魔女の森の白き魔女−12page
「…で、この場合はだ、こう書くのが正しい。間違ってもさっきの書式で書くなよ、特に他の街から直接仕入れしてる奴。これをちゃんと書けないと稼業継げないぞ」
教師の声を右から左に聞き流しながら、エドは俯け気味に顔を伏せていた。
教室はいつも通りの様子であるにも関わらず、どことなく霞んだかのような感じがする。
現実が希薄に感じるとでも言えばいいのか。
バシバシと教鞭で黒板を叩きながら教師が何かを言っている。
もはや聞こえているはずの事すら内容が掴めない。
『…処刑されるもの』
昨日からずっと頭に残った言葉。
まるで現実感のない言葉。
しかし、それは確かに彼女の口からでた言葉だ。
…処刑ってなんだよ
握った手が汗で湿り気を帯びる。
教師の声がどんどん遠のいていく。
周りも見えなくなっていき、まるでどこまでも枯れた地が続く荒野に放り出されたかのような錯覚を覚える。
それほどまでにエドの日常からは遠い言葉。
なんで、処刑されるんだよ。
処刑って殺されるって事だろ?
殺される? シルルが?
なんでだよ。
だって、あいつ良い奴だぜ?
そりゃあんな目立つ髪してるさ。
この街にはあんな伝説もあるさ。
だけど、なんにも悪いことしてないぜ。
悪いことしてないのに、あいつずっと森で一人で…住んでいるだぜ。
なのに…
思考はループし、やがて脳裏に昨日の事が思い返された。
『白の薬師。私達は中央都市でそう呼ばれていたんだ』
作業小屋の中で、薬の煙を大量に吸って動けないエドを膝枕しながら、彼女はそう語った。
目を閉じてまるでその時を思い起こしているかのようなシルルに、エドは何一つ声をかけれなかった。
ただ、語る彼女の声は懐かしいというよりもくたびれた老婆のような疲れきった感じがあった。
「ずっと…ずっと昔から薬を作り続けていた。より効果の高い薬を、より新しい薬を、他の誰よりも求めて研究し続けてきたの。親から子に、子から孫にと知識と技術は受け継がれて私達にしか作れない薬はあっても、私達が作れない薬はないとまで言われていたの。あらゆる才能が集まると言われた中央都市で、ね」
「もはや中央都市で薬と呼ばれるものは種類を問わず私達一族が関わらないものは無かったの。貴族、王族とかそういったエライ人達にも目をかけられてた。一族の何人かは王室直属の薬師として仕えてた」
「王室の直属っていうのは、本当に凄い事なんだよ。時にはその地位を巡って命のやりとりがある位に。その事もあって、中央都市の薬に関しては製薬から流通まで一族の独占状態だったの。だから、街の薬に関わる類の人達。お医者様や他の薬師達にとってこの白い髪は羨望の的だった。誰もが白の髪を手に入れようと必死になってた」
ふと、エドが気になった言葉があった。
だがエドが口にするまでもなく、察した彼女は説明する。
「この髪はね、生まれつきのものじゃないの。染めた訳でもないの」
「長い期間、ある薬を服用し続けていたらこうなるの。一族の秘伝って奴かな。髪が白くなるのは副作用で、そうなる頃にはたいていの毒は効かなくなるの。それだけじゃなくて血とか体液が毒に対しての中和剤になるの」
エドの吸った煙がシルルには効果がないのはそのせいかと合点がいった。
しかし、新たに疑問が生まれた。
(なんの為にそんなことをするんだ?)
それも彼女は察して説明する。
「薬の中には調合中に間違って吸い込んだら危険なものもあるし。第一、薬の材料とか探しに行く時って結構危険な場所にいく事が多いから。それに、毒が効かないだけじゃなくて他にも普通の人と違う所があるの。力とか普通の人より強かったり目とか耳とかもたぶん比べものにならない。…普通じゃないって事では街の白髪の魔女っていう表現はあってるのかも…ね」
話ながら彼女の手は何度もエドの頭を撫でていく。
まるで子供扱い(実際エドは大人と言える年齢ではなかったが)されているように思えたが、なぜか嫌な気分にはならなかった。
それよりも、彼女の哀しそうな表情が気になった。
「父さん達も…私の周りにいた一族のみんなは自分達は所詮一介の薬師に過ぎないって分かっていたの。白の薬師が特別な存在だった訳じゃなく、たんに今までの研鑽の日々が認められただけだって」
「でもね、中には勘違いしてしまった人達がいたの」
「王室からの信頼厚い事を良いことに政治にも口を出し始めたの。ううん、政治に参加する事自体は悪い事じゃないかも知れない。でも、それには自分の立場を忘れなければって条件がつくと思う」
「私達は一介の薬師。政治の事なんてまるで知らない。ただ、自分達の都合の悪い法を変えようとして、都合の良い法を通そうとした。政治なんてものじゃなくて、ただの我が侭」
彼女は目を伏せた。
下から見上げると睫毛が震えて何かに耐えるように唇を噛んでいる。
「当然だけど、そんな人達はどんどん政治の場から排斥されていった。…だけどね、それを不当な扱いだって勘違いして、あげく最悪な手段に出たの」
いつの間にか、エドの頭を撫でる手が止まっていた。
しばらく、忌まわしい事を口にするようにぎゅっと目を閉じて彼女は言った。
「…毒を使ったの」
エドは息を飲んだ。
それはつまり…
「自分達を排斥しようとした一派の食事に毒を盛ったの。それも自分達の仕業と分からないように少しづつ衰弱していくような毒をね。狂ってるとしか言えない。だって、私達は薬師。人を癒す立場にあるのに」
「…そして、その事に耐えかねて私の両親を中心としたあの暴挙に荷担してなかった一族の人達が密告したの。捕まった人達には身内を売ったのかって罵られたけど…だけどあんな事は許される事じゃない」
「そして、捕まった人達は取り調べもそこそこに処刑されたって聞いた。もう何人も毒殺してしまっていたから当然の事だったかも知れないけど、あるいは私達が殺したも同然かも知れない。密告なんて手段じゃなくて、もっと事前にあの人達を止めるべきだったの。その後におきた事はその事に対する罰だったんだろうね」
沈黙が落ちた。
別に彼女はエドの返事を待っていた訳じゃないだろう。
だが、沈黙に耐えかねエドは聞いてしまった。
…薄々後悔するだろうと気付いていながらも。
「その後…って?」
「密告した人達やまったく関わっていなかった人も含めて、一族は見境無しに捕らわれてしまったの」
「な、なんでっ!? だって悪いことした奴はすでに捕まったんだろう?」
「貴族、王族の人達は恐ろしくなったのよ。私達が密告しなければ、毒殺された人達は病気か何かで死んだ事になってた。それくらい自然に衰弱していったように見える特殊な毒、そんなものを作り出せる白の薬師をね。そして、捕まった一族はすぐに処刑されていった」
「ちょっと待てよ。シルルも捕まったんじゃないのか?」
「うん、誰一人残さず捕まったよ」
「だったら、なんで今ここにいるんだよ。捕まった奴は処刑されたって」
「処刑の前の晩に逃がしてくれた人達がいたの。以前、私達の薬に助けられた事があるって言ってた。…でも、助かったのは十数人。そしてすぐに追っ手がかけられて捕まった人もいたし、逃げ続ける日々に疲れて自分で命を絶ってしまった人もいた」
淡々と…まるで遠くに過ぎ去った過去の歴史を語るように彼女は言った。
だが、それは間違いなくシルルという人間が体験した事実なのだ。
気付けば、シルルの手のひらが瞼の上に乗っかっていた。彼女の顔が見えない。
「シルル、見えないよ」
エドの力無い抗議は届いていない。
ただ、淡々と続きが語られる。
「中央から離れたこの森に辿りついた時には私と両親、それにお父さんの弟子が二人それだけ。そして、生活する為の住処を作ったりしている内に弟子の二人も逃げ続けている間の無理がたたって…。残ったのは私と両親の三人。それ以外の人は…」
頬に何かがあたった。
シルルの手が邪魔で何も見えない。
だが、それが何かはすぐに分かった。
エドの頬を流れて落ちていったそれはシルルの涙。
彼女が泣いている。
「それ以外の人は…みんな死んだ。もう、白の薬師は他にはいないの」
「だから…ここにずっと?」
「…うん。ここは私達にとって都合が良かったの。森の奥はまともな道がないから街の人なんて来ない。…あの白髪の魔女の噂は後で知ったけど、それも人がなお来ないのなら私達にとってありがたかったの。そして、人が来ないのなら私達の事が知られて中央から追っ手がここまで来る事もない。しかも、この森は薬の材料の宝庫だったの、薬をどこかで売れば生活に最低限必要なものを買って来る事が出来るし…、本当にこの森だけは私達が居続ける事を許してくれるの」
何度も何度も涙が頬を叩く。
エドは思わず手を伸ばそうとして、自分が今動けない事を思い出す。
だが、むしろその事に感謝すべきだった。
エドは決して裕福とは言えなかったが、それでも生死が関わるような事も身を擦り切らすような苦労もなかった。
だから、シルルの苦しみ悲しみを本当の意味で理解する事は出来ない。
そんなエドに動けたところで何が出来たかどうか。
だが、それでもエドは何かしてやりたかった。
ずっと、この森に隠れ住まざるをえなかった彼女に。
「だから、私はどこへも行けない。この白い髪がある限り。髪を隠せば街に出る事も出来るけど、長く住めばずっと隠していくなんて事出来ないから」
© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved