四分割の魔女−第四章 −力の魔女−
予期せぬ出来事。
その多くは不幸な事である事が多い。
だが、ほんの一握りだが、幸運を運ぶものもある。
世界が砂漠化したご時世において、本当に稀な例ではあるが。
「まさか、掃除屋との交渉中だとはな。悪くない稼ぎだ」
フェンがグローミングカードで残高明細を確認し、満足気に笑みを浮べた。
オアシス集落では、すでに周辺をうろついているデザートベアに気付いていたらしく、駆除すべく近くにいる掃除屋達にコンタクトを取っていたらしいが、掃除屋側が値を吊り上げにかかっていたので、オアシス集落側では頭を抱えていたらしい。
決してリスクの低い仕事ではないので掃除屋達の立場も理解出来ないではないが、結果としてフェンは彼らの仕事をかっさらってしまった形になった。
自分達で引き伸ばした結果である為、まさか報復などはないだろうが、掃除屋達には少々気の毒な事になってしまった。だが、おかげでオアシス集落の代表者から、掃除屋に依頼額として提示していた半額の金を受け取る事になった。当初は全額という話だったが、元々、金目当てではなかったので遠慮した結果、半額でもという話に落ち着いた。
「おかげで余計なものまで買い込んでしまったな」
「……だったら、少しは食べるものにも回してくれて良いんじゃない? って言うか牛でも豚でも丸ごと買えるだけのお金上げたじゃないっ!」
「使えるか! 真っ黒じゃねぇか、あれは。きっちり、口座を分けて凍結したからな。オレは犯罪者になるつもりはない」
グローミングカードには通貨管理機能があるが、単に金の出納だけでなく、用途別に口座を設ける事が出来る。
「それにしたって、お金に不自由してないでしょ。なんでそう財布の紐が硬いのよ」
「人の財布を覗き見る奴は転ぶって聞いた事ないか? それはさておき贅沢は敵だ」
格子窓から顔を覗かせていたフィーアだが、膨れて引っ込んだ。
フィーアからまだ全てを聞いた訳ではないが、長い旅になると予想して水、食料、消耗品、マナは多めに補充した。ついでに竜車の内装を一新した。元々囚人護送用であった為、お世辞にも居心地が良い造りとは言えなかったからだ。幸い、追加は後三名だと分かっているので、それに合わせて調整した。
フィーアはと言えば、ローブ姿からどこにでもあるような旅装束に変わっていたが、どこか浮いた感じがしていた。それは彼女がウィザードだとフェンが知っているからなのか、それとも、他の女性達とは違う何かがあるのか。
まぁ、トラブルにさえならなければ、何でもいいが。
女性にも女心にも無頓着なフェンは内心で呟いた。
オアシス集落を出て少しの所で、フェンはハーネスを通じて停止の合図をテトラ達に送った。
「フィーア。で、目的地はどこなんだ? いい加減教えてくれないと身動きが取れないんだが」
「首都」
竜車内から簡潔な返答が返って来た。
「シュト?」
「そう首都よ」
フェンは頭の中で意味を咀嚼する。
「……おい。まさかグローリアの事じゃないだろうな」
「今の時代の首都って他にないでしょ?」
「マジかよ」
フィーアの他に稀代の魔女から分かれた魔女は三人。それぞれが封印された状態で、その封印を解く為にフィーアを運んでいる訳だが。
「つまりはグローリアに封印されているのがいるってのか?」
「そうよ?」
何を言っているの? とばかりのフィーアの口調だったが、フェンの気持ちとしては、勘弁してくれだった。
革命軍政府首都グローリア。政府のお膝元。よりによってそんな所に稀代の魔女の一人が封印されているとは。しかも、封印を解いて連れ出さねばならない。政府の幹部達に知られないように。
フェンは思わず額を押さえた。
犯罪者になるつもりはないと先程言ったばかりだが、下手をすれば、その場でアビス送りが確定しかねない。
「たくっ」
だが、嘆いていても仕方はない。すでに依頼は受けてしまった。やるしかない。
「テトラ、ペンタ。行くぞ」
ハーネスで発進の指示を出すと竜車が動き出す。フェンは頭の中で地図を思い浮かべ、グローリアまでの最短かつ安全なルートを模索し始めた。
グローリアまでは日数にして約七日の旅になったが、その間何事もなく無事だった。
実の所、それが普通なのだ。砂漠に危険が多い事は確かではあるが、それも砂漠の面積を考えると遭遇する率はとても低い。
例え、危険と遭遇するとしても、危険な動物類は早期に発見出来れば迂回すればいいし。護送屋を襲う危篤な盗賊団もそういない。彼らの獲物は配達屋や隊商だからだ。
砂漠での旅で一番重要なのは天候だ。風脈のマナが枯れた影響で、突発的な嵐や竜巻も珍しくない。
嵐にデザートベアと立て続けに遭遇したフェンだが、それは運が悪い方へ偏っただけだ。
その後はごく順調だった。
ただ、フィーアは少々不満らしく、退屈そうな態度を隠そうとしない。彼女にとって、せっかく改良したフェンの得物を使う機会がないのが気にいらないらしい。
フェンにしてみれば、使わずに済むならそれにこした事はないのだが。
「近いな」
景色の変化にフェンから思わず呟きが漏れる。
砂漠の砂と岩が土に、黄色が緑に。首都グローリアの近辺は、政府の説明では風脈や地脈が複数重なっており、マナ枯渇化現象下でありながらマナに満ちた場所である。
砂漠に点在する街やオアシス集落が存続しているのも同様の理由であったが、グローリアに関しては重なっている風脈、地脈の数が違うそうだ。
先に進むにつれ、畑とそれを耕す人々、果樹園等、余所ではあまりみかけないものが目に入って来る。
フェンは首都にはこれまで二度しか訪れた事はなかったが、それは不思議な光景だった。
「枯れたとはいえ、より合わせれば大きなマナ溜を形成する。理屈ではあるけど、ここまで変わるものか?」
「そりゃ、グローリアは特別だもの」
フェンの声を聞きとがめたのか、フィーアが格子窓から顔を出す。
「特別?」
「風脈、地脈に十分なマナを与えているもの」
「与えて? 逆じゃないのか?」
「いくら、風脈、地脈の重なりが世界でも屈指とはいえ、枯れたものの集まりじゃ、ここまで豊かな土地になりはしないわ」
「……一方でマナ不足で命を落とす奴がいれば、快適さの為にマナを垂れ流す連中がいる。よく反乱が起きないものだな」
「だからこその徹底したマナ管理よ。ろくにマナクラフトなく反乱を起こしたところで軍に制圧されるもの」
「なるほどね」
「それに首都のマナ豊富な理由は、風脈、地脈のせいとは一概に言えないのよね」
フェンは眉を潜めた。
「どういう意味だ?」
しかし、フェン問いにフィーアは格子窓から顔を引っ込める。
「内緒。でも、すぐ分かるわよ」
「なんだよ、それ」
フェンは文句を言いつつもそれ以上追及しなかった。フィーアの秘密主義は今に始まった事ではないからだ。
首都を警備する守衛にグローミングカードを提示して、フェン達は首都内部へと足を踏み入れた。
首都グローリア。現在において最大の街にして、革命軍政府本部、政府軍本部を擁する、紛れも無く、現政府の中枢。
ただ、だからと言って住民の心身共に豊かかと言えば、そうでもなく、二十七の区に分けられ、区によって様相が違う。
政府幹部クラスしか住まう事が許されていない区もあれば、政府からのマナ供給が絶たれ、スラム化している区もある。それはまるでこの世界の縮図のようであった。
フェン達がいるのは、中流階層。よくも悪くも突出した特長のない区で、他の街と特に大きな差はない所だった。
フェンが以前に首都を訪れた時は、依頼の内容の関係もあってスラム街であったが、フィーアを連れてそんな所に行く訳にもいかず、当たり障りのない区を選んだのだ。
下手に上級の区に入ると何買うか分かったもんじゃないからな。
何しろ、フィーアのマナクラフターとしての能力は、グローミングカード自体のプロテクトはおろか、その先に繋がる様々なマナクラフトシステムすら支配する。
フェンに送金された金も、ただデータとして作りだしたものならば、政府のシステムが不整合を検知するはずだ。フェンの想像だが、フィーアは政府が通貨を発行するシステムそのものを使って、あれだけの金を作ったのだ。ある意味、無限に金を作り出す力を持つとも言える。
そして、それだけならまだしも、現代の知識こそあれど、知識止まり。一般常識が欠如している。五百年間封印されていたという事を鑑みると、致し方ないのかも知れないが、これからの旅を考えるとトラブルの種を抱え込んでいるとも言える。
「ねぇ、フェン。お腹が空いたんだけど」
そのトラブルの種が、食事の催促をしてくる。
とは言え、すでに昼を過ぎた所。確かに食事時だろう。そのままで食べられる保存食も竜車にはあるが、さすがにウィザードのプライドというのか、フィーアはツマミ食いの類はしない。まぁ、単に甲節種やら無骨種の乾物がお気にめさないだけなのかも知れないが。
「そうだな。食事にするか」
折しも大きな食堂が見えて来た所だ。食事のグレードが少々高そうだが、竜車の止められるスペースがあるような食堂は、どこも似たようなものだ。
フェンはハーネスで、食堂の敷地内へ入るよう、テトラ達を誘導した。
フェンが席についてまずした事は、フィーアからメニューを取り上げる事だった。
案の定というか、開いていたページは牛肉のステーキやら、煮物やらが並んでいた。
「何するのよ!」
「それはこちらの台詞だ。注文はオレがするから、黙って座っていろ」
「……ちなみに何を注文する気よ」
「ん? そうだな」
フェンは言われてメニューをパラパラめくった。
フィーアではないが、わざわざグレードの高い店に入ったのだ。さすがに、旅の食事と同レベルのものを頼むのは気が引けたし、なによりもフェン自身もこんな所でまで同じようなものを食べたくない。
「スナワニのロースト、キコの葉和えってところか。イワワニもよさそうだが、店によって肉の硬さが違うからな。初見の店で頼むのはちょっとな」
「だから、なんで竜種とかになるのよ! 私はいい加減違うものが食べたいの!」
両手を握り締めて力説するフィーアをちらりと見て、フェンはメニューをめくり始めた。
「よし、要望に応えよう」
「え?」
「そうだな。昼に食うものじゃないが、炒めたサソリ。子持ちのヒモムカデの揚げ物。ミミズの煮物がやけに豊富だな。どれにする――」
「ごめんなさい、私が悪うございました。お願いします。止めて下さい」
淡々と言うフェンの様子に、本気で注文されかねないと思ったのか、フィーアはあっさりと屈服した。
「じゃぁ、初めのスナワニのローストで文句ないな」
「ございません」
目尻に涙を滲ませつつ、フィーアは頷いた。が、さすがに悔しかったのか、恨めしそうに言う。
「フェン。今収入がないんでしょう? だったら、私のお金に手をつけないと路銀がなくなっちゃうわよ」
「心配して頂かなくて結構。金には困ってないよ。それは知っているはずだろ。伊達にアビスへの護送を何度も引き受けた訳じゃない」
流刑地アビスへの護送は何もなくても寿命を削る行為である為、報酬は破格の上前払いだ。ある意味、己の生命を切り売りする行為だが、依頼の引き受け手がいない事はまずない。逆に言えば、寿命と引き換えにしても吊り合う以上の報酬という事でもある。
テーブルに白い皿に載った料理が届いた。フィーアが目を丸くする。意外と見た目が良いので驚いたのだろう。伊達に店のグレードは高くない。それに値段も比例するのだが。
「ねぇ、フェン。聞いてもいい?」
「ん? なんだ?」
さっそく料理に手をつけ始めたフェンは、少し遠慮がちなフィーアの様子に首を傾げた。
「なぜ、アビスへの依頼を引き受けたの? 少なくとも最初の一回は自分の体質の事を知らなかったんでしょ?」
「ああ、その事か」
フェンはつまらなそうに言った。
「あの時はヤケになっていたからな。家族を捨て、自分一人だけだったからな」
「家族って、テトラ達?」
一瞬、フェンの料理に手をつける動きが止まる。が、すぐに再開される。
「売り飛ばした。金のたてがみのクエイクフットは珍しいからな、高く売れた。今の竜車とか引竜とか、護送屋に必要なものはその時の金でそろえた。
さすがにエゴタイト製リングブレイドはアビス行きの報酬で買ったものだがな」
フェンの言葉にフィーアは反射的に、竜車が止めてある方角を向いた。そこにはフェンが売ったといったテトラ達が、フェン達が戻って来るのを待っているはずである。
フィーアの考えを察してフェンは付け加える。
「後で、ディーラーに売った先を聞いて買い戻したのさ。足元を見られて売値の三倍以上の額を提示されたけどな」
「それでも買ったのね」
「ああ、あいつらは家族だからな。例え十倍の値でも買ったさ」
だが、とフェンは続ける。
「その家族をオレは売った訳だ。買い戻したのも言い訳にはならない。とんだクズッぷりだ」
自嘲的な言葉にテーブルの空気が重くなる。フィーアはごまかすように料理に手をつける。それにかまわずフェンは続ける。
「たかが、クエイクフット。そう思って。そう思い込んで。それが間違いだったって気付くのに随分かかったな」
そして、フェンの目が細くなり、フィーアを見やった。
「そういえば、家族を捨てたとは言ったが、なぜテトラ達の事を聞いた? 普通は両親や兄弟の事だと思うだろう?」
「それは……」
フィーアは気まずそうに目を伏せる。
「……知っているんだな。親父達の事」
彼女はこくりと頷いた。
「ご両親共に政府直属のマナクラフター。それも極めて優秀としてマナ採掘に関する権限のほとんどを一任されるほどの。
あなたが多少なりともマナクラフトの知識技術を有するのはご両親の影響でしょ?」
「ああ。正確に言うならば、親父達だけじゃなく親族一同がマナクラフターだった。
同業者にはちっとは知られた存在だったぜ。何事もなければオレもその一員になってたんだろうな。
だが、実際は違った。そこまで調べてあるなら、何があったか知っているんだろう?」
フィーアは言いよどんだが、結局は口にする。
「……黒の盗賊団。恐らく、この世界、この大陸において最強最悪の集団。
彼らのほとんどがマナクラフトで武装し、何よりも脅威なのは、政府ですら起動に成功していない、ゴーレムすら駆る者達。
彼らの特徴は、通常の盗賊と違って隊商などを狙わない事」
「そうだ。奴らが狙うは街やオアシス集落。そして、マナ採掘場。
通常の盗賊との違いはまさにそれ。奴らの主目的はマナだ。方法は不明だが、その土地のマナを奪いつくす。そして、人間は殺すか、拉致。
後に残されるのはマナを失い再建不可能な荒れた土地。政府軍ですら手におえない。最も、神出鬼没でどこからともなく現れ、どこへともなく消えるから、軍も動きがとれないってのが本音らしいが。
どちらにしろ、ゴーレムなんてここの政府軍本部が所有する、兵器級マナクラフトでもなきゃ対抗できないだろうよ。そんな中、オレ達が助かったのは奇跡に近い」
「……オレ達?」
「テトラとペンタ。まだオレより小さかったあいつ等を抱えながら、物陰に隠れて奴らが消えてくれるのを、震えながら待っていたよ」
「私が調べた記録では、あなたは軍に保護された事になっているけど」
「ああ。と言っても、黒の盗賊団が去ったのを確認してからの到着だったがな。……親父もお袋もゴーレムに潰されて原型を残してなかったそうだ。
他にも見付かっていない親族がいたが、見分けのつかない状態だったか、拉致されたか……。
情報屋に黒の盗賊団に繋がる情報をあたってもらっているが、成果は皆無と言って良い。拉致した連中を奴隷商に売るなりしているなら、少しは情報が漏れるもんだが。
……拉致の目的は分からないが、生きている奴はいないんだろうな。
その後は保護された軍の隊長の世話になっていた」
「フェン。なぜ護送屋に? あなたはテトラ達を家族と呼ぶけど、その隊長はあなたの新しい家族にはなりえなかったの?」
「……オレを引き取ったのは罪悪感からだと思ったからさ。何しろ襲われている現場を見て見ぬフリを決め込んだ訳だからな。――勘違いするなよ。オレはその判断は正しいと思うし、恨んでもいない。むしろ下手に軍を突入させていたら死者が増えただけだからな。
ただ、正しい事が重荷になる事だってある。オレがその隊長の元から離れたのは、相手がもたないと思ったからだ」
「もたない?」
「自分の無力さの証が常に身近にいる事を考えろよ。耐え難いとおもわないか?」
フェンの脳裏には別れの光景が過ぎった。リングブレイドの師でもあった彼の表情は、今でもはっきり覚えている。
あるいはオレはあの人に、再び無力感を付き付けただけなのかも知れないな。
「でも、なぜ護送屋に? あなたならマナクラフターとしての道も――」
フィーアは納得できないように言ってくるが、フェンは途中で遮った。
「ない。未だにオレの記憶からあの日の事が消えた日はない。オレは奴らをアビスへ護送する為に護送屋になったんだ。
復讐が目的なら、軍に正式に入隊するなり、追跡屋になるなり道もあったろうが。
もう過去は取り戻せない。だから、せめて奴らの終わりを見届けるのさ」
フェンはフォークを肉片に突き立てた。
「いつか必ず、奴らをあの地へ護送する。悪趣味だろうが、なんだろうが、そこで奴らが死に逝く様を見届けるのさ」
食事を終えた後、フェン達は二人目の魔女の封印へと向かった。
フィーアが言うには、グローリア警察本部に封印されていると言う。とんでもない場所と言えばそうであるが、すでに首都に来た時点で半ばそう言った常識を諦めていたので、フェンはあまり驚かなかった。
ただ、問題はどうやって取り次いでもらえばいいのか? である。
第二収容所ならいざしらず、首都にフェンは人脈がない。
だが、フィーアは。
「私にまかせて」
と自信ありげに言った。正直、フェンにとってそれこそが不安だったが。
警察本部のある上級区はフェンの護送屋の特権で入る事が出来た。
無理ならば、犯罪覚悟でフィーアの力に頼る事になったが。出来るなら犯罪に頼らない。それが護送屋としてのフェンの矜持だった。
警察本部の建物に着くと、警備担当が近づいて来る。御者台にいるフェンにグローミングカードの提示と用件を聞かれるが、フェンが行動を起こす前に、格子窓からフィーアが言葉を投げかける。
「長官に伝えて。空の裂け目を繕うモノが到着した、と。すでに長官には話は通しているから」
不審げに警備担当達がフェンを見るが、フェンとしては肩を竦めるしかなかった。
一人が伝達のマナクラフトで確認をとったようだが、みるみるうちに顔色が青ざめていく。一体何を聞いたのか、他の警備担当に説明すらせずにフェンを竜車が止められる場所へと案内し始める。
「何だ、その繕うモノってのは? 何かの符丁か?」
フェンが格子窓を振り返って聞くと、フィーアは薄く微笑む。
「まぁ、似たようなモノかしら」
何か裏がありそうな、含みがある言い方だが、聞いても教えてくれはすまい。フェンは警備担当が案内した駐足場に竜車を止めて、御者台から降りた。フィーアも竜車後部から降りる。
本部の棟を入って少しの所で長官に出くわした。顔色こそ平静を装っていたが、醸し出す雰囲気は、第二収容所の所長に似ていた。
「オレは――」
「良い。話は聞いている。フェン君。そして我々に必要なのは挨拶ではないはずだ」
名乗ろうとしたフェンを長官は強引に遮る。一刻も早く終わらせたい。そんな空気を感じる。
「こっちだ。他のものは通常勤務に戻れ」
他の警官を遠ざけ、長官は棟の曲がり角にあるポータルの中へ入っていく。フェン達がそれに続く。シールドが閉まるのを確認してから、第二収容所の所長がそうであったように、長官は自分のグローミングカードを操作する。
そして、ポータルの内壁に触れ、タイプリストより一番下の項目をタイプする。恐らくは存在しないはずの行き先だろう。
そして、シールドが開いた時、目の前に広がるのは、かつて見た広すぎる廊下だった。
先に長官、並ぶようにフィーア、そしてそれに続くフェン。背後でシールドが閉まる音が聞こえた。
「開放して本当に大丈夫なのだろうな。グローリア全体に関わる問題だぞ」
「ご心配なく。その為に私がいるのですから」
何の話だ?
フィーアと長官の会話にフェンは眉を潜める。
確かにグローリアに稀代の魔女の一部が封印されていて、それを開放すると言うのだから神経質になるのは分からなくもないが。なぜ、それがグローリア全体に関わる問題になるのか。
質問を挟める空気ではなかったので、フェンは黙ったまま歩を進めた。
やがて、第二収容所がそうであったように、先にマナ光が見えて来た。
また、魔法陣があるのか。
フェンの考えは正解であった。だが、その一方で予想もしていない事もあった。
十重二十重と半球状の部屋を行き交うミスティックコード。その内側に立つのはフィーアどころかフェンよりも幼いローブ姿の少女だった。
「おい、本当にあれがそうなのか?」
あまりの予想図との違いに、フェンは思わずフィーアに問いかける。だが、彼女はフェンの思いを知ってか知らずか、薄く微笑んで頷く。
「間違いなくあのコは、切り分けられた稀代の魔女が一。十二歳の私」
「十二歳?」
「そう。稀代の魔女を四つに切り分けたのは時間。十二、十六、二十、そして稀代の魔女が封印された時点の二十四。過去を切り分けたのよ」
フェンが困惑する。
「ちょっと待て。つまり何か? 今現在に過ぎ去った過去のお前が存在しているって事か?」
「そう、私が二重存在、いえ四重に存在している。理解し難いでしょうけど、あそこにいるのも間違いなく私。稀代の魔女が一たる者」
言われてフェンは改めて、魔法陣の中心の少女を見やる。
確かにフィーアの面影はある。もし、あれが絵画や彫刻でフィーアの過去の姿だと言われたならば素直に納得も出来たろう。しかし、そこにいるのは紛れもなく人間だ。
「さて、始めるわよ」
フィーアは片手を前方に突き出す。
一条のミスティックコードが放たれる。それは魔法陣に触れるや否や、魔法陣を構成しているミスティックコードを四散させ、そしてその現象は瞬く間に魔法陣中に伝染していく。
四散したミスティックコードはマナ光の残滓となって、降り注ぐ。
マナ光の霧雨の中、少女がゆっくり目を開いた。目覚めた彼女はゆっくりこちらへと歩いて来る、と思った瞬間駆け出した。
「アイ!」
喜々として両手を広げるフィーアだが、アイと呼ばれた少女は見事に彼女の横をスルーして、フェンに抱きついた。
「わーい。やっと会えたね、フェンお兄ちゃん」
両手を広げたまま、凍りつくフィーアと困惑するフェン。
「あ、自己紹介がまだだったね」
少女は一旦、フェンから離れた。
「稀代の魔女が一。力の魔女アインス。よろしくね、フェンお兄ちゃん」
