魔女の森の白き魔女−11page






 慣れというものは万能なのだとエドは実感していた。
 森を通る度に鬱陶しいと思っていた頬を掠めていく葉や蔦もたいして気にならなくなっていたし、地面から時折突き出ている木の根や石に足をとられる事も無くなった。
 シルルの住まいへと通ずる道無き道も迷う事なく行ける。
 ただ、いま向かっているのはそっちではなく、主に彼女が薬を造る為(それだけでもないらしいが)の小屋の方だ。
 昨日聞いた話では今日はそちらの方で何かの薬を作っているらしい。

「そう言えば、何の薬かは結局聞けなかったな…」

 別れ際に聞いた話だったので、結局は詳しく聞いていなかった。
 一応、何の薬か程度は聞いたのだが、何故か言葉を濁していたのでそれ以上深く聞かなかったのだ。

「…本当に何の薬なんだろう。今までは聞けばすぐに教えてくれたのに」

 首を傾げるエド。
 聞けばどころか聞かなくても延々と説明するくらいだったので、よけいに気になった。
 そして色々考えて、

「これから会うんだから、直接聞けばいいんだ」

 という結論に達した時にはもう作業小屋は目と鼻の先だった。
 だが、何か奇妙な違和感を感じた。
 その違和感の正体はすぐに分かった。
 閉めきった窓や扉から微かにもれる煙。
 一瞬、心臓が高鳴った。

(火事かっ!?)

 思わずかけだそうとして思いとどまった。
 それは煙…らしきものが少し変だったからだ。
 色はあまりにも白っぽ過ぎて、よくよく見ると煙というより埃のように思える。
 ソロソロと近づいていくと、微かに妙な匂いがした。
 以前、作業小屋で嗅いだ酸っぱい匂い、それを薄めたような感じだった。
 確かめようと大きく匂いの充満した空気を吸い込むと途端にクラッときた。

「…え?」

 慌てて頭を振って、意識を保つ。

「な…んだこれ」

 なるたけ吸わないように気をつけながらドアに手をかけた。
 開ける前に中にいると思われるシルルに呼びかける。

「シルルー。何やってるんだよっ?」

 途端に中から何かが崩れるような凄い音。
 続いてドタバタとせわしなく走り回る音。

(???)

 疑問符がエドの脳裏を駆けめぐる。

「おーい。入るぞ」
「エ、エドッ!?」
「そうだよ。他にいないだろ?」
「わ、ちょっと待って。今入っちゃダメッ!! ドア開けちゃダメェェェェェッ!」
「へ?」

 ドアを手に掛けたままの姿勢で固まったエド。

(そーいう事は開ける前に言えよ)

 そう思ったが口にする事は出来なかった。
 なぜならあまりの事に言葉を失ったからだ。
 まるで霧の中に突っ込んだように錯覚する程、白い煙が吹き出して来る。

「な、なんだよっ、これっ!!」
「あわわっ、エドッ! 吸っちゃだめっ、息しちゃだめっ!!!」
「無理言うなぁぁぁっ! 息しなかったら死ぬだろっ!」
「いいからっ!! 言う通りにしてっ!!!!」
「だから、無理だって言っている…って」

(…あれ?)

 視界が一回転した。

「きゃぁぁぁぁ、エドッ! しっかりっ!!」

 耳に響く声を聞きながらエドはすっかり混乱していた。
 体がまったく動かない。
 が、その反面。意識はハッキリしている。
 何が起こった?
 頭のすぐそばで激しい足音が行き来する。

(頼むから踏んづけるのだけは勘弁してくれよな)

 祈りが通じたのか、たまたまか一度も彼女の足が接触する事もなく、気付くと白い煙が薄くなってきた。
 肌に風を感じる。
 恐らく、さっきからシルルがあちこち行き来しているのは小屋の戸という戸を全部開けたのだろう。
 でも、そんなに動き回るほどこの小屋に戸があったっけ? とそう考えられるあたりエドも冷静さを取り戻している。

「もうっ、だーかーらー、吸っちゃだめだっていったのに」

 …ん?
 だから? 吸っちゃだめ?
 つまりはあの煙みたいなのを吸ったからこうなった?
 疑問を口にしようとして、舌が痺れてうまく言葉が発せられない事にいまさらながら気付いた。
 無理をしたらなんとかなりそうな気もしたが舌を噛みそうな気がしたのでやめにした。
 シルルの様子を見ると、彼女はオロオロとしているものの切羽詰まった感じではない。
 どうやら、動けなくなる以外の害はないらしい。
 たぶん、彼女がなんとかしてくれるだろう。
 そう腹をくくってエドはそれを待つ事にした。





 結論から言うとなんとかならなかった。

「どう? エド?」
「とりあえず、喋るくらいならなんとか」
「と言うことは他はまだだめって事だよね」
「全然体に力が入らないよ」
「うーん…」
「なぁ、ほんとにどうにもならないのか?」
「ごめんね? 私には効かないし、単に動けなくなるだけで時間が経つと効果が切れるから解毒剤みたいなのは作ってなかったの」

 …だそうだ。
 動けなくなるってのは十分に害になるとエドは思ったがいまさらだったので口にしなかった。

「でも、解毒剤みたいなってなんだよ。まるでこれが毒じゃないみたいじゃないか」
「一応、毒じゃないんだけど」
「毒じゃなかったら、いったいなんなんだよ、これ。どう考えても毒じゃないか」
「うーん。なんなのと言われても…」

 彼女は口元に指先をあてて視線をやや上に向けた。
 誤魔化している訳じゃなくて、どうやらどう説明すれば良いか思案しているようだ。

「解毒剤…かな?」
「何が?」
「だから、さっきの煙」
「痺れ薬の間違いじゃないのか? どこが解毒なんだよ」
「それは仕方ないじゃない。人間用じゃないんだから」
「は?」

 エドはシルルを見上げた。
 見上げたと言っても真っ直ぐ見ればシルルの顔がそこにある。その後ろには天井が見える。
 エドは倒れた場所そのままで、シルルに膝枕されて床に横たわっているからだ。

「人間以外に薬なんて誰に使うんだよ」
「あら、いくらでも使い道あるよ。中央じゃ畑にも薬を使ってるし」
「どうやって畑が薬を飲むってんだよ」
「違うわよ。飲むんじゃないの、撒くの」
「なんで?」
「ん〜、虫除けとか、後は作物が丈夫に育つようにとか」
「薬を撒くと丈夫に育つのか?」
「薬の種類によるわよ。どんな薬でもって訳じゃないし」
「ふ〜ん、肥料みたいなもんか? 中央の連中はそんな事やってるんだな。じゃ、さっきのもそうなのか?」
「違うわよ。あれはネズミとかコウモリに使うの。ある病気にかかっている動物を治す薬なの。そういう意味では解毒剤じゃなくて特効薬というべきかな」
「…こんなので病気が治るのか?」

 むしろ悪化する気がする。
 シルルは申し訳なさそうに笑った。

「人間だけなの。そんな風になるのは。他の動物には影響ないの」
「なんだよそれ。不公平だろ」
「私に言われても…」
「て、作ったのシルルだろ」
「あ、そっか」

 ぽん、と手を打つ。
 素で忘れていたらしい。

「でも、これを一番始めに調合したのは私じゃないし。具体的にどういう作用で効果が現れてるのかってのは理解出来てないの。調べようとは思っているんだけど…それって色々と手間がかかるし」
「だったら調合した奴に効いたらいいだろ」
「…そうなんだけどね」

 少し、シルルの表情が曇った。

「シルル?」
「聞いておけばよかったよね。だけど、理解出来ないのが悔しくて…意地はってたんだ。いつまでもそばにいるのが当たり前って思ってたからね」
「それって…」
「私のお母さんなの。これ調合したの」

 エドは一瞬何を言うべきか思いつかなかった。
 ただ、一つだけ理解したのは自分が触れるべきでない所に触れてしまったと言う事。

「悪い…」
「ん? いいんだよ。もう昔の事だしね。哀しい想いも一人で生活する大変さに紛れてあまり感じなかったしね。…それが幸か不幸かわかんないけど」

 ………
 シルルの言葉が引っかかった。
 言葉の部分部分が胸の内で繰り返される。

 ずっと昔?
 一人で?

 シルルの顔を見つめる。
 自分よりも年上の女性。
 だが、10も20も離れている訳じゃない。
 昔というのはいつ?
 いつから彼女はここにいる?
 疑問がループしながら少しずつ膨らんでいく。

「なぁ、シルル」
「ん? なぁに」
「シルルっていつからここに住んでいるんだ?」
「え?」
「ずっと一人きりだったのか? いや、そもそもなんでここに住んでいるんだ?」
「そ、それは…」
「そりゃ、あんな噂があるからローカイズに住めないのは分かるさ。だったら中央都市にいけばいいんじゃないか? 中央じゃなくてもローンズだっていいじゃないか。いくらその髪が目立つからってあそこならこの街みたいな噂なんて…」
「だめなの」

 小さく、しかしきっぱりとした言葉が遮る。

「中央は絶対にダメ。…ローンズだって中央から行き来してる人達がいるからダメなの」
「…どうしてだよ」
「だって…中央に私の事が知れたら…」

 泣きそうだった。
 彼女の表情は微笑んでいるのに、エドには泣きそうにしか見えなかった。

「…処刑されるもの」

 彼女の言葉の意味が理解出来るまでしばらくかかった。






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