四分割の魔女−第一章 −護送屋−
黄色と赤茶けた景色が続いている。岩と砂だけが延々と続く砂漠。
乾いた風は砂を舞い上げ、霧のように視界を遮る。
そんな不毛の地を通る一行がいる。
先頭を行くのはクエイクフット。馬が絶滅した今、鳥走行種恒類のピックと並び、人間の足代わりとしてなくてはならない存在の竜種恒類である。
その名の由来となった大きな体格の割に温厚で、利口である。さすがに人間並みとまではいかないまでも、ある程度の言葉を理解出来る。
見かけは竜種蓄温類の代名詞であるトカゲに似ているが、頭部後ろから尻尾手前まで続くたてがみと、目の後ろにピンと張った三角の耳が違いを主張している。
金のたてがみと、金のたてがみに白い房がところどころにまじった二匹のクエイクフットが幌付きの荷車を引いている。かつては馬車と呼ばれていたそれは、馬が絶滅しクエイクフットがその代わりとなって以降は竜車と呼ばれていた。
竜車の御者台に乗っているのは十代後半の少年だった。クエイクフット達が耳を右へ左へと傾けている様子に口角を上げる。それは彼らの機嫌の良い印だった。
と、今度は竜車の中から不機嫌な声が聞こえて来る。
少年は眉を潜め、ため息をつくが後ろを振り向きもしなかった。
「もっと揺れないように運転できないのか! 座っているだけで腰を痛めそうだ!」
この下手くそめと破棄捨てるような言葉を聞き流し、少年はさらりと言った。
「なんだったら、ここから歩いてくれてもいいぜ。方角は太陽か、星座で分かるだろ」
言葉の主が押し黙った。それは少年の言葉が死ねと言っているも同然だったからだ。
地図も土地勘もない地で置き去りにされるという事はそれほど恐ろしい事だ。灼熱の昼、酷寒の夜。例え、街やオアシス集落が徒歩数日程度にあっても、砂漠での生存術に長け、必要最低限度の装備でもない限り、生き延びる術はないと言っていい。
そして、少年がそれを実行しても罪に問われない。なぜなら少年は護送屋。罪を犯した囚人を囚人収容施設、あるいは流刑地まで護送するのを生業にしている。彼らには、従わない囚人を処罰する権限が、革命軍政府より与えられている。
そして、竜車の中にいるのは、一人残らず囚人である。それもマナ盗掘という第一級犯罪、すなわち重犯罪者である。政府の役人は一人二人減ったところで眉一つ動かさないだろう。
「なぜ、マナクラフトを使わない」
別の声が届く。
少年は眉を潜め、振り向いて竜車に前方にある格子付きの窓から、中を覗き込んだ。発言の主はいかつい顔や、大柄な体格の多い囚人達の中にあって、細身というよりは痩せこけた場違いのような男だった。
「この竜車。みかけは古いように偽装されているが、複数のマナクラフトが装備されているようだ。このレベルならウェーブキャンセラーはあると思うが」
ウェーブキャンセラーとは振動を中和する機能の事だ。少年はおとがいに手を当てた。男の言うように確かにその機能を持ったマナクラフトは装備されている。だが――。
「悪いね。貴重なマナを囚人如きの為に無駄遣いしたくないんでね」
相手に見えるかどうか分からないが、少年は肩を竦めて前へ向き直った。
「ねぇ、あんた」
少年は前を向いたまま、語りかける。
「オレの事か?」
返ってきたのは、先の痩せた囚人の声だ。
「ああ、マナクラフトに詳しそうだけど。名前は?」
「ウノだ。お決まりの台詞のようだが、相手に名前を聞く時は――」
「自分から名乗るのが礼儀、だってか?」
少年は男の言葉を遮って言った。
「確かにそれは正しいな。オレの名はフェンだ、よろしくな」
かつて魔法文明と呼ばれる文明があった。
ウィザードと呼ばれる支配層と、それ以外の被支配層である平民から成り立つ文明であった。
ウィザード達は万物に宿る万能エネルギー、マナを自在に操る能力と技術を持っていた。これは先天的な才能であり平民との違いを明確に線引きし、その支配は磐石なものであるかのように見えた。
だが、ある時を境にマナは急速に枯れ始め、そのマナを拠り所とするウィザード達は大混乱に陥った。マナは万能でこそあれ、無限ではなかったのだ。
そして、ウィザードの支配を快く思っていなかった平民の者達――レジスタンスは、この時を狙い済まし、一斉にクーデターの狼煙を上げた。
本来ならマナを操るウィザードに対抗できるはずもなかったが、マナの枯渇化に加えて、レジスタンス達はこの日の為に準備を怠らなかった。
マナサイトと呼ばれるマナを蓄積する鉱物を埋め込み、その蓄積したマナをエネルギー源として、平民にも扱えるよう調整された、ウィザード達が作りし道具。マナクラフト。
そして、レジスタンス達が生み出した、対ウィザードの切り札。人間の意思力を銀のエネルギー光として放つ性質を持つ鉱物、エゴタイト。そのエゴタイトを加工した武器であるエゴクラフト。
この二つのクラフトを秘密裏に溜め込んでいたのだ。
そして、クーデターは鮮やかなまでに成功し、魔法文明に終止符が打たれた。
生き残ったウィザード達も、マナ枯渇化現象の前に無力で、ある者は平民に討たれ、ある者は同胞の作ったマナクラフトに封印され、ある者は逃げる事に疲れ果て自ら命を絶った。
クーデターを果たしたレジスタンス達は、自らを革命軍政府と名乗り、ウィザード支配の解放宣言をうたった。その後、革命軍政府の治世は揺ぎ無いものであったが、人々の不満が消えた訳ではなかった。
