魔女の森の白き魔女−06page
カサカサと肌を掠めていく木の葉の感触もあまり気にはならなかった。
前の時は、もの凄くうっとうしく感じたのに。
「なんだ、別に向こうとこっち側って対して違いはないじゃないか」
どこか構えていたのだろう。エドは胸の内が軽くなるのを感じた。
確かに【叫び岩】から先に出た辺りから急に樹木の生えている密度が高くなったり生えている植物などの種類が目に見えて変わっていたが、逆に言えばただそれだけだった。
昼間なのに薄暗く思えるのは奥にいくほど、上を覆うような枝と葉が増えていって陽光を遮っているからだ。
どこからか鳥の鳴き声がこもって少々不気味に聞こえるが、恐らくは地形が影響を与えているだけだろう。
要は気の持ちよう。
怖いと思うからつまらない事に捕らわれてしまうのだ。
「白髪の魔女だって、そんなところだよな。きっと」
ふいに見覚えのある木が見えた。
丁度エドの頭くらいの位置で三つに分かれている。
『そこ上に気をつけて、枝が出っ張ってるから』
間違いない。あの日来た道をちゃんと逆にたどれている。
一度しか通った事のない、道ならぬ道。
にもかかわらず、エドの足取りに迷いはなかった。
まるで通いなれた大通りを歩くかの如く、しっかりとした足取りで進んでいく。
足取りだけではなく、心までも迷いがなかった。
彼女の元へ進んでいるのだと、根拠のない確信が背中を強く押していた。
ふいに視界が開けた。
それまで密集していた樹木が道を空けた、そんな錯覚に陥ってしまう位そこには綺麗に空いた空間があった。
小さな広場、そう思わせる空間にその小屋はあった。
あの時はほとんど気にしていなかったが、改めてみると本当に粗末な小屋だった。
強い風でも吹くと吹き飛ばされるんじゃないか? などと思ってしまう。
「…いるのか?」
森から抜けて広場に足を踏み入れる。
草を踏みしめながら小屋のすぐ前まで歩く。
しばし、躊躇する。
扉の前でノックのポーズで固まったまま。
まず、なんて言うべきか?
それが思い浮かばなかったのだ。
「あー、えっと、なんだ」
まるで台詞を忘れた役者のように、何度も頭から言葉を引っ張りだそうとするエド。
もしも、この姿をサラが見ていたなら盛大にからかったであろう。
で、結局。
ドンドンッ
拳を固めてドアを何度も叩く。
「おい、シルルッ。いるかっ?」
まるで旧知の仲を呼び出すような感じになってしまった。
まずいかなと思いつつ何度か叩いてしばらく待ってみるが反応は返って来ない。
少し間を空けてもう一度。
しかし、同じく反応はない。
ふと、耳を澄ませてみる。
小屋の中に人の気配がない。
「留守なのか?」
はっきりさせようと扉に耳が触れるくらいに近づけてみると、ふとある事に気付いた。
戸締まりがされていない。
錠前は勿論の事、閂すらかけられていない。
首を傾げる。
扉に手をかける。
軋んだ音を立てながら抵抗無く扉が開く。
むわっと中から覚えのある匂いが微かに流れてくる。
奥にいけば恐らくもっと匂いは強くなるだろう。
エドが寝かされていた部屋への入り口はドア代わりの煤けた一枚布に遮られて見えない。
「…あ」
呼びかけようとして言葉を失う。
そこには人の気配がなかったからだ。
ふいに脳裏を過ぎる彼女の言葉。
『基本的に「家」はもっと奥の方にあるの』
「…でも、俺。あいつの家がどこにあるかなんて知らない」
ここに辿りついたのも半ば勘が混ざっていたが、まったく知らない場所となると闇雲に捜せば見つかるというものでもないだろう。
ここまで来て帰るにも帰れず途方にくれるより他なかった。
彼女は言葉を失った。
誰もいないはずの作業小屋の扉が開け放たれているのだから。
戸締まりこそしていなかったが、少なくとも小屋の扉はちゃんと閉めていたはずだ。
それがなぜ?
微かに呼吸に緊張が混ざる。
意識して深く々々呼吸して落ち着こうとする。
指先はゆっくりと胸元へ。
「…何もなければ良いけど」
この辺りは危険な獣はほとんどよりつかないはずだ。
だが、絶対ではない。
もしかしたら、大型の獣が彼女の匂いを探りあてて扉を押し開けたのかも知れない。
だが、それならまぁいいのだ。
獣なら追い払えばそれですむ。
だが、もしも違った場合は…。
胸元の探っていた指先が服の内側に縫いつけられたポケットを探り当てる。
そこからとりだす、数個の折り畳まれた紙片。
おもむろに一枚を広げると、中に純白の中に黒い点々の混じった粉が包まれていた。
これが人間に…いや生物にどういう影響を与えるか、彼女は良く知っている。
紙片の乗せた手のひらが微かに震えていた。
「どうか、つかわずに済みますように」
祈るように呟いて、恐る恐る小屋へと慎重に近づいていく。
コトッ
物音にようやくエドは我に返った。
いけね、どれくらいこうしていたんだ?
自問しながら音のした方を向く。
「あ…」
掠れた声を上げたのはどちらの方だったか。
開け放たれたままだった戸口にぽかんと口をあけたままの彼女がそこにいた。
その手から折り畳んだ紙片がこぼれ落ちた。
どちらも言葉を発する事が出来なかった。
お互い信じられないものを見たように見つめ合ったまま…
『何を言えばいいんだろう』
エドはそんな事を考えていた。
ここに来るまでは単に彼女に会う事だけを考えていた。
会ってからどうするのか。
会ったらどうなるのか。
そんな事は考えつきすらしなかった。
「…もしかして、エド?」
嬉しいような、哀しいような、そんな不思議な表情で彼女は言った。
『もしかしてってなんだよ』
ちょっとムッとするのを感じながら言葉を返した。
「もしかしなくても、そうだよ」
それが二人が再会して最初に交わした言葉だった。
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