変わらず涙を流しながら目を伏せる。
「すまない」
「何を謝るんですか? 蒼一が昔に誰を好きだったかなんて、何も悪くない事でしょ。少し妬けるんは否定しませんけど」
蒼一が缶をベンチの脇に置いて、身体ごとあずけてくる。
良縁は自分自身の為に筋トレをしていた訳ではない。だが、今は恋人を受け止められる厚い胸板に感謝していた。
どれくらい意識を失っていたのか。
蒼一は良縁のベッドの上で意識を取り戻した。
空調は強めになっており、裸でも肌寒くない。
記憶の糸を手繰ると、意識を失った原因はすぐに思い出せた。
ここで、ひたすらに良縁を求め続けた。ただ、それだけだ。限界なんて気にせずに狂ったように貫かれる快感に身を任せた。
隣ではバスローブを羽織った良縁が眠っていた。すでにシャワーを浴びた後なのだろう。顔を近づけるとシャンプーの香りが微かにした。
隣で行為の後の人間が眠っていたら、自分だけ洗っても意味ないだろうに。
蒼一の身体は自身のものと良縁の体液にまみれていた。
恐らく、蒼一を気遣ったのだろうが、お人好しすぎる。……それが一つ下の恋人に惹かれる点でもあるが。
蒼一は良縁に気付かれないようにベッドを離れた。
ロフトからリビングに降りて、バスルームでシャワーを浴びる。お湯で後ろがヒリついたが、まぁ行為の代償というヤツだ。
シャワーを止め、軽く身体を拭いてからバスローブを羽織り、頭をバスタオルで拭きながら脱衣場を出ると、自分の携帯に着信のランプが点灯しているのに気付いた。
シャワーに入る前は何もなかったはずだ……。シャワー中にかかってきたのか?
蒼一にはメールでやり取りをするような親しい相手はいないし、シャワー中にかかってきたのなら『オールグリーン・オールブルー』の着メロが聞こえて来るはず。
電話がかかってきたのに、着メロが鳴らないケースは一つだけ。着信拒否の相手からかかってきた場合だ。
そんな相手は一人だけだ。
良縁のものの隣に置いてある自分の携帯を充電器から取り上げる。
ディスプレイを見ると思ったとおりだ。
『白仁』
3年振りか。ディスプレイにこの名が出るのは。
さて、僕はどうするべきか。
これを無視するのは簡単だ。昔の事をなかった事と斬り捨ててしまうは楽な事だ。
だが、蒼一の脳裏に浮かんだのは鶴沢美澄の事だ。
彼女にとって良縁は蒼一に横取りされたようなものだ。
なのに彼女は別れを自ら告げた。
逃げていても始まらない。いや、終われない。
携帯を操作して、表示を消していた白仁の設定を表示に変えて、通話ボタンを押した。
© 2013 覚書(赤砂多菜) All right reserved