魔女の森の白き魔女−07page
『まず、なんて言おう』
そんな思いが頭から離れずにいた。
つまりそれ位に場が硬直していた。
エドはシルルの、シルルはエドのリアクションを待つような感じでいて無為に時間が過ぎ去っていく。
唇からノドへ乾きが伝染していくような感じがしてエドは無意識に唇を舐めた。
小さく濡れた音がした。沈黙の中、それは不思議なほど大きく聞こえた。
そして、それが引き金となって時間が再び動き始めた。
「えっと…エド? 何か忘れ物したの?」
「い、いや。えっと」
「それらしいものはなかったけど」
唇に曲げた指を当てて思い返すシルルは一見して冷静そうに見える。
何故か、少し落胆している自分を感じながらどう説明したものか考えを巡らせる。
「よくここまでこれたね。道覚えてたんだ。迷わなかった?」
「あ、ああ」
「そうよね、迷ってたらここまでたどり着いてないし」
うんうんと何度も頷くシルル。
少し動作が大げさだった。
「戻ってきて良かった。たまたま忘れ物して戻ってきたんだけど。ほら、前に言ったよね。住んでる家はここじゃなくって、だから普段はここにいなくて今はたまたま忘れ物をして――」
話す内にペースが速く内容があやふやになっていく。
まるで熱に浮かされたような様子の彼女を見てエドが慌てて止めに入る。
「おいっ、ちょっと」
「あはは、戻ってこなかったら会えなかったかな。運が良いって言うのかなこれって、えっと」
「おいっ! シルルッ!!」
ビクッとシルルの肩が震えた。
憑き物が落ちたような呆けた顔をしていたが、やがて真っ赤になって顔を俯かせる。
どうも舞い上がっていたらしい。
「ごめん、あんまり人と話した事なかったし。また会えるって思ってなかった」
「みたいだな」
多少呆れながらエドは頭をかいた。
たかが顔合わせただけだろ、などとは思ってはいたがさすがに口にしない。
『サラは問題外だけど、他の学校の女とも違うよな』
今だ縮こまったままのシルルの様子と自分の知ってる少女達の姿を重ねようとして当てはまらず困惑するエド。
「あ、あの…」
おずおずと言った感じでようやく彼女は顔を上げる。
「で、エドはどうしてここへ来たの?」
一瞬、返答に詰まる。
はっきり言って明確な理由などないのだから。
返事が来ないのでシルルが微かに首を傾げた。
慌ててエドは言葉を探した。
ないと素直に言えばいいのかも知れないが、なぜか言おうとすると胸で引っかかったような感じがして言葉が出ない。
「ん、いや。特に理由なんてないんだけどな」
「え?」
「お礼…言ってなかったろ?」
「お礼…って?」
エドの言っている事が理解出来ないのか再び彼女は首を傾げた。
「いや、だから助けてくれただろ」
「………」
唇に指先をあてて考える事しばし、シルルはぽんと手を打った。
「ああ、それの事か」
「本気で分かってなかったのかよ…」
「たいした事じゃないし。気にしなくても。だいたい、ああいう場合って助けるのが当然じゃない」
「当然でもなんでも助けてくれた事には変わりないだろ?」
「それはそうだけど…」
困ったように笑って、ふと彼女は思いだしたかのように
「あ、そう言えば、大丈夫だったの?」
「へ?」
今度はエドが首を傾げる番だった。
「大丈夫…って何が」
「だって、帰ったら怒られるみたいだったし。あの時…」
………
その時の事を思いおこしてげっそりとする。
「ああ、全然大丈夫…じゃなかった」
「そ、そうなの」
「まぁ、無理ないんだけどさ。入っちゃいけないって場所に足を踏み入れたあげく丸一日森の中で気絶してたってきたら」
「あ…」
反射的にシルルは口元を押さえた。
「ごめんなさい」
「え?」
「私の事、黙っていたせいで……」
「ちょ、ちょっと待てよ」
慌ててエドは言い募った。
「それは関係ないっ。どっちにしても俺は怒られたんだし、…だからさ」
「?」
「だからそんな顔するなよ」
一瞬、彼女は薄く頬を染めて恥ずかしそうに目を逸らした。
エドの方も彼女のそんな様子に言葉を失った。
そうして場が再び硬直した。
ただ、今度は長く続かなかった。
エドがどうすればこの雰囲気を払拭出来るかの答えを出す前にシルルが動いていた。
「エド。今日は時間は大丈夫なの?」
「時間? 大丈夫?」
「だからっ。早く帰らないと怒られるとか」
「いや、それは大丈夫だけど」
日が暮れる前に帰れば、と続ける。
コクコク、と頷いてシルルが躊躇しながらエドの手を取った。
「じゃ、ここじゃなんだから私の家の方へいこ」
「家ってシルルが普段住んでる所か?」
「そうよ。何もないけどね。ここよりは落ち着いて話せるから」
たしかにここは鼻につく匂いが充満していて、長時間いると鼻がおかしくなりそうだ。
だが、ただ一つ気になる事がある。
「なぁ、いいのか?」
「え? なにが?」
「その…俺に住んでいる所教えて」
シルルは街の人間から隠れてこの森に住んでいるはずだ。
それはエドに自分の存在を口止めした事からも確かだ。
なのに普段、住んでいる住処まで知られてしまったら…
「えへへ、心配してくれてるんだ。ありがとう」
目を猫のように細めて彼女は笑った。
「でも、大丈夫だよ」
「なんで?」
「だって、エドは黙っててくれるでしょ」
一片の曇りもない、信頼のこもった瞳を前にしてはエドは頷くしかなかった。
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