魔女の森の白き魔女−04page
木造の粗末な小屋の中、外に聞こえるか聞こえないか位の小さな悲鳴が響いた。
「いつっ」
「あ、ごめん。痛かった?」
思わず洩れた声に、心配そうに彼女が下から覗き込むように見る。
サラサラとした髪が彼女の肩から流れてエドの頬に触れた。
ビクッっと反射的に少し体を離してしまう。
「悪りぃ。大丈夫だから」
「ん」
改めて彼女はエドの腕に巻かれた包帯を解いていく。
やがて見えたきた素肌は黄色に変色していた。
開け放たれた窓から漏れる夕陽の赤と混じって不思議な色合いになっている。
「うわ…なんだこれ」
「薬草をそのまま潰したものを直接張り付けたの。本当は生のままってのはあまり良くなくて乾燥させて粉にするんだけどね。作り置きがなかったから」
「良くないって…大丈夫なのかよ」
「う〜ん、あくまで長時間そのままにしておくとって事。こうして適度に張り替えれば大丈夫…」
そこまで言って、彼女は人差し指を唇にあてて視線をやや上に向けた。
「たぶん」
「…ヲイ」
ジト目で睨むも彼女は知らんぷり。
まぁ、いまさら言っても仕方がない。
エドは諦めて彼女にされるがままになった。
シルルと名乗った少女は手際よく腕、足、肩と次々に包帯(と薬草)を代えていく。
それを眺めながらエドはわだかまっていた疑問を口にする。
「で、結局お前はなんなんだよ」
「…何って言われても。シルルよ。名前ならそう名乗ったでしょ?」
「じゃなくて。本当に…魔女じゃないのか?」
ピクッっと『魔女』という単語が出た瞬間、包帯を巻く手が一瞬止まる。
すぐに何事もなく作業を再開したが。
「もしも、魔女だったら?」
「え?」
「退治するの?」
一瞬、答えに詰まった。
「ま、魔女じゃないって言っただろ」
「そうね…。ごめん、困らせるつもりはないの」
沈んだ声が返ってきて、エドは少し気まずくなるのを感じた。
「そうだよな。いるわけないんだよ、魔女なんて。そんなの物語だけさ」
「うん」
「なぁ、ここは…森の中なんだろ?」
「ええ、そうよ」
「俺は…どうしたんだ?」
シルルは視線を迷わせる。
答えるつもりが無いわけではなく、どう説明すれば良いか困ってるようだ。
「ええと、森の中に倒れてたのよ」
「倒れてた?」
「ええ、崖の下でね。たぶん上から落ちたんだと思うけど覚えはある?」
「…ある」
まさか虫に驚いて落ちましたとは、男の面子が邪魔して言えず結果言葉少なに頷いただけだった。
「実際驚いたよ。材料を集めてたら人が倒れてるし。てっきり行き倒れかと思って危うく埋葬する所だったよ」
「…生きてる人間を埋葬するなよ」
「あはは、だからちゃんとここに連れてきて手当して上げたでしょ?」
「ここ…」
言われて壁一面に小瓶や布袋、臼やすりこぎ等が並ぶこの部屋を見渡す。
「ここに住んでるのか?」
「ん? そうね、ここ数日はこっちで寝起きしてるけど、基本的に『家』はもっと奥の方にあるの。ここは作業小屋」
「作業小屋?」
「匂いのきついのを扱う時もあるし、毒性の強い材料を普段寝起きする場所で精製するのはあまりいい気がしないしね」
「材料…」
呟きながら包帯の巻かれた腕を見る。
ツンと鼻をつく匂い。
「材料ってのはもしかして」
「あ、そうか。言ってなかったよね。私は薬師なの」
「薬師?」
エドは首を傾げた。
予想と少し違ったからだ。
「医者じゃないのか?」
「違うよ。私には薬に関する知識と技術しかないの。勿論、どんな病気にどんな薬が効くとか、ある薬を飲んだらどんな効果が出るとかそういうのは分かるけど」
「ふうん」
正直に言うと、それと医者との違いは良く分からなかったが、特に興味がなかったので別の事を聞く事にした。
「ずっとここに住んでるのか?」
言ってしまってからしまったとエドは心の中で慌てた。
聞いてはいけない事ではないかと思ったからだ。
「そうね。…もう随分と長い…かな」
哀しみとかそういうものは混じってはいなかったが、どこか遠く懐かしむような声だった。
「ずっと長く長く一人だったかなぁ。昨日、君を拾うまで」
………
その言葉の意味がエドの頭に浸透するまでしばらくかかった。
…昨日?
「ちょい待て」
「?」
「昨日ってのは昨日の事だよな」
「たぶん…そうだと思う。他に昨日ってないと思うし」
「今日の間違いじゃないよな」
「今日は昨日じゃないよ」
「昨日?」
こくりとシルルが頷く。
二人の間に沈黙が降りた。
ゴクリと唾を飲み込む音がやけに大きく感じられた。
「やば…」
背中を悪寒が通り過ぎる。
ヤバイ。あまりにヤバ過ぎる。
だたでさえ、【叫び岩】を越えるなどした上で丸一日行方不明。
まだ、森の奥でさえ無ければマシなのかも知れないが、先に帰ったロック達がこんな事態になっても黙っているとは思えない。
そんな所に陽気に手を上げて『ただいまー』などと言った日には…
「お、親父達に殺されかねない」
口にした瞬間、焦りは頂点に達した。
「うわぁっ、やべっ、のんきにこんな所にいる場合じゃないっ!!」
「ちょ、ちょっと。何っ、どうしたのっ」
ぎょっと身を引くシルルだったが、かまう余裕もない。
「早く帰らないと殺される。いやっ、帰っても殺されるだろうけど、一刻も早く帰らないと念入りに殺されるっ!」
「何か良く分からないけど、帰るの?」
慌てて小屋から飛び出そうとするエドを捕まえて引き止めるシルル。
エドは焦りのあまりその場で足踏みをしながら、目で離してくれと懇願する。
「悪いんだけど、私の事は街の人には黙っていてくれるかな?」
「え?」
一瞬、焦りも忘れてシルルの顔を見る。
困ったように笑って彼女は寂しげにやや視線を逸らす。
後ろめたいような仕草に、なぜかエドの方が訳の分からない罪悪感を感じた。
「ん?」
ふと気付いて、エドは自分の両腕に巻かれた包帯を見る。
「あ、そっか。困ったね」
エドの仕草にシルルもようやく気付く。
体の随所に巻かれた包帯を見れば、誰かがエドを手当した事くらいすぐに分かる。
彼女は唇に指をあてて考え込んだ。
「街の人間にバレたら困るのか?」
「え、うん…そう」
曖昧に彼女は頷く。
なんとなく、それはあの魔女の噂のせいという気がした。
だから、
「こうすりゃ問題ないだろ?」
「え?」
言うが早いか勢い良く包帯を剥がす。
腕から、脚から、服の内側に巻かれたものまで、一切合切剥がしていく。
ついでに皮膚にこびり付いている潰した薬草も剥がしていく。
ただ、薬草の汁が変色したせいか肌の色がおかしくなっていた。
が、この程度なら打ち身だと言い逃れ出来る。
「よし、これでいいだろ?」
呆気にとられて目を丸くしていたシルル。
だが次の瞬間、頭を下げた事に、今度はエドが目を丸くした。
「ありがとう」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんだよ、ありがとうって」
「だって…私の為でしょ」
「何言ってるんだよ。礼を言うのは俺の方だろ? 助けてくれたのはシルルなんだし。これくらい当然じゃないか」
「それでもうれしいよ。私、そういうの始めてだったから」
エドは内心恥じていた。
彼女を魔女だと思った事に。
「途中まで送っていくね。あの変な岩、『叫び岩』って呼んでるんでしょ? あそこまでいけば後は大丈夫よね」
「あ、ああ」
ちょっと赤くなった顔を見られたくないと言う風に、エドはやや俯きがちに頷いた。
「そこ上に気をつけて、枝が出っ張ってるから」
「おっと、あぶなっ」
言われて間一髪で身を屈めてやり過ごす。
背の低い木の葉や枝が視界を狭めて歩きにくい事この上ない。
おまけに足下は長く生えた雑草が生い茂り、つま先がまともに見えない。
獣道というのもはばかられるが、シルルに言わせるとこれがもっとも安全な”道”だと言う。
「ほら、例えばこの葉なんかちょっとすっぱい匂いがするよね? 人間にはたいした事はないんだけど、鼻が利く獣には耐え難いみたいでこのあたりにはあまりうろつかないの。毒性のある植物とかもほとんど生えてないし」
手近に生えていたどこにでもありそうな葉っぱをちぎってそう説明する。
もっとも、彼女の説明はエドの耳を右から左へと通り抜けていく。
ただ、なんとなく彼女の言葉に頷くだけで時間が過ぎていった。
そして、さほど時間をかけずに『叫び岩』にたどり着いた。
「…ここでお別れだね」
くるっと背を向けてささやくように彼女は言った。
夕陽も山の向こうに消えかかり、森が本格的な闇に包まれようとしている中、彼女の白い髪がまるで光るように見えて一瞬見とれてしまう。
「じゃ、いくよ」
そんな気持ちを振り払うように、意識してそっけなくそう言った。
「ん。元気でね。バイバイ」
薄暗い中を白い髪が揺れて消えていく。
小走りに駆けていくその背を見届けてから、街へと歩き出した。
きっと帰ったらこってりと絞られるだろう。
だけど、そこには両親がいる。友人達もいる。
「あいつは帰ったらまた一人なんだよな」
ふと漏らした自分の言葉が、エドの胸を締め付けた。
思わず、振り返りたくなる衝動を我慢する。
もし振り返ったら彼女の後を追ってしまいたくなるだろうから。
ひたすらに前だけを向いてエドは街を目指した。
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