ウィザードが姿を消し五百年の歳月を得てなお、マナ枯渇化現象が収まらなかったからである。
万物に宿りしマナは、その宿る物体を活性化させる性質を持つ。
人間に宿りしマナも、マナ枯渇化現象の影響を免れず、結果として人間の平均寿命は五十歳を切りつつあった。
人間だけではない。あらゆる存在がマナ枯渇化現象の影響を受け、風脈が枯れた大気は荒れ、地脈が枯れた大地の多くは砂漠と化し、そして多くの動植物が絶滅した。
人々は希少となったマナを求めたが、革命軍政府は秩序の乱れを恐れ、マナを厳重に管理した。革命軍政府の許可なくマナの採取、マナの使用を制限し、これを破るものには厳しい刑罰を与えた。
だが、人々はそれでもマナを欲した。
誰しもが、マナ枯渇による死を恐れたからだ。
竜車を止めてしばらくすると、後ろの竜車内がざわめき始めた。
まぁ、仕方がないか。素直に従ってくれるといいけどな。
フェンは御者台を降りて竜車の後ろに回る。そして、脱走防止用のマナクラフトを停止させる。これは幌や後部の垂れ幕に無理に力を加えると激痛が走るようになっている。
「おーい、降りろ」
ざわめきが一層大きくなった。
もう第二収容所についたのか? 等と聞こえて来る。
「いいから降りろっての。やる事があるんだから」
その声に囚人達がのそのそと降りてくる。誰もが周りを見渡して不審そうにフェンを見る。
まぁ、逆の立場ならオレでも不審に思うよなぁ。
とはいえ、このままではいけない。下手に嘗められようモノなら、反乱がおきかねない。常に上に居る事を囚人に意識させないといけない。若年者の辛いところではある。
「あー、皆聞いてくれ。今日はここで野営する事になる」
「ちょっと待ってくれ」
声を上げたのはウェーブキャンセラーの存在を指摘した痩せた男だった。
「確かウノだったな。何だ?」
「まだ日が高いのになぜ野営だ? それになぜ我々を竜車から出した」
もっともな疑問だった。そしてもっともが故にやっかいだった。
基本、囚人は出発から護送地まで竜車から出さない。夜も竜車内で雑魚寝だ。
フェンもそのつもりだった。ついさっきまで。
「嵐が近づいている。ここは岩場に囲まれているから、ある程度風よけになってくれる。とはいえ、幌とか外さないと竜車が壊れかねないからな。畳むの手伝ってもらうぜ」
「嵐?」
ウノは空を見上げた。確かに風は強く砂埃が酷いが、それは砂漠では当たり前だ。嵐の前兆と思わしきものは見当たらない。
「嵐が来るという根拠は?」
「勘だよ」
途端にフェンに向けられた不審の目が強くなった。
たくもう、だから知恵が回る奴はやっかいなんだ。
「信じろよ。あんたは石掘りの専門家かも知れないが、オレは荷運びの専門家だ。荷に自分から傷を付けるようなドジはしないよ」
石掘りの専門家。その言葉を聞いてウノは押し黙った。
フェンはため息をついた。
「さぁ、作業を始めてくれ。時間のかかる作業じゃないし、終わったら適当に時間を潰してくれてかまわない。あ、食料は出しとけ。嵐の中探し出すのは大変だからな」
不審さを持ちながらも、代表で質問した形になったウノが動き出したので、囚人達も幌を外し始めた。
そして、夜が来る前にフェンの予言があたった。
風脈が枯れた影響で砂漠の風は元々が強かったが、それがそよ風に感じられる暴風。
もし竜車に幌をかけたままだったら、運が良くて横倒し、運が悪ければ分解され、中の囚人達はただではすまなかったろう。
「本当に嵐になるとはな」
囚人の一人が呆れたように言った。
それを受けて、別の囚人が言った。
「何にしろ都合がいい」
彼らは脱走を企んでいた。
元々、彼らは第二収容所行きが確定している身。彼らの年齢と重犯罪者用施設への収容、何よりマナ枯渇化による寿命の低下。これらを考え合わせると、生きて出所出来る可能性は限りなくゼロだ。
幸い、相手は一人。しかも彼らから見れば尻の青い子供だ。
これはもう逃げろという天啓とすら思える。
この嵐にしてもそうだ。
フェンは囚人達と離れて休んでいるはずだ。
接近に気付かれて、うかつにマナクラフトを使われるとやっかいだ。しかし、この嵐が彼らの気配を消してくれる。
ただ、問題は脱走といっても、ここから逃げればいいというものではない事だ。
乗り物。やはり竜車がいる。
となると奪うしかないが、引竜のクエイクフットが果たして主人以外の命令を聞くか。また車輪にロックをかけるマナクラフトがついていたとの話も出ていた。
結局、フェンを襲い脅して言う事を聞かせる。という案に落ち着いた。
そして、囚人達はフェンの寝床近くまで来た。
嵐で視界が悪いが、ハーネスから解き放たれたクエイクフット達のそばで丸まっている毛布が見えた。
囚人達は顔を見合わせ頷くと、一斉に毛布へと襲いかかる。
武器はそこらに転がっていた石だ。
全員が何度も毛布に石を叩きつける。
「馬鹿! 殺すつもりか!」
狼狽した声が響く。
「言っただろう。生かしておかないと意味がないと。それにまだ子供だぞ」
「し、しかし、ボス」
ボスと呼ばれた男は嘆息した。
「やってしまった事は仕方ない。……まだ生きているか?」
「それが――」
囚人の一人がボロボロになった毛布をめくり上げる。
「………………」
