欠落の代償−12page
昇降口で下校する生徒達を何気なしに目で追いながら、壁に背を預けて狭霧は一人立ち尽くしていた。
本日最後の受業が終わって小一時間ほどすでに過ぎている。
あいかわらず爆睡していた狭霧を起こして廊下に放りだした真理亜は、教室の鍵を返しに職員室に行っている。
何やら数学の教師に質問があると言っていたので、多少戻ってくるのが遅いのはめでたく担当の教師を捕まえる事が出来たからだろう。
「真面目に勉強してるからなぁ、真理亜は」
かくいう狭霧は不真面目な生徒の見本だった。
勉強が出来ないのには、内容が理解できない場合と、そもそも理解しようという意思がない場合が存在するが、狭霧はまぎれもなく後者であった。
とにかくやらない。
理由は狭霧自身にもピンとこないが、他人と価値観が違うからだろうと彼女自身は思っている。
真理亜に話すと「言い訳」とすっぱり叩き切られるが。
他人には理解出来ない欠落が分かるのだから、勉強が出来ないくらいで釣り合いがとれているのでは、と無理矢理に自分を納得させる。
「?」
先に周りを確認して違和感の正体に気付く。
視線。それもあまり好意的とは言えないもの。
筒井かと考えてすぐさまそれを否定する。
違う違う。
奴のものはこんなまっとうなものではないのだと、そう区別出来てしまう自分の異常性に嗤う。
「何がおかしいの?」
トゲを隠そうともしない言葉。
見るからに代表だといわんばかりに5人いるうちの中央に立つ女生徒が苛立たしそうに頬を痙攣させる。
彼女達の事は良く知っている。
クラスの女子のグループの一つで彼女達は皆同じ中学の出だ。
そして、狭霧もまた同じ中学だ。
だから、彼女達は知っている。
狭霧の噂を。
とても真実に近い噂を知っている。
そして、恐らくはそれ故に狭霧を嫌っている。
狭霧もまたそれを当然の事と受け止めている。
誰だって鎖に繋がれていない猛獣のそばにいたいなどと思わないだろう。
いつも彼女のそばにいる約一名を除いてだが。
「何か用?」
質問に答えずに問い返す。
いつも離れて聞こえよがしに陰口を叩く程度の彼女達がわざわざ面と向かって何かを言ってくる事など滅多にない。
純粋に興味があった。
「筒井君と何を話していたの?」
「筒井?」
予想していなかった返答に首を傾げた。
「筒井がどうかしたの?」
「聞いてるのはあたしよっ!」
何が気に障ったのか、甲高い声が辺りに響き渡る。
かなり人気が少なくなっているとはいえ、下校しようとしていた生徒達がこちらを向く。
「ちょ、ちょっと」
「ユキ。声が大きいよ」
他の仲間が恥ずかしそうに顔を伏せて注意する。
ユキ、ああそういう名前だっけ、といまさらながら相手の名前を思い出す。
もう一つ思い出した。
昼休みに階段裏に顔を見せたのも彼女だ。
「と、とにかく。どうやって筒井君の気を引いているかは知らないけど、あんたみたいなのが彼のそばにいたら絶対迷惑よ。何考えてるのよっ」
気を引くも何も向こうから近寄ってきているのだ、と言っても無駄だろうなと嘆息する。
なんとはなしに察しがついた。
何のことはない。
気を引きたいのはこのユキという女子の方なのだ。
「あんなのがいいの? 趣味悪いわね」
相手の顔が真っ赤に染まった。
羞恥からか、怒りからかは分からなかったが。
それは本心からの言葉だったが、つねに正直が正しいとは限らない。
パンッ
軽く乾いた音が響いた。
それはとても小さな音だったが、昇降口付近はまるで時が凍り付いたかのように静かになった。
「ちょ、ちょっと、ユキ」
手を出すとまで思わなかったのだろう。
他の仲間が止めようかどうかとオロオロしている。
それとは対照的に、叩いた方、及び叩かれた側は見かけは平然としていた。
狭霧は内心では、真理亜の一撃に比べると威力が天地ほど差があるな、などとどうでもいい事を考えていた。
何事かと足を止めていた通りすがりの生徒達にひっぱたかれる瞬間を見られていた訳だが、狭霧はさほど気にしていなかった。
そんな事よりも、もし真理亜が戻ってきたらなんと言って状況説明しようかとそれを思案していた。
「で、筒井君と何を話していたの?」
ユキは唇の端を引きつらせる。
たぶん、あれは笑っているつもりなんだろう。
「また、頭のおかしいふりをしてかまってもらってるの? 清里さんの時みたいにさ」
「真理亜?」
なぜ真理亜の事まで出てくるのだろう。
疑問に思ったが、すぐに思い出した。
今、目の前にいるグループは5人で、中学の時は6人だったのだ。
真理亜の方はグループというつもりはなかったのだろうが。
「どうでもいいけど、筒井の事なら私じゃなくてあいつに言って。付きまとわれて迷惑してるのはこっちだし」
「なんですってっ!?」
「本当の事よ。はっきり言って私はあいつに興味なんてない。真理亜の事だって気を引こうとしたわけじゃないわ。あの子があの子の意志で私を選んだのよ」
「うるさいっ、この人殺しがっ」
瞬間、空気が変わった。
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