魔女の森の白き魔女−03page







「…馬鹿だよな。魔女なんて居るわけないのに」

 自分の声が妙に耳に響いた。

「………」

 しばらく、自分が目を開いていた事にすら気付いていなかった。
 まず、自分が見知らぬ何かを見ていた事に気付く。
 次に気付いた事は、自分が見ていたのは天井で簡素なベッドで横になっている事。
 そして、その次に関しては気付いた瞬間激しくせき込んだ。

「ゲホッ! ゲホッ!! なんだ、これ」

 ツンと鼻をさす匂い。
 どこから匂うというレベルではない。辺り一帯に充満した臭気に意識がクラクラして来る。
 無理矢理例えるなら柑橘系。甘いというよりもすっぱい香り。
 ただし、それをどれだけ濃くすればここまでになるのか想像も出来ない。
 エドは頭を振って意識を無理矢理に覚醒させる。

「どこだ…ここ」

 まったく見覚えがなかった。
 以前に興味本位で潜り込んだことのある施療院の倉庫に似ている気がした。
 そこには中央の教団より寄付された薬類が納められており、侵入したはいいがその匂いに耐えられずすぐに飛び出した。
 だが、ここの匂いはそれを上回っている。
 不幸中の幸いなのは、倉庫の方はいろんな匂いがまざって形容しようのない匂いになっていて胸が悪くなったが、ここは匂いが統一されていて匂いが辛い事には変わりないが同時に胸がすくような気持ちにもなる。
 壁にはずらっと棚が並び透明な瓶やしっかりと蓋をされた小さな坪、布袋がいくつも並んでいる棚もある。

「本当に施療院の倉庫じゃないだろうな、ここ」

 首をかしげながら体を起こす。

「痛っ!」

 瞬間、首と肩の付け根から肘までに痺れるような痛みが走る。
 崖から落ちた時にぶつけたせいだろうか、咄嗟にそこに手をやると包帯越しに熱っぽさを感じた。腫れているらしい。
 そして、遅れて気付いた。

「包帯? 誰が巻いたんだ?」

 肌着の下、首から脇の下を包帯が巻かれている。いや、他にも両腕にも巻かれているし毛布の下に埋もれて見えないが、どうやら足首の辺りにも巻かれているようだ。
 腕を鼻に近づけると、部屋の匂いと共通する香りがする。どうやら包帯の下に何か塗られているらしい。

「痛っ」

 疼くように体中が痛んだが我慢して体から毛布を引き剥がしてベッドから降りる。
 何をするでなくぼうっと立ちつくしていたが窓からもれる赤い光に何気なくそちらへよる。
 どうやら、もう夕方らしい。
 恐らく、崖から落ちた自分はロック達によって街へ連れ帰られてここへ運ばれたんだろう。
 そう結論づけたが窓の外を見て言葉を失う。

「………」

 地面には背丈ばらばらに生い茂る草。
 一陣の風が吹いて夕陽に染まった落ち葉を宙に舞い挙げる。
 幾つかの切り株の向こうにどこまでも続く木々。
 そう、まるでまだ森の中にいるかのように。
 よろっと一歩後ろに下がった。

「あ…れ?」

 エドは混乱して額を押さえた。
 もしかして何かとんでもない考え違いをしていないか?

「っ!?」

 ふいに体が硬直した。
 耳が何かの物音を捕らえたのだ。
 乾いた音が規則正しく響く。
 それがドアを叩くノックの音だと気付いた時には、すでにドアは開かれていた。

「あれ? 起きてたんだ」

 小首を傾げてそう言った。
 入ってきたのは小柄な少女だった。歳はエドより4,5才上だろうか?
 見慣れない衣服を着ている。
 以前、中央から視察に来た教団の司祭が着ていたのと似ている気がする。
 彼女の手には薬入れとおぼしき木箱と包帯。
 だが、エドの目にはそんなものは何一つ映っていなかった。

「あ…」

 一歩下がった。

 背中にさっきまで外を見ていた窓に当たる。
 エドは目を見開いたまま、ただ少女を凝視している。
 いや、少女ではなく彼女の背中まで伸びた髪を。

「………」

 何を言うべきか言葉を探す。
 そんなはずはない。
 あれはただの伝説。
 そんなものは存在しない。
 誰が言った?
 誰でもない。エド自身が言ったのだ。

『魔女なんて居るわけないのに』

 だったら、

「どうしたの? 気分が悪いの?」

 なぜ

「ねぇ?」

 どうして、この少女の髪は白いのだ?

「うわぁぁぁぁ、魔女だっ!!!!」

 ぎゅっ、と両目をつぶって窓枠に体を押しつけた。
 恐怖と混乱で窓から逃げるという事すら思いつかなかった。
 意味もなく両手を振り回して、床から伝わる足音を遠ざけようとする。

「くっ、来るなっ!!」

 近づいて来る足音に身を固くする。
 目をつぶっているため正確な位置は分からなかったが、足音はすぐそばまで来ていた。
 頬に何かが触れた。

「ヒッ!」

 咄嗟に押しのけようとして両手を突き出す。
 だが、体勢が中途半端な為にただ自分の手を少女の体に押しつけただけだった。

『…ないから』

 掠れた声が聞こえた。
 押しつけた手に柔らかい感触。
 そして微かな振動。それは規則正しく打ち響く。

 薄く目を開ける。
 視界の半分を覆う白。
 エドの頭を抱きかかえるように回された細い両腕。
 耳元に寄せるようにして囁かれた言葉。

『何も…しないから』

 魔法のように狭まった視界が一気に広がった。
 押しつけた手が感じ取る振動は彼女の鼓動。
 微かに早いそれは緊張をしているのだろう。
 表情は肩口に埋もれて見えないが、その肩が微かに震えている。

『だから、おびえないで』

 どれだけそうしていただろう。
 エドの手のひらが感じる鼓動が、穏やかになった頃。

「あ…」

 彼女は小さく声を上げた。
 エドが巻き付いた彼女の手をゆっくりとほどいていったから。
 3歩程の距離をおいて二人は向かいあった。

 エドの表情にはもう恐れはなかった。
 ただ、目の前にいる少女が誰なのか、何なのか。それを見極めようとしている。

 少女の表情には憂いと微かな喜びがあった。
 エドにはそれが何かは理解しようもなかったが、ただ胸の奥を猫の爪で引っ掻かれたような痛痒いような気持ちになっていた。
 彼女のそんな表情は見たくない。
 なんとなくそんな気になった。

「名前…」
「え?」

 唐突に少女が言った。

「名前、教えてくれる?」

 言われてエドは戸惑った。
 伝説にはこうある。

『魔女には名前を教えてはいけない。なぜならそれこそが呪いの始まりだから』

 躊躇いは一瞬。
 胸を張って、ハッキリと告げた。

「エド。エドワード・ジッティ」

 彼女は目を細めて笑った。
 まるで日向で幸せそうに眠る猫みたいだと場違いな感想を抱いた。

「そう、エドっていうの。じゃぁ、初めましてエド。私はシルル」

 あ、それから…と思い出したように付け加える。

「私は魔女じゃないから…ね」






© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved