魔女の森の白き魔女−18page






 彼方の空がうっすらと明るみを増していく。

「あーあ、夜が明けた」

 幹に背を預けたままエドは空をずっと眺めていた。
 あれから目覚めて、街へ帰ることもシルルの元へ戻る事もせずずっとここにいた。
 森で夜を明かすなどとんでもなく危険な行為だったが、気にもならなかった。
 何かを考えたくて、何も考えれなくて。
 ただぼんやりと空を眺めている。
 だって考えてどうなる?
 自分は所詮、街の人間。
 彼女のそばにいられる訳がないんだ。

「ちくしょうっ」

 幹を力いっぱい叩く。
 太く固いそれは微動だにせず、かわりにささくれ立った木の皮が皮膚を裂いて血を滲ませる。
 痛いはずのそれがまったく痛く感じなかった。

「ちくしょう……」

 悔しかった。辛かった。
 誰を罵倒すればいいのか、何を怨めばいいのか。

「ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょうっ」

 分っている。
 結局は何をしても変わらない。
 すでに起こってしまっている事実はどうしようもない。
 …諦めるしかないのだ。
 出会ってからの全てを忘れて。

「出来るかよっ」

 そう、出来やしない。
 エドは忘れられない。
 とっくに手後れなのだ。
 初めて出会った時からとうに。





 一瞬、状況が理解出来なかった。

「え? なんだあれ?」

 街へのすぐ手前に人集りが出来ていた。
 思わず帰る足を一瞬止めてしまったが、向こうもこっちに気付いたのか何人かが指差している。
 …あれはいったいなんだ?
 そう首を捻る。
 その集団のほとんどは大人達で構成されており、手には鎌やら鍬やらを手にしている。
 農家の集会でもやるのか?
 そんなのんきな考えはあるものを見て吹き飛んだ。

 銃!!

 一気に心が冷えた。
 いまさらながらに、その集団から発せられるピリついた空気に体が竦む。
 だが、いまさら逃げた所で変な事になるだけだろう。
 ゆっくりとなるたけ相手を刺激しないように近づいて…目を丸くした。

「親父…」

 見間違えでもなんでもなく、そこには父親が厳しい顔付きをして立っていた。
 その手には普段は両親が経営する酒場兼宿屋の一階に飾ってある猟銃を手にしていた。
 エドが集団の近くにいくと、彼等は無言で道を空けた。
 そして父親だけがエドの前に立つ。
 さて、なんて言い訳しよう。
 なんて考えていたその時、目の前が真っ白になった。
 気付いたら地面に倒れていた。
 殴られた。その事実に気付いた瞬間かっとなる。

「なにしやがっ」

 言い終わる前に引きずり起こされもう一度殴られる。
 口の中を切ったのか鉄の味が広がっていく。
 遠慮のない打撃。
 いままでにも何度も父親に殴られた事はあったが、それらはある程度加減がなされていた。
 が、これにはそういったものが一切なかった。
 正真正銘、容赦のない一撃。
 今度は倒れた時に頭を変に打ってしまって体に力が入らない。

(確かに一晩中帰らなくて心配かけたけど、ここまでする事ないだろう)

 舌がうまく動かなくてそれは声にはならなかった。
 少し意識が朦朧としていた為、それからどうなったかエドははっきりと記憶していなかったが、父親にかつがれて気付いたらエドの家の隣にある乾物用の小型倉庫に放り込まれていた。
 乱暴な音を立てて鉄製の扉が閉められた。
 鍵の閉める音にようやく半ば朦朧としていた意識がはっきりする。

「なんだ? なんなんだよ、いったい」

 呆然と呟く。
 確かに怒られるであろうとは思いはした。
 なにせ昨日の晩から行方不明になっていたはずなのだから。
 だから怒られて何をしていたかを問いつめられるのは当然、そのはずだが…。
 だが、さっきのピリついた雰囲気はいったいだろうした事だろう。
 それになぜこんな所に閉じこめる?
 昨日何をしていたのか、なぜ誰も尋ねようとしない。
 何より、なぜ何人かが銃を手にしていた?
 あの集団はいったいなんだった?
 エドを捜索するつもりだったのか?
 森にいっている事は誰にも言っていなかったとはいえ、以前に【叫び岩】の向こう側へ行った前科がある以上、森を重点的に捜そうとしていたというのは分かる。
 だが、それにしても…

「くっ」

 ずきんとこめかみが痛んだ。
 さっき殴られたのが予想以上に効いているようだ。

「く…そぅ…」

 次にくらっと目眩が。
 どうやら、疲労が抜けていないらしい。
 扉は鍵が閉められて逃げられない。
 考えても何も分からない。
 他にする事が思いつかないので、エドは眠気に逆らわず身を任せた。

「シルル…」

 夢で会えるならそれもいいかもと思いながら…





 ………
 暗い…
 閉めきった鉄扉の向こう側から微かに漏れる光だけが目に映る。
 そこに両手を翳してみると微かに汚れがみてとれる。
 何度か扉を開けようとした結果。
 だが、それは開かないという現実を再認識するだけに終わった。
 当然だ。
 金属製の扉など、屈強な大人ですら壊す事はもとよりこじ開けるのだって困難なはずだ。ましてや少年のエドなどにかなうはずもない事。
 掛けられた錠も大型でそうそう壊れそうもない事をエドは良く知っていた。
 なぜなら、ここの錠は父親が面白半分にエドに選ばせたのだから。

『こんな事になると知ってたらもっと脆そうなものを選べば良かった』

 げんなりしながらそう思う。
 思ってから苦笑いした。
 そう思うことは始めてではなかったから。
 もっと小さい頃。まだ、許される悪戯と許されない悪戯の区別がついていない頃だ。
 やりすぎて父親に何度もここに閉じ込められた。
 その時は真っ暗なここが恐くてすぐに泣きだして出してもらっていたが…。
 今はそんな事で泣くほど臆病ではないはずだった。
 そのはずなのに…。
 ポタポタと地面を打つ水滴。

「シ、ルル……」

 後悔はない。
 するはずがない。
 そんな資格はないのだから。
 逃げ出す以外に何が出来た?
 だが、それでも止め止めなく涙が流れていく。

「?!」

 物音は唐突だった。
 金属が触れ合う音、擦れる音。錠前が扉にぶつかったのだ。
 風のせいではない。
 扉の向こうに誰かがいる。
 さっきまでそんな気配はなかったのに。

「誰だ?」

 問いかけに沈黙だけが返ってくる。
 父親が様子を見に来た?
 それとも母親が?
 昔、ここに閉じ込められた時はこっそりと出してくれたものだったが。

「母さん、か?」

 問い掛けながら『親父だったら無視決定』と決心する。

「誰だよ」
「…エド」

 耳を疑った。

「サラッ!?」

 思わず立ち上がって扉に駆け寄る。

「エド、大丈夫?」
「え? あ、ああ…親父に殴られたとこは痛いけどな」
「そ、そうじゃなくて」
「え?」
「…ううん、いい」
「なんだよ、いったい。ん? そういやなんでサラはここに? 学校は?」
「今日は休校になったの」
「休校?」
「うん、先生達も出ていってしまったから」
「出ていって?」

 サラが息を飲む気配が伝わってきた。

「おい、サラ?」

 返事は返ってこない。
 不審に思ってもう一度問い返す。
 しばらくして扉の向こうにサラがいないという事に気付いた。

「いったい、何だったんだ?」

 溜息をついて、両膝を抱え込んだ。






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