空を望む−01page






 ぽかんと口を開けたまま声も出ない。
 それはそれはきれいな星空。
 雲は流れ消え、月もなく、輝きは川となって空を横断する。
 魂を奪われるほどのその光は何よりも崇高なものに映った。
 鮮烈な太陽よりも、上品な月よりも心を奪ったそれは大切な宝物。

「みんな、がんばってるわね」

 横に立つ《星詠》が呟いた。
 彼女の言葉に注意を向ければ、夜空の輝きに隠れて飛ぶ姿がいくつも見られる。

「今日は良い夜だから。みんなも張り切ってるわ」

 澄んだ空気。雲のない空。
 ああ、確かに彼女の言う通り良い夜だ。
 だから《星詠》達も張り切るだろう。ここ数日は雨が続いてまともな仕事が出来なかったから。

「さて、私もさぼってちゃ駄目ね」

 幼子の横に立つ《星詠》はそう言って地面を軽く蹴った。
 まるで重さがないようにそれだけで体が少し浮いた。
 《星詠》の仕事は星を空へ運ぶ事。だから飛ばない事には話にならない。

「終わったら迎えに来るわ。約束した通りここから動いちゃだめよ」

 どうしても夜空を地上から見たいとせがむ子に、下ろした場所にじっとしている事を念を押して約束はした。
 だけども好奇心からどこか別の場所へ行ってしまわないか心配だったが…。
 幼子は夜空に魅入られている。
 これならば、帰ってくるまでこの調子だろう。
 そう思って背を向けた途端。

「母さんっ!」

 幼子の声に空へと上がろうとした彼女は振り返る。

「わたし……わたしも《星詠》になるから」

 瞳をきらきらと輝かせてそう言った養い子に彼女は苦笑する。
 いつかそう言い出す事は分っていた。だが、その子にとってそれが良き道であるか判断がつかない。
 かといって、希望にあふれたその表情を壊すのは忍びない。それは母としての情だった。

「あなたがなるのは大変かも知れないわよ?」
「でもなるっ!」

 断固とした口調に彼女は肩を竦める。
 言い出したら聞かない子だ。引き取ってから現在に至るまでそれは変わらない。
 だが、良き子でもある。
 ならばせめて血は異なるものの愛しき我が子に、夢を見続けさせてやろう。
 それが叶うとも叶わなくとも。

「では、いつか一緒に空を飛びましょう。我が子よ」





 夜。人間達が寝静まる夜。
 月は欠けながら空を回り、星とともに地上を照らす。
 人間達はなぜ夜の闇の中、安心して眠れるのか。
 それは月の光、星の輝きが途切れる事はないと信じているから。
 過去も現在も、そして未来もそこに有り続けると信じているから。

 だから、人間達は知らないし知ろうともしない。
 夜空の輝きが途切れないのは月や星の精霊がいるからなどと。




「はい、みーつけた」

 キラはまだ微かに輝きを残すこぶし程度の石を布袋の中に放り込んだ。
 今夜はすでに二桁を超えて少し重い。

「はぁ、今日は多いなぁ。拾い残しがないように注意しなきゃ」

 夜空を見上げると埋め尽くさんとばかりの星々。
 そして、人間には見えぬであろう彼女のかつての仲間達がそこにいる。
 目を凝らせば一つ、また一つと空が光を灯すのが見て取れる。
 《星詠》、そう呼ばれる天に属する精霊達。《光源》より生まるる星を夜空へと運ぶ使命を授けられし精霊に付けられた名称。
 毎夜々々、彼等は夜空を舞う。生まれたての星と共に。
 《光源》より生まれた星は夜空へと運ばれ地上を照らし、そして短いその生を全うする。
 光を失った星は地上へと堕ちる。一晩中輝き続ける星もあれば、一時ともたずに輝きを失う星もある。
 地上に堕ちた星はかつての輝きの名残を残しながら、大地へと突き刺さる。
 もしも、そのままでいるのなら太陽が昇り活動を始めた人間達に見つかってしまうだろう。
 だが、実際にそれを見た人間はほとんどいない。
 それは、地上に堕ちた星を回収する精霊がいるからだ。
 《屑星拾い》と呼ばれる彼等は《星詠》を目指す精霊。
 いつか《星詠》になって空を飛ぶ事を目指して星を拾い続ける。
 そして、キラもそういった《屑星拾い》の一人だった。

「いいなぁ、みんな……」

 ぽつりと呟いた言葉が誰もいない大地に染み渡っていく。
 そこには憧れというよりは羨ましげな響きがある。
 はぅっ、と溜息を一つついて自分の両頬を手のひらでぴしゃりと叩く。