再び、フェンに抱きついてくる。
「と、ちょっと待て。なんでオレの名を知っている。フィーアと違って、封印の外に干渉出来る訳じゃないんだろ?」
「稀代の魔女は封印前に肉体と意識を切り離していたの。封印により意識も四つにわけられたけども、封印の時間凍結を免れた。
そして、四つに分けられたといっても元は一つ。情報のやり取りをするチャンネルを自ら閉ざさない限り、意思疎通が出来るの」
憮然とした表情でフィーアが言った。
「で、アイ。仮にも四つに分かれた身と、ご対面という感動のシーンを無視して、なぜフェンにハグしているの?」
「だってー。フィーとはしょっちゅうチャネリングしていたじゃない。それにフィーはあたしでしょ。自分自身をハグするの、何か変」
フィーアは何かを堪えるように深いため息をついた。
「分かった。分かったからそろそろフェンから離れて。最後にやらなきゃならない事が残っているでしょ?」
その言葉にそれまで言葉なく見守っていた長官が反応した。
「そ、そうだ。早くしてくれ。そうでないと――」
「大丈夫だから安心してー」
フェンから離れて、アインスはトテテッとかつて自分が封印されていた場を向く。次の瞬間、部屋が目を焼く閃光に包まれた。それが、マナ光だとフェンが気付くのに数秒かかった。そして、その数秒で全てが済んでいた。
マナ光が収まった時、アインスがいた部屋に再び魔法陣が出来ていた。ただ、その中央にはアインスの変わりに、マナ光を放つ極小の何かが存在していた。
「これで数年は軽くもつわ」
「数年……なのか?」
長官は話が違うとばかりにフィーアに食ってかかろうとするが、フェンの身体が反射的に動いてガードする。それに対して薄く微笑みながら、フィーアは説明を続ける。
「数年で十分な期間なはずです。私達の使命が終えるまでには。そして、もし失敗に終わったならば……。結局、数年で世界は終わるだけです」
「そ、そうか。……そうだな」
長官は納得したのか、諦めたのか、肩を落とす。
フェンには何の事か分からなかったが、アインスが寄ってきたので聞いてみた。
「あれはいったいなんなんだ?」
「あれはー、あたしの代わり」
「代わり?」
理解出来ない返答が返って来た。
「正直信じ難いんだが……。グローリアだけマナに満ち溢れているのがアインスのせいだなんて」
「でもほんとーだよ。で、あたしがいきなりいなくなると、当然他の地と同じようにマナが低下するから、数年分だけ残してきたの」
舌足らずな口調で、凄まじい事を話すアインス。しかし、否定するには封印の場で見た異常なマナ光が印象的すぎた。どれだけのマナがあれば、あんなマナ光を放つのか。
少々自慢げなアインスの表情に比べ、フィーアは逆に不満気だった。
ここはグローリアに来た時に寄った食堂だった。早めの夕食もここでとる事になったのだが。
「フェン……。なんで私の時と扱いが違うのよ」
「いや、さすがに封印から出たばかりでトカゲは可哀想だろ? この歳で」
「この歳って、このコも私と同じ稀代の魔女の別れ身よ! なのに、何! この差別は!」
テーブルに並んでいるのは牛肉のステーキだった。
険呑な表情のフィーアと、どこ吹く風のフェン。そして、アインスはと言えば、そんな空気を読まずに存分に牛肉をほお張って、堪能している。
「肉ばっかりじゃなくて、付け合せの野菜もちゃんと食えよ。そっちも貴重なんだぞ」
「はーい、フェンお兄ちゃん」
「何誑かされているのよ、こんな子供に!」
「……フィーア。大人気ないぞ」
フェンの呆れた視線。そしてそれを真似るアインス。
「フィー、大人気ないよ」
「アイッ、あんたね!」
周囲の視線を集めていたが、かまわず騒ぐ三人。ある意味、全員神経が太かった。
「他に何か食べたいものはあるか?」
「んー」
「フェン。ちょっと甘やかせすぎ」
半眼でフェンを見るフィーアをよそに、アインスはメニューを睨む。
「これ、おいしいの?」
「どれどれ」
小さな指先が指した先は、フィーアが昼間に拒否反応を示した炒めたサソリだった。
「なかなかいけるが、どちらかというと食事というより、酒のツマミか、間食向けだな」
「間食って?」
「まぁ、おやつみたいなものか?」
そう言われて、アインスは目を輝かす。
「食べたい!」
言ってから、一変して沈んだ表情になる。
「でも、お腹一杯」
「じゃ、包んでもらうか。他にもムカデとかもおいしいぞ」
「ほんと? じゃそれもっ」
「ちょ、アインス! やめて! フェン、ワザとね? ワザと言っているでしょ!!」
フィーアの悲鳴に耳を貸さず、フェンは店員に次々に注文する。
「ねー、フィーも食べようよ。おいしいよ」
今、アインスが食べているのはイナゴの素揚げだった。
どうやら、同じ稀代の魔女から分かれた存在とはいえ、年代によって差が出ているらしい。アインスはフィーアが目をそらすようなものを先入観なしに食べている。小枝を折るような咀嚼する音だけで、フィーアは失神しそうになっている。
ここはグローリアを出て、数時間ほどの場所だ。
土は砂と岩に、緑は黄色に変わっていた。
時間的にはグローリアに泊まっても良かったのだが、フェンにはやりたい事があった。
すでに日は落ちて、木屑にかける油を大目にしたため、焚き火の炎がやや高く、いつもより周囲を照らしていた。
フェンのやりたい事、それはリングブレイドの機能の特訓だった。
リングブレイドはフィーアの手により武器として大幅に進化した。また、フェンの注文によって、細かな微調整も未だに行われている。もはや、エゴクラフトとしては最高位と言っても過言ではないだろう。
しかし、クラフトの性能に溺れて十全に使いこなせないのは、使い手としては未熟者を通り越して愚か者だと、リングブレイドの師から教わった。何もリングブレイドに限った話ではない。クラフトはその機能をその手の内にしてから、さぁこれからなのだ。
特にフェンが力を入れているのはブーストだった。
ホルダーに付与されたリングブレイド射出機能だが、射出された角度のままのうちは良いのだが、そこから角度に変化をつけたり、曲げたりすると勢いに引きずられ、身体が持っていかれそうになる。
「フェン。何も全開にする必要はないんじゃないの?」
フィーアはアインスの食べている様子をなるべく見ないようにしながら、フェンに助言する。
確かに射出のスピードを抑えれば、制御は出来るだろう。そして、抑えてさえ有用な機能だろう。
だが、フェンは首を横に振った。
「常に高みを。妥協を許すな。でなければ、必要な時に己の全てを使えはしない。ってな」
「それは、あなたのメンターの教え?」
「メンター?」
「ああ、そうか。あなたの師の言葉かって事。メンターとはウィザードにとって師を示す言葉。弟子はプロテジェ」
「師か……。そんないいものじゃなかったな」
「師が?」
「ウィザード流に言うならプロテジェ? か。
あの時は何も信じられなかった。力だけが全てだって。師ってのは、つまりは尊敬されるべき存在だろ?
……オレはぜんぜんだったな。終わった事、どうしようもなかった事だったのに、キズに触れるような事ばかり言っていたっけ」
フェンは後悔の混じった言葉をごまかすように、動作を再開する。が、間が空いたのが調子を崩してしまったのか。リングブレイドをホルダーに収めるはずが、その横を掠めてしまう。
予期せぬ事に思わずリングブレイドから手が離れてしまう。ブーストで加速されていたそれは、硬質な音をたてて地面を跳ね、そしてアインスの足元にすべり届く。
アインスはそれまで食べていたモノを横において、リングブレイドを手に取る。
「悪い、アインス」
「これ……、エゴクラフトだよね」
「ああ? それが?」
「初めて見た」
「え?」
眉を潜めてフィーアを見る。
「私は稀代の魔女のクラフト知識技術を受け継いだ。それは逆に他の魔女はその知識技術をもっていない事を意味するの。ましてや、エゴクラフトに関しては研究者としての立場だったから。アインスにとっては初めてに感じても仕方ないわ」
「へぇ」
そのアインスはと言うと、リングブレイドのハンドルを両手で握って力を込めている。どうやらリングブレイドを起動させようとしているらしい。
「アイ。それはフェンの大事なものだから返しなさい。それにあなたじゃ起動は無理よ。プロテクトもかかっているし」
フェンはフィーアの言葉に目を丸くした。
「そうなのか? プロテクトの有無はともかく、フィーアは使えていたじゃないか」
「使っていた訳じゃなくて、機能に干渉していただけ。まぁ、使えなくはないんだけど、私でせいぜいフェンの二割前後が限界」
「史上最初のエゴクラフターなんだろ?」
「そうなんだけどね。むしろウィザードとしては、そこまでエゴタイトの機能を引き出せるのは希少な存在よ。私達ウィザードはマナという存在に依存しすぎた。結果として、当事の平民達が使うエゴクラフトに対抗出来なかった。まして、アイは肉体年齢が十二歳。プロテクトがなくても起動にこぎつけるだけの意思力はないわよ」
フェンとフィーアは共にアインスを見やる。彼女は真っ赤になってハンドルを握り締めている。
「……どうしようか。あのままだとオレが困るんだが」
「アイ。諦めなさい。あなたじゃ無理なのよ。それにフェンはそれに他人が触れるのを好まないわ」
諭すようにフィーアが言うが。もはや、意地の領域らしい。アインスは涙目で、ハンドルを放す様子はない。
「フィーに使えるなら、あたしにも使えるもん!」
瞬間、フィーアの顔が強張った。リングブレイドの刃が銀光を放ち始めている。
「お、いけそうじゃない――」
「アイ! やめなさい!!!」
フェンの言葉を遮ってフィーアが叫ぶ。
そして、銀光が二人の視界一杯にひろがる。
視界が晴れた時には、地面に横たわるアインスとリングブレイド。そして大きくさけた岩の大地。
「おい! 大丈夫か!」
慌てて駆けつけアインスを抱き上げるフェン。
しかし、フィーアは落ち着いた口調で言った。
「心配いらないわ。ショックで目を回しているだけだもの。……そっちはね」
フィーアの言葉通り、意識こそないもののアインスの呼吸はしっかりしていた。
「それより、問題はこっちね」
フィーアは憂鬱そうにリングブレイドを拾い上げる。
「ああ……。やっぱりこうなった。一部の設定がとんでいる。やり直しじゃない、アイのバカ」
力なく肩を落とすフィーア。その彼女にフェンが質問する。
「いったい、何が起きたんだ」
「出力過多。簡単に言えば、想定以上の意思力が流し込まれたせいで、エゴ回路が暴走したの」
「ちょっと待て。さっき言った事と矛盾しているぞ。アインスは使えないって言っただろ」
「そうよ。……普通にはね」
「普通か。何か含みがある言い方だな」
「正解。アイがグローリアのマナの供給源だったって事は話したでしょ? より正確にはマナそのものを供給していただけでなく、用途に応じてマナを変換していたの」
「変換?」
「そう。マナは万能エネルギーと呼ばれているけど、それそのままじゃ宿る物質を活性化させるだけ。
ウィザードはそれを必要に応じて、熱、光、圧力など様々な力に換えて利用していた。
そして、アイは力の魔女。あのコが稀代の魔女から受け継いだのは生けるマナサイトとすら呼ばれた比類なきマナ蓄積容量と、その膨大なマナをあらゆるエネルギーに変換する能力」
「あらゆるエネルギーって、もしかして」
「そう。このコは今、マナを意思力に変換したの。しかも私と違ってエゴクラフトに関する知識がないせいで、エゴ回路を破壊しかねない量をね。幸い、エゴ回路は無事みたいだけど、また微調整が必要になるわ」
フェンはアインスが生み出した大地の裂け目に目をやる。夜闇のせいもあるが、底が見えない。背中が寒いのは砂漠の寒気のせいだけではないだろう。
「なぁ、あらゆるエネルギーって言ったよな。それじゃ、アインスはエゴクラフトを使わなくても同じ事が――」
「ええ、可能よ。むしろエゴクラフトを通さないほうが強力な力が使える。グローリアのマナを担っていたのは伊達じゃないわ」
腕の中でぐったりしている小さな存在が、急にゴーレムのようなとてつもない存在に思えてきた。フィーアと違って、より直接的な力を持つだけに、一つ間違うと危険な存在になりかねない。
五百年前、レジスタンスがその力を恐れ四つに分けて封印された訳が理解出来た気がした。
「あれ? あたし?」
アインスが目を覚ました。
そして、大地の裂け目と、フィーアがリングブレイドを持っている事で、ある程度事態を把握出来たようだ。
目にみるみる涙が溜まっていく。
「ごめんなさい。フェンお兄ちゃん。あたし……」
「ああ、過ぎた事だ。もういい。だけど、今回限りだぞ? あれはオレの大切なものだから無闇に触らないように」
「うん」
なんでそのコには甘いの。そう言わんばかりのフィーアの視線を無視して、アインスの身体を竜車の中に運び横たえる。
「フィーア。悪いけど――」
「ええ。ちゃんと調整するわよ。フェンお兄ちゃん」
「……何、いじけてるんだよ。元は同じ人間だったんだろ?」
「べ、つ、に」
竜車後部から覗くと、フィーアはさっそく作業に入るのか、その場に腰を降ろして目を閉じた。
フェンは毛布を取り出し、アインスの身体にかけてやる。すでに彼女は寝息を立てていた。
こうしていたら可愛いんだけどな。
内心ため息をついた。
まだ、魔女は二人目。残り二人が加わった時、いったいどうなる事やら。
そう考えると頭が痛いフェンだった。
第四章 完
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