彼は無言だった。毛布の中は無人。ただ、丸めたもう一枚の毛布が入っていただけ。
それが意味する事は明白だった。
「やっぱりあんたが頭だったのか、ウノ」
岩場の影から見守っていたのだろう。フェンが姿を現す。
「全て罠だったのか?」
「まさか」
フェンは肩を竦める。
「ウィザードじゃあるまいし、天候なんてどうしようもないさ。ただ、揺れがひどくてストレスが溜まっているところにこの状況。あんたじゃなくても同じ行動起こすだろうさ」
「確かにな。知恵が足りなかったようだ」
「謙遜するなよ、マナクラフター。いくら政府が放棄した採掘場だからって、素人が出来るもんじゃないって不思議に思ってたんだ」
マナクラフターとはマナクラフトを設計、開発をする者の総称だ。大型のマナクラフトや特殊なマナクラフトを運用する者もそう呼ばれる。
「さて、大人しく降参は……しないだろうな絶対」
「ああ。むしろ後に引けなくなった。マナ盗掘に護送屋への反乱。アビス行きが確定だからな」
アビス。そこはどこよりもマナが枯れ果てた地。政府の課す最高刑が流刑地アビスへの追放。それは死刑も同然の刑だ。
「……まぁ、オレでも降参しないだろうな、絶対」
「理解してくれてうれしいよ」
フェンの呟きに、皮肉交じりに返すウノ。
他の囚人達は再び石を持ち始める。しかも今度は目の光が違う。
所詮、犯罪者は……犯罪者か。
フェンの嘆息が引き金となった。囚人達が一斉に襲いかかる。今度はウノも止めなかった。
だが硬質な音ともに、襲い掛かった囚人数人が尻餅をつく。
彼らの足元には、二つに割れ――いや、切断された石があった。
「どうする? 石だけで済ますか? それとも首を落とすか?」
フェンの右手にはウノが初めて目にする武器が握られていた。
リング状の円盤、外側に刃、円の一部に握る為のハンドルをつけた武器。話だけは聞いた事はある。切る事だけに特化した武器。政府軍でも、使い手は一握りだけだという。
「リングブレイド。キミは軍人だったのか」
「護送屋だ。軍人になった覚えはねぇ。ただ、師が軍人だっただけだ」
「なるほど。みんな下がれ。相手が悪い」
政府軍でも使い手は一握り。その一握りは敵にも味方にすら恐れられるという。そしてウノの視線がフェンの腰に向けられる。
リングブレイドを収めるホルダーが左右一対。左のホルダーにはまだリングブレイドが納められたままだ。
ウノはあまりに初歩的な事を見逃していた事を悔やんだ。通常二〜三人でチームを組む護送屋が少年一人。もし、ただの自信過剰なだけの少年だったら、政府は第二収容所への護送を依頼などしないだろう。
フェンという少年は、その実力を見込まれて自分達の護送を依頼されたのだ。
「で、諦めてくれるの?」
「いや、その選択肢はない」
ウノはベルトのバックルを外す。
「ソード」
その言葉に呼応するようにバックルの裏側から、青白い光が線状に伸びる。
フェンは頭をかいて嘆息する。
「役人共もチェックが甘いよなぁ。まぁ、優秀なマナクラフターの手にかかれば、小型のマナクラフトならどこにでも隠せるとはいえ」
ウノの手にある青白い光はマナそのもの。マナ光とも呼ばれる。万能エネルギーマナは用途に応じて様々な形状や別種のエネルギーに変換される。ソードという言葉通り、今のウノの手にあるマナ光は鋼鉄すら切り裂く刃と化しているだろう。
「エッジ」
フェンの言葉にウノが驚きに目を見開く。
リングブレイドの外周。刃の部分に銀光が灯る。
「エ、エゴタイト製リングブレイドだとっ?!」
かつて、ウィザードを駆逐する決め手となったといわれるエゴクラフト。
現在ではそれを手にしている人間は限られている。
理由は二つ。一つはマナクラフトの普及。マナの供給にこそ問題があるが、その点さえクリアできれば使う事は難しくない。そして、もう一つはエゴタイトが希少鉱物である事。
意思力をエネルギー源とする為に、マナクラフトよりも燃費は良いと言えるが、反面エゴクラフト自体が高価で、先祖代々伝わる品といったものも珍しくない。
もう一つ付け加えるならば、その意思力も必要量が少なくなく、そもそも付加された機能を引き出せないといったケースも珍しくない。
「キ、キミは一体何者なんだ?!」
「護送屋。それ以上でもそれ以下でもない。ただの護送屋だ」
フェンはリングブレイドを持つ手を上げて、ゆっくりと。しかし堂々とウノに向かって歩を詰めていく。
「もう一度だけ。諦めてくれない?」
「その選択肢はないと言ったはずだ!」
ウノのほうからも距離を詰める。と、ウノはマナクラフトが放つマナ光からやや圏外で足を止める。
「モード、ランス!」
ウノの言葉と、フェンが横に飛ぶのは同時だった。
線状だったウノのマナ光が円錐形となり、伸びて僅差でフェンの身体を掠める。もしフェンが反応出来なかったら心臓を貫かれていただろう。
「モード、ウィップ!」
フェンの声と同時にリングブレイドの刃に沿って輝いていたエゴフォトンが形を崩す。腕を振るうと、銀光は一条のムチとなってウノの手を打ち据えた。
「ぐわ!」
マナ光が失せたバックルが地面に落ちる。そして、ウノもまた打たれた手を押さえてうずくまる。
相手が戦意喪失したのを感じ取り、フェンはリングブレイドの機能を解除して、ホルダーに納めた。その瞬間、ウノの目が驚きに見開かれた。ホルダーの入出口がリングブレイドの外周の直径より狭かったからである。本来であれば、抜く事も収める事も出来ないはず。だが、ウノは確かに見た。ホルダーに納められる時に一瞬だけ銀光に輝いた事を。