「だめだめっ、弱気になっちゃ」

 自分を叱咤して顔を引き締める。
 もっとも、顔が人一倍幼いので迫力は全然なかったが。
 突如、微かな振動が大地を伝わっていくのを感じた。
 新たな星が堕ちたのだ。
 距離はやや遠いがキラの担当の地区だ。

「よっし」

 彼女は地を蹴った。
 まるでその場からかき消えるかのようなスピードで駆ける。
 決して走りやすいとはお世辞にも言えない土地を均したかのように安定した体勢で進んでいく。
 風が頬を掠めて流れていく感触を楽しんで目を細める。
 彼女は走っている時が好きだった。この時だけが空を飛んでいるような錯覚に浸れるからだ。
 そして、新たな星を回収した時にも汗一つかいていなかった。

「ほんとに今日は多いなぁ。どうしたんだろ」
「あら、堕ち零れが退屈しないようにと粋な配慮じゃないかしら」

 チクチクと癇に障る笑い声と共に嫌味が降ってきた。

「…何しに来たのよ。まだ仕事中でしょ? スイ」

 見上げるとそこには見知った顔の《星詠》が空に浮かんでいた。
 外見を人間に例えると10代前半の少女。キラと同じくらいだろう。
 ふわふわとウェーブを描く長い黄金色の髪が風に流される様は絵になったが、彼女に対して色々と悪感情を抱くキラにとっては、うざったく見える。

「あら、ご挨拶ね。かつての同輩に顔を見せに来たって言うのに。ねぇ」

 邪険なキラの様子にクスクスと笑いながら、後ろに首を傾けて同意を求めるスイ。
 そこには彼女よりも多少幼く見える少女達が何人もいた。
 スイも後ろの少女達も例外なく片方の二の腕に腕輪をはめている。そこに刻まれた模様は複数を組み合わせた三角形。
 それは《星詠》の証。彼女達は全員《星詠》なのだ。

「顔を見せに来ただけなら、もう用は済んだでしょ?」
「随分とそっけないのねぇ」
「そっちはどうか知らないけど、こっちは忙しいのよ」
「そうなの?」

 ふふんっと吐息を漏らすように小さく嗤う。

「堕ち零れなりに一生懸命ね」
「…いい加減にしてよね」

 どさっと星が詰まった布袋を地面に放りだして空に浮かぶスイを睨み付ける。

「顔を会わせる度に堕ち零れ、堕ち零れって」
「ふうん。わたくしが《屑星拾い》から《星詠》に上がっていくつの季節が巡ったのかしら。三つ? 四つ?」
「…五つよ」
「あら? 一つや二つ余分に季節を巡る方はいらっしゃるけど、さすがにそれ以上はあなた以外には聞いた事がないわ。ねぇ?」

 スイが後ろに同意を求めるが、答えの代わりに返ってきたのは嘲笑といっていい笑い声だった。
 悔しさにキラは唇を噛んだ。

「だめじゃない、あなた達。仮にも《屑星拾い》の時には先輩なのよ。多少は敬意を払ってあげないと可哀想じゃない」

 さも同情しているといった声音で咎めるが、それがさらに笑い声に輪をかける。
 そう、スイの後ろにいるのは確かに《屑星拾い》の時の後輩だった。後から《屑星拾い》になってキラより先に《星詠》になったのだ。
 別にその後輩達が特別優秀だった訳ではない。
 キラが単にいつまでたっても《星詠》に上がれないだけなのだ。
 なぜなら…。

「まったく、いつまでたっても満足に飛べないくせに。《星詠》一族の恥よね」

 そう、キラは飛べない。
 《屑星拾い》とは言うなれば飛ぶ力を得る為の準備期間と言い換えても良い。
 だから、飛べるようになると《星詠》へと上がる。
 なぜならば、飛ぶ事が《星詠》の必須条件なのだから。《光源》から夜空へと星を運ぶのが使命の《星詠》は空が飛べない事にはなんにもならない。
 なのに、キラはいつまでたっても飛べなかった。
 同期の精霊が《星詠》へと上がり、季節が一つ、二つ、三つと過ぎて後ろから来たものが次々と先へ行ってしまっても追いかけられない。
 才能と呼んでしまうのなら、彼女には飛ぶ才能というものがあまりにもなさ過ぎたのだ。

「…確かに今は飛べない。だけど、いつかは」
「無理に決まってるじゃない」

 見下す目つきでキラを見つめ、スイは言葉を重ねた。

「だって、あなたは――」
「そこまでにしとけよ」

 割って入った声に言おうとした方も言われようとした方も同時に身を引いた。






© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved