欠落の代償−13page







「あ…」

 声を漏らしたのは誰だったか。口元を手で覆ったユキか、表情を凍らせた彼女の仲間達か。

「私は人間を殺した事はないけど?」

 まだね、と心の中で付け加える。

「中学の時の話じゃない。その前の話よ」

 肌を裂くような冷たい空気。
 遠巻きに見ていた生徒達が一人二人脅えるように消えていく。
 止めるように仲間達がユキのそでを引っ張るが彼女は取り合わない。

「なんで、なんであんただけが生きてたの? おかしいじゃない」
「何が?」
「大人が何人も死んでるのに、なぜあんただけ生きてたの。ううん、それ以前に深夜、まだ小学生で、それも低学年なのに家から遠く離れたあんな場所にいるのよ。”焼けた殺人鬼”の犯行現場に!」
「生きてたら何か問題があるの?」
「相手が何人殺してると思ってるのよっ。あんたが普通の人間なら見逃すはずないじゃない。今も生きている事があんたが人殺しという証拠よ!!」
「無茶苦茶な理屈だと自分で思わないの?」
「じゃぁあんたは中学の時何してたのっ! 私は見たのよ、あんたが犬や猫を殺しているところをねっ」

 ああ、そういう事か。と、妙に納得する。
 噂では背格好や性別程度で個人を特定するような情報は広まっていなかったのに、中学校の生徒達の間ではほぼ狭霧が犯人という事になっていた。
 自分の雰囲気がそれらしいからかとその時は思っていたのだが。
 実際に現場そのものをすでに見られていたのだ。
 いや、そもそも始めの噂すら彼女が立てたのかも知れない。

「今はおとなしくしているみたいだけど、どうせ猫をかぶってるだけでしょ? そのうち化けの皮が剥がれる。そして、イカレた殺人鬼になるのよ。でも、清里さんはいくら言っても聞いてくれない。このままじゃ筒井君だって…」
「僕がなんだって?」

 ギョっとユキは、いや彼女の仲間達も同時に振り向いた。

「心配してくれるのはありがたいけど。でも、僕の個人的な交友関係に口出しして欲しくないなぁ」

 頭を掻きながら困ったような笑顔で筒井は言った。
 ユキ達は鼻白む。
 説明しようにも説明出来るような内容ではない。
 いや、それよりもどこから聞いていたのか?

「い、いつから」
「ん?」
「いつからそこに?」

 彼は靴箱の影にいた。帰るところだったのだろう。ならば、初めから聞いていた可能性すらある。

「いや、何か大声が聞こえるなぁとか思って顔を出したら僕の名前が出たからさ。まぁ、だいたい何の事かはさっきの言葉だけでも充分分るけど」
「そ、それは。そのっ」
「彼女の噂は知ってるよ。だけど、それは関係ないだろ? 彼女がクラスメイトである事には変わりないじゃないか。君がそうであるようにね」

 ユキが反論しようとして、しかし筒井は人差し指を彼女の唇にあてて言葉を止めた。彼女の顔が真っ赤に染まる。

「心配する気持ちだけは受けとっておくよ。ほらほらみんなの注目を集めてるじゃないか。もう帰りなよ。僕も帰るし」

 言われてユキは反射的にコクコクと肯く。
 君も、といわんばかりに筒井は狭霧の方も見るが、彼女は首を横に振った。

「真理亜を待ってるから」
「そっか、じゃぁ僕は帰るから」

 様子を見守っていた他の生徒達も一人二人と校舎から出て下校していく。
 筒井はさりげなく顔を近づけて狭霧にだけ聞こえるように囁いた。

「余計な事だったかな?」
「たぶんね」

 どうでもよさそうに狭霧は即答する。
 筒井は肩を竦めて背を向けた。そして、校舎から出たばかりのユキ達を追いかけていく。

「待ってよ。一緒に帰ろう」

 立ち止まって筒井を迎えるユキ達を見つめながら狭霧は独り呟く。

「狼は一匹ではないのに。だけど、羊達は気付かない…」
「羊さんがなんなのぉ?」
「!?」

 びくっ、と体を震わせる。

「真理亜。いつからそこに」
「今来たばかりだけど」
「頼むから音もなく背後に立つのはやめて…」
「えー。なんでぇ?」
「心臓に悪いから」
「ぶー。スイッチ入ってる時は目をつむっていても気付くくせに」
「そーいう時と比較されても困るの。で、終わったの?」
「うん。とりあえずは」

 ポンポンと自分の鞄を叩く真理亜。
 成果が鞄に入っていると言いたいらしい。
 試験前には狭霧もその成果の恩恵を授かる事になるだろう。

「じゃ、帰るよ」
「はーい」

 靴を履き替えて校舎を出る。
 歩きながら真理亜が尋ねてきた。

「そーいえばぁ」
「ん、なに?」
「ユキちゃん達と何話していたの?」
「真理亜?」
「なぁに?」
「今来たばかり、の定義は?」
「んー。筒井君が『僕がなんだって?』って言ったあたりから」
「…それ、絶対に今来たばかりじゃない」
「どっちにしてもあの状況じゃユキちゃん達と何かあったって分るよ?」
「それはそうだろうけど…」
「で、なに?」
「別に。いつもの通りだけど」
「あれはいつもの通りじゃなかったよ?」
「うーん。付け加えるなら彼女は凄く物好きであった事が発覚」
「物好きって…筒井君の事?」
「知ってたの? 真理亜」
「えー? だってずっと筒井君の事みてるしぃ。筒井君と話してる時のユキちゃんって凄く恐い顔してたよぉ」
「あー、そうなんだ」

 どうでもよさそうにそう返す狭霧。
 しかし、その次の言葉に目を剥いた。

「うわぁ。でもこれで三角関係成立だねぇ」
「ちょっとまって」
「…なに?」
「念のために聞くけど、その三角の三点は誰と誰と誰」
「筒井君とユキちゃんと狭霧」
「私は削除して」
「えー。三角から点を一つ消すと面積がゼロになってただの直線になっちゃうよ?」
「省スペースでいいじゃない。だいたいなんで私が筒井なんかと」
「えー。筒井君って人気あるよぉ?」
「人気なんかどうでもいいって」
「スポーツもそこそこ出来るし、頭もいいよ」
「あんたと首位を争ってるしね」
「それにぃ、狭霧と気があうんじゃないの?」
「なんで?」
「それはぁ…」
「………」

 沈黙。

「…それは?」
「あはは、えーと」
「なに?」
「…なんとなく」
「なんとなくであんなのとくっつけないで」
「あんなのって…、どこが悪いの?」
「どこがって…」

 言えるはずもない。『欠けているから』とは。

「とにかく。私は興味ないって」
「うーん、でも向こうはとっても興味あるんじゃないかなぁ」
「向こうは関係ない」
「…本当に筒井君には冷たいねぇ」

 呆れたような真理亜のため息。
 狭霧は当然とばかりに鼻を鳴らした。






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