「多機能の上、ホルダーまでエゴタイト製なのか……」
呆然と呟くウノの前にフェンは歩いて、彼の手前に落ちているバックルを拾い上げる。
「おいおい。完全手作りかよ。シャレにならねぇな」
二人の戦いを見守っていた囚人達は、自分達のボスが敗れた事と、何よりフェンの段違いの強さを肌で感じ意気消沈している。もう、脱走どころではなかった。
「なぁ、なんであんた。マナ盗掘なんてやらかしたんだ、ウノ」
「なぜって――」
ウノはのろのろと顔を上げる。
「あんた政府直属のマナクラフターだろ。金には困らなかったはずだ」
囚人達がざわめく。どうやら彼らも自分達のボスがどういう人間か知らなかったらしい。
「どうして分かった?」
「放棄された採掘場ってのは特別な理由がない限り、それ以上マナが採掘出来ないと現場ないし上に判断された所だ。
そこに残されたマナクラフト機材一式使いこなし、それ以上出ないと判断されたマナサイトを採掘。そこらの見よう見まねでマナクラフターを名乗っている連中に出来るものか。高度な教育と訓練を受けたマナクラフターじゃなきゃな。
だが、そんなもの政府関係機関でなきゃ受けられるものか」
ウノは自嘲的な笑みを浮べる。
「なるほどね。名推理だ。だけどキミの推理は一つだけ間違っている。オレは金に困っていたんだ」
「なぜ? ギャンブルや女に貢ぐ馬鹿には見えないぜ、あんた」
「その女に貢いだ馬鹿さ。
……娘が重度のマナ欠乏症でね。どれだけ稼いでも政府の売るマナの価格では追いつかなかったのさ」
フェンはウノの事情を飲み込めた。
マナ欠乏症とは、先天的に体内のマナ保有量が常人より大きく下回り、定期的に外部からマナ補給を受けないと健康障害を引き起こす症状だ。
「……あんたは金の為にマナ盗掘をした訳じゃなく、マナサイトそのものが必要だった訳か」
マナサイトはマナクラフトに組み込まれ、そのクラフトのマナ貯蔵庫になるが、採掘したてのマナサイトには高純度のマナが含まれている。自らの手でゼロからマナクラフトを作れるほどのマナクラフターだ。マナサイトからのマナ抽出など、クエイクフットの機嫌をとるより簡単な作業だったろう。
「で、娘さんは?」
「死んだよ。決心するのが遅すぎた。
最初に取れたマナサイトを持って帰った時には娘は勿論、妻までも耐え切れず後を追っていたよ……」
「……それは、この場合。お悔やみ申し上げます、でいいのかな?」
「気にする必要はないよ。一年も前の話だ」
「なぜ盗掘を続けた。あんたにはもう必要がなかったはずだ」
「ああ、その通りだ。
オレはもうオレ自身がどうなろうとどうでも良かったんだ。だけどな」
ウノは他の囚人達を見渡した。
「オレが抜けたらこいつらが困るんだ。
こいつらの理由はそれぞれだが、金を必要としていたんだ」
「ボ、ボス……」
「取調べした奴はザルだったらしいな。身辺調査にあんたの事が他の奴同様、スラムのチンピラ程度にしか書かれていない。
自分が元政府のマナクラフターだと言わなかったのか?
ただでさえ年々使えるマナクラフターが減りつつある。初歩的な調整が出来る程度のオレにすら、声がかかった事があるくらいだ。あんたなら、監視付き執行猶予だって手が届いたはずだ」
「そんなものになんの意味がある? 私は一年前に家族を失った。そしてこの一年で喜怒哀楽を共にした新しい家族を裏切ってまで得る自由。それにどれ程の価値がある?」
「惜しいな。貴重な才能を無駄にして――」
「いい加減にしろ!!」
囚人の一人がフェンに殴りかかった。フェンはこともなげにかわす。その囚人は勢い余って地面に倒れたが、すぐに立ち上がった。顔を露出したやすりのような岩肌で擦ったせいで、血だらけになっていたが、それにかまわずフェンに指を突きつける。
「お前、何様だ! ボスの古傷を抉るのがそんなに楽しいか?!」
他の囚人達の表情も険しい。だが、フェンは腕を組んで涼しい顔で言った。
「ああ、楽しいね」
「なんだと?!」
「人の不幸は密の味と言うじゃないか。とは言ったものの、正直飽きてきたな。
とっととそいつを連れて戻って寝ろ。さもなくば、アビス送りの前にオレが殺す」
囚人達はフェンの言葉に気圧されつつも、嫌悪の表情を隠さずウノを連れて行った。
その背を見つめフェンは呟いた。
「家族……か」
嵐は翌朝には去っていた。
囚人達は黙々と竜車に幌をかけ始めている。その表情が一様に暗いのは昨日の出来事のせいなのは間違いない。
第二収容所送りの段階で、すでに最終刑一歩手前なのだ。終身刑以上、死刑未満。それが第二収容所。そして、護送中の護送屋への反抗行為。たどりつく先は一つしかない。
流刑地アビス。
フェンはしばらく囚人達を眺めていたが、自分の野営の後始末を始めた。
あの様子じゃ、ヤケを起こす心配はないな。
暗いながらも、どの囚人の目にも覚悟の光が宿っている。
「賄賂漬けの役人共に奴のツメの垢を飲ませたいぜ。なぁ、お前等」
フェンはたった二匹だけの家族に呼びかける。
だが、様子が変だった。
何かを訴えているようだった。
「どうした? テトラ。 なんだ? ペンタ」
クエイクフットの視線を追った。
後ろ?
寒気が背筋を走る。一気に振り向き、腰のホルダーに手をやる。
居た。
フェンの身長より高い岩だなに腰掛けた二十代半ばの女性。
なんだ、こいつ。いつの間に? いつからそこに? 全然気付かなかったぞ?!
幻覚などではない。なぜならテトラ達が反応しているのだから。
しかし。
なぜ、圏が読めない?!
フェンの得物。リングブレイドは切る事に特化した武器。言葉を返せば切る以外を放棄した武器だ。刀剣のように突く事や、重剣のように重量で叩き切る事が出来ない。
急所に当たれば勿論致命傷に成り得るが、そうでなければ二の閃、三の閃と追撃が必要になるし、あるいは相手の反撃に対して、防御の為の体さばきが必要になってくる。
故にリングブレイドの師より、重要なのは自分と相手の攻撃圏を把握する事と教えられている。
自分の攻撃圏を把握する事により、その圏内でどこを攻撃すれば致命傷を負わせられるか。また、二の閃、三の閃の必要性が分かる。相手の攻撃圏を把握する事により、どこまでが安全か、またどこまでリスクを負えば有効な閃撃を放てるか分かる。
だが今、フェンは相手どころか自分の圏すら読めない。
例え相手の得物が分からなくても、クセや仕草、体格などから仮定の圏が読み取れるはずだが、それが出来ない。
目で認識しているのに、身体が反応しない。それはまるで、絵画の人物に対して挑んでいるかのように錯覚させる。
絵画と言えば……。
いまさらながら女性の服装の異様さに気付く。いや、異様というのは間違いだ。彼女には良く似合っている。だが、今の時代にそれを身につける者はいない。
マントのように身体を覆い、ショールのように長い襟が首元を飾っている。
ローブ。それは五百年前に滅びた魔法文明時代に生きたウィザード達の衣服。
フェンも、政府施設に設置された絵画や、本の中でしか見た事はない。
「?!」
彼女が薄く微笑んで、何かを喋っているようだ。だが、声はフェンまで届かない。
辛うじて、唇の動きを読む。
マタ、アイマショウ?
意味を咀嚼する為、一瞬注意が彼女からそれた瞬間、その姿が消えた。
嘘だろ、おい。死惑の女にしちゃ、嵐が過ぎた後だぞ。
嵐の夜に現れ、若い男を誘惑し、死へと導く女。それはただの怪談にすぎないし、フェンは信じてはいない。
だが、目の前に女がいて、唐突に消えた。それもまた事実だった。
「おい」
遠くから声がかかる。
ウノだった。
「幌をかけ終わったぞ」
「あ、ああ。ご苦労さん」
「どうした? 何かあったのか?」
「なんでもない。少なくともあんたらよりは、な」
「それはそうだろうな」
皮肉気に言ってウノは竜車へと向かった。他の囚人達はすでに乗り込んでいるようだ。
フェンは一度だけ、さっきの場所を振り返った。しかし、やはり女性はいない。
なんだか分からないが、仕事に集中したほうがよさそうだ。
フェンはテトラ達を連れ立って竜車へと向かった。
第二収容所に到着すると、顔見知りの門番がすぐに正面ゲートを開けた。
「おいおい。グローミング提示する前に開けるなよ。所長にどやされるぞ」
「どうせ中の連中、ログなんてみてやしないさ、フェン」
すでに門は開いてしまったので、今更感はあったがフェンは懐から一枚の金属製のカードを取り出した。
政府が人民一人々々に発行している身分証明章だ。出身、生まれた年月は勿論の事、資格、職歴、賞罰など様々なデータが記録されている。このカードもマナクラフトなのだ。スラムやよほどの辺境でもない限り、誰もが所有しているはずなので、もっとも普及しているマナクラフトとも言える。
身分照会の場合、カードから直接データを読む事も可能だが、通常はグローミングリーダーと呼ばれる専用の読み取り機を介する場合が多い。リーダーの形は様々だが、多いのはカードを上に乗せる台座型か、門番が手にしている非接触ペン型だ。
門番がカードの少し上の空間に、ペン先を走らせると、ペンの尻ついている小さなランプが緑に点灯する。そして、門番が座る席においてあるモニターにいくつかの情報が映し出される。
フェンの位置からは半分以上見えないが、それが護送屋としての資格、実績等が表示されているのだと、この門番から聞いた事がある。
「そら、照会終了。座って茶を飲んでいるのが仕事の連中も来たぜ」
門番の視線を追えば、所員達がゲートの解放に気付いてこちらに向かってきている。
「仕事中に酒飲んでいるあんたには言われたくないだろうぜ、あっちも」
「ちっ、相変わらず鼻が利きやがるな」
門番はモニター台の下に隠した酒瓶を取り出す。
「じゃなきゃ、護送屋なんてやってけないよ。それに追跡屋ほどじゃねぇ」
門番は表情を曇らせる。
「あいつらは鼻が利きすぎる。なんでも良ければいいってもんじゃねぇ」
「同感だ。じゃ、また帰りに」
「おう」
ゲートの閉じる音を後ろにフェンは竜車を奥に進めた。
フェンを迎えたのは、入所受付担当の所員だ。
フェンは御者台から降りて姿勢を正す。
「護送屋フェン。政府依頼によりビクトリから第二収容所への囚人護送完了。確認願いたい」
「承知いたしましたフェン殿」
所員四名が一斉に一礼する。
彼らは政府役人であり、本来であれば一人民であるフェンより格上の存在であるが、護送屋という職業は、その特殊性から様々な特権があたえられ、地位的には一つの施設を束ねる高級役人に近い位置にいる。
フェン本人にとってはさしたる興味がない事だが。
竜車の後ろから次々と囚人が降りてくる。
「道中は何事もなく?」
所員の一人が言った言葉は、定型化された儀式のようなものだったが、囚人達の身体が震えた。異変を感じて問い質そうとする所員より早く、フェンが言った。
「あー、一つ、ありましたねぇ。
一昨日の嵐の夜に、大人しく寝てればいいものを、何考えてんだか、すっ転んで顔を岩で擦って、血だらけになって大騒ぎ。オレも周りも寝られなくていい迷惑だった。
ほら、そこの奴」
フェンが指差したのは、ウノに対する言動に激昂しフェンに殴りかかった囚人だ。顔の擦り傷はまだ見ていて痛々しいほど残っている。
「でかい図体して、案外インドアな連中だったのかねぇ、こいつら。嵐ぐらいで何をうろたえてんだか」
所員全員の肩が震えている。必死に笑いをこらえているのだ。
危うい所を救われた形の囚人達だが、なぜフェンがそんな言動をとったのか不思議そうな表情だった。そして、最後に竜車を降りたのはウノだった。
「すいません。こいつとちょっと話があるんで借りていいです? すぐ返しますんで」
「はい、承知しました。私達は先に彼らの手続きを済ませます」
所員はあっさりと承諾して、棟内へと入っていった。
要求が通ったのは護送屋の地位というよりもフェンの実績と信用故だろう。
「なぜ、オレ達をかばった?」
ウノの問いかけにフェンは頭を書いて悩ましげな声で言った。
「別にかばった訳じゃない。自分のヘマをごまかしただけだよ」
「ヘマ?」
ウノが、意味が分からないと眉を潜める。
フェンは懐に仕舞っていたものを、指でウノのほうへ弾く。
反射的に受け止めるウノ。それは彼のバックル。マナクラフトであった。
「お、おい。これっ」
「口止め料」
「口止め?」
「第二収容所は外の世界ほど温くねぇ。だが、同時に腕力だけ、お頭だけって奴が通用しない所でもある。あんたならそれを隠し通せるだろうし、使うべき時を判断出来るはずだ」
そして、フェンはウノに背を向けた。
「じゃ、な。ここから先は一人で行ってくれ。棟に入ってすぐに受付がある」
「ま、待てっ。口止めってなんだ。ヘマって何のことだ!」
フェンは立ち止まらずに片手を軽く上げた。
「ウェーブキャンセラーの故障に気付いたのは出発直前だったんだ。運が悪い事にチューニング用工具もイカれててな。
その後で寄った街やオアシス集落でチューニング用工具を探したんだが、間が悪いというかどこも売り切れだった。
こっちの手落ちで囚人のストレス溜めさせたあげくの暴動じゃ、護送屋としていい恥晒しだ。あんたの新しい家族にも、うかつな事言わせないようにしてくれ」
そして、上げた手を軽く振って降ろした。
「じゃぁな。家族を大切に、な」
「あ、ああ!」
ウノはしばらく去っていくフェンの背を見つめていたが、彼もまた踵を返し棟の入り口へと向かった。
「さて、と。どうしたもんだか」
竜車の下にもぐりこんだまま、フェンは頭を抱えた。
ウェーブキャンセラーは、竜車の床の裏側に設置されたマナクラフトの機能の一つだが、他の機能に問題はみられない。
どうやら幸運な事に物理的な破損ではないようだ。マナ回路と呼ばれるマナクラフトの機能を決定付けている仕組みが存在するが、どうやらウェーブキャンセラーの機能を定義しているマナ回路が、消失してしまっているらしい。マナ回路そのものはバックアップがあるので、それを竜車のマナクラフトにコピーすればいいのだが。
「問題はどうやってコピーするかだな」
結局はそこへ戻る。その為にチューニング用工具が必要なのだ。
マナクラフターにとってチューニング用工具は本来必須と言っていい代物なので、ある程度の規模の街やオアシス集落では取り扱っているのだが。そもそも、そうそう買い換えるものではない為、売れ切れると再入荷が数ヶ月から、下手をすると一年かかるという事も珍しくない。そして、ある所で売り切れが発生すると、そこで買おうとした者は別の所で買ってしまう。そして、そこでも売り切れとなり、連鎖的に売り切れが発生する。
「まいったな。これじゃ、下手に依頼請けられないぞ」
くいっ、くいっとズボンを引っ張られる。
二対の目が『かまって、かまって』と言っている。
「こら、お前等。そもそもお前等が工具箱をおもちゃにして遊んでいたからこうなったんだぞ。少しは反省しろ」
その言葉が理解出来たのか。
キュィーとしおらしい鳴き声が返って来る。
フェンはため息をついた。
「まぁ、工具箱を出しっぱなしにしていたオレも悪いけど。普通の工具箱ならいざ知らず、クラフト用工具箱をおしゃかにしてくれるんだもんなぁ」
あきらめたようにフェンは竜車の下から這い出した。
「ここのお抱えクラフターにチューニング用工具貸して欲しいって頼むかなぁ。でも、簡単に貸してくれないだろうなぁ。しかも、事情が事情だけに」
そこらにいる、ちょっとマナクラフトの設定が出来る程度でマナクラフターを名乗る似非ならともかく、政府直属クラスのマナクラフターは職業意識が高くついでにプライドも高い。
そんな彼らにとってチューニング用工具は第三の手に等しい。そこに自分のチューニング用工具がイカれたのでちょっと貸してくれませんか、等と言ったらどうなるか。
面の皮の厚さには少々自信のあるフェンだったが、職人の氷点下の視線に耐えられそうにはない。
なまじ、マナクラフターに囲まれて育ち、職こそ違えど高い職業意識を持つフェンだけに胃が痛くなるほど悩んでいた。
トラウマになりそうな視線を覚悟で借りるか、まだ回ってない街やオアシス集落を探してみるか。
「?」
ふと、所員が一人、こちらに向かって来ているのに気付いた。
正面ゲート付近に用事があるなら、相手はフェンか門番だ。
だが、門番に用事なら、わざわざ直接来なくても伝達のマナクラフトを使えば済む話だ。
消去法でフェンに用事がある事になる。
所員はフェンの前に来ると、型どおりに一礼する。
「フェン殿。所長と会って頂きたいのですが」
「え? あー。勿論、後で出向くつもりだけど?」
第二収容所に来た以上、所長に挨拶に出向くのは慣例となっている。
礼儀上の問題もあるが、直接次の依頼をされる事もある。
ただ、今その直接依頼をされるとマズいのだが。
「それが、至急にとの事で」
「至急?」
フェンは眉を潜めた。
わざわざ呼びに来られたのも初めてなら、至急という文言も初めてだ。
所員に対してならともかく、護送屋とはいえフェンに対して至急とは……。
「まさか、アビス送りがここから出たなんて話じゃ――」
「い、いえ。事の詳細は分かりかねますが、少なくとも流刑の話はこの数日聞いていません」
アビス送りは一大事だ。もし、それが起こったのならこの第二収容所内の囚人も含めて全員が知る所だろう。
「いったいどれくらい至急なんだろうなぁ」
そう呟いてから、考えるのを止めた。分かったからである。
「出来れば、大、大至急でお願いしたい」
所員を押しのけるようにして、そう言う所長の顔色は、心なしか青かった。
所長の年齢は四十台後半。現在では寿命に近い年齢だが、所長のような上級役人達が生活するフロア、第一隔離エリアは十分なマナが確保されている。フェンの記憶を辿ると生気に満ちた表情で、激励や依頼されていたものだが、今の所長はまるで記憶とは別人のようだ。
身体も痩せているのは気のせいではないだろう。
「キミが来るのを待ち続けていた。まるで一日々々が一年のように感じたよ」
「そんなオーバーな――」
フェンは言葉を止めた。どうやら冗談や誇張を言っている訳でないらしい。所長の目がそう言っていた。
嫌な予感がするな。
護送屋としての勘が告げる。だが、だからと言って踵を返す訳にもいかない。隣に所長がいるのだから。
二人は棟の角へ行き着いた。そこは曲がり角の部分が円筒状に丸く出っ張っている。
それはポータルという大型マナクラフトだ。主に政府の重要施設に取り付けられている。機能はポータル内の物質を、近距離の別のポータルへと瞬間移動させる。有効距離内に複数のポータルが存在すると行き先を自由に選べる。
勿論、人間の転送も可能だ。むしろそちらが主目的の場合が多い。
所長が手を触れるとシールドが開く。所長が先に入り、続いてフェンも中に入る。そして、外に誰もいないのを感知してシールドが自動的に閉まる。
フェンはポータルの内壁に触れた。一瞬マナ光を放った後、内壁に触れた手の高さに会わせて光板が浮かび上がる。
タイプウィンドウ。マナクラフトの操作形式の一種で光板に表示される選択肢の一覧――タイプリストから望む機能、設定を手で触れる――タイプする事で対話的に操作出来る。
「行き先は所長室のある――」
「いや、このタイプリストには表示されていない場所だ」
「え?」
てっきり所長室にいくのだと思い、近いポータルをタイプしようとした手が止まる。
だが、タイプリストに表示されていないのならば、ポータルでの移動は無理なのでは。
そして、疑問は再び嫌な予感に変わった。
所長が自分のグローミングカードを取り出し、タイプウィンドウを呼び出す。二度ほど確認のタイプウィンドウが表示されるが、所長は手早くタイプして消す。
今の表示。警告? 本格的にヤバイな。
しかし、ポータルの中に逃げ道はない。
ふいに、ポータルのタイプウィンドウの表示が更新される。タイプリストに新たな選択肢が追加されていた。
「第三隔離エリア?!」
所長がその表示を迷う事なくタイプした。ポータルのシールドが開く。そこは入った時の棟の角ではなかった。
所長がポータルの外に出て行く。ポータルの外は大人十人が軽く行き来できるような広い通路だった。床壁も棟内では見た事のない素材だった。所長の足音から金属の類だと想像するが、少なくともフェンの見識では知らないものだった。
「フェン君?」
所長が振り返るが、フェンはポータルの外に出なかった。
「まさか、本当に実在するとは思いませんでしたよ。第三隔離エリアなんて」
隔離エリアとは第二収容所の所員とその家族が生活する為の場所だ。隔離エリアと呼ばれる訳はマナ枯渇化による寿命低下を防ぐ為、外界よりも多くのマナで満たされた空間だからだ。所長を始めとした上級役人の為の第一隔離エリア。一般所員達、平の役人の為の第二隔離エリア。第一と第二の違いは満たされたマナの密度が違う事だ。
だが、所員、警備兵の間では噂されていた。第三の隔離エリアが存在すると。その信憑性はそこらの怪談とは大してかわらない。ただ一点、この噂には理由がある。それは、第二収容所の敷地面積と、隔離エリアを含めた総施設の面積に大きな差異がある事だ。
過去にフェンも面白半分に計算した事があったが、確かに差異は存在した。だが、それは単にポータルの利便性に頼りすぎ、施設間に無駄な空間が出来てしまっただけ。そう思い込んでいた。
「用件はなんですか? 所長。オレは護送屋です。つまらない怪談には興味がないんです」
「怪談か……」
所長が力なく笑う。
「ではフェン君。昔話はどうかね。稀代の魔女の名、聞いた事は?」
「稀代の魔女? 四つに分けて封印されたって言うあれですか?」
「そうだ……。フェン君、悪いがもうしばらく私に付き合ってくれないか。キミに余計な荷物を背負わせる事になるかもしれん。
だが、もう私の手には負えんのだ。頼む」
「しょ、所長!」
仮にも第二収容所を束ねる長。自分の倍以上生きて来た男。それが今、自分に頭を下げている。
なんだよ。何が起こっているだ?
グラリと地面が揺れた気がした。気のせいなのは分かっていた。だが、ポータルから一歩でも出れば、自分が積み上げてきた常識が崩れる。そんな予感がしていた。
所長はまだ頭を下げたままだ。
オレは護送屋だ。いくら、所長が頭を下げたって――。
彼の震える手を見た瞬間、見てしまった瞬間。フェンはポータルから出ていた。背後でシールドが閉まる音が聞こえた。
不思議な空間だった。どこにも明かりはないのに暗くない。
「……所長、いい加減頭を上げて下さい。そのままじゃオレを案内出来ないでしょう?」
「ああ、そうだな。……すまん」
所長は頭を上げて、そして踵を返し通路の奥へと歩いていく。そのすぐ後ろをフェンが付いていく。
「先ほどの話だが……」
「なんですか?」
「キミは稀代の魔女についてどこまで知っている?」
「……たぶん、そこらのガキと大して変わらないですよ。
五百年前に実在したウィザード。はっきり分かっているのはそれだけ。あらゆる魔法分野を修め、魔法文明史上最大最強のウィザードと呼ばれ、そのあまりの強大な力故にマナ枯渇現象を引き起こした。そして、レジスタンスに四つに切り分けられ封印された……。
そんなところですね」
「そうか。で、キミはどこまで信じている?」
「さぁ?」
フェンは所長の後ろで肩を竦めた。
「稀代の二つ名を持つウィザードが実在した。これだけは確かなようですが、正直他はただの伝説でしょうし。だいたい五百年前の話ですからね。
そもそも四つに切り分けたって話、ウィザードだって人間だし、死ぬでしょ。封印以前に」
所長が足を止めた。フェンは合わせて足を止める。
「事実だとしたらどうする?」
「え?」
「四つに切り分けられた魔女。そして四つの封印。
ウィザード達から二つとない才能と言う意味で稀代の名を受けたウィザードが、現存しているとしたら? キミはどうする?」
「それは質問ですか? それとも悪質な冗談ですか?」
「冗談か。……そうだな、私もそう思いたいよ。だが、あれがそれを許してくれんのだ」
「?!」
所長の手が震えている。
あれ。所長がそういったものが足音を立ててこちらに向かってくる。
その姿を見てフェンは思った。
もう手遅れか。逃げ損ねたな。
こちらに向かっているのは女性。服装はローブ。もうその時点で、相手が誰か分かってしまった。さらに距離が縮まるにつれて、顔、髪、年齢、あらゆるものが合致した。
嵐の次の日に見た女性だ。
あの時はまったく圏が見えなかったが、今は見える気がした。ただ、それはフェンのものではなく、そして女性のものでもなかった。
圏内に縛とフェンを捕らえるそれの名は運命。決して逃れられないと護送屋で研ぎ澄まされた勘が告げていた。
女性は所長の脇を通り過ぎ、フェンの目の前に立った。頭一つ分、彼女の身長が高かった。
彼女は自分の左胸に片手を当てた。
「私はフィーア。設計の魔女、フィーア。よろしくね、フェン」
フィーアと名乗った彼女は拒む間も与えず、フェンの額に口付けた。
第一章 完
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