DF−DarkFlame−-第一章-−2page






「あーつーいー」

 手をパタパタと団扇代わりしながら智子はだるそうにそう言った。
 学生カバンには下敷きを始めとした”代用品”となるものもあったが、こんなつまらない事に使う気になれなかった。

「夏休みって伊達にあるんじゃないよねー、あはは」

 隣を歩く健太郎が汗を拭きながら無邪気に笑う。
 とたんに学生カバンがフルスイングで宙を薙ぐ。
 健太郎が反射的に頭を下げなければ側頭部に見事にヒットしただろう。

「危ないじゃないかっ、智子っ」
「誰のせいでこの炎天下に学校行くハメになったと思ってるのよ」
「そ、そりゃ僕のせいだけど、何も智子まで一緒に来る事ないじゃないか」
「あんた一人でいかせたら、寄り道とかして遅刻とかするじゃないっ。あんた携帯もってないから従姉のあたしに連絡が来るのよ」

 そう言われると健太郎としては前科があるだけに反論出来ない。
 それに本当の理由は他にある事も分かっている。
 智子は、ため息をついて眉間に指を当てる。

「担任はもとより学校関係者一同、あんたのお目付け役だって思われてるんだから補習なんてさっさと終らせてよね」

 だから、こうやって僕について来るから余計にそう思われるんじゃないか?
 …と、思ったがまたカバンを振り回されてはたまらないので健太郎は黙っている事にした。
 駅から歩いて少し、そろそろ学校が見えて来た。

「そういえば、ここ最近聞いてなかったけど、やっぱり叔父さん達から連絡とか──」
「ないよ」

 即答で返した。
 そもそも何かあったら、智子には真っ先に連絡しているだろう。

「たぶん、もうないんじゃないかなぁ、そういうの」

 言ってからしまったと思ってカバン攻撃に対して身構える健太郎だったが、予想に反して攻撃はこなかった。
 替わりに来たのは少し沈んだ声だった。

「やめなよ。そういう言い方。前にも言ったよね?」

 智子が視線をそらす。健太郎の気まずそうな表情を見ていられなかったからだ。

「うん。だけど、やっぱりあの家に帰って来るって思えない。居た時の事を思い出す事は出来ても実感は残っていないんだ」

 健太郎には半年前から数ヶ月間の記憶がない。
 目覚めた時は病院で、智子が泣きながら抱きついてきた事は覚えている。
 外食に出かけたはずの一家が行方不明となり、数日後に何故か建設途中のビル工事現場で健太郎だけが発見された。
 その健太郎も2ヶ月半の間昏睡状態で、目覚めてもいったい何があったのか覚えていなかったのだ。
 その他にもこの事件には不審な点がいくつかあり、警察やマスコミに質問攻めにあったが、最近はそれも収まり静かな日々が続いている。
 ただ、当然そんな状態で学校の授業など受けれるはずもなく、夏休みの多くが特別補習という形になってしまった。
 智子に言わせれば、『留年するよりマシでしょ』との事で、それはその通りなのだが。
 その智子はそらしていた視線を戻して

「少しは何か思い出せた?」
「何も。本当に空っぽなんだ」
「そう…。まぁ、ムリに思い出そうとしなくていいから。あんた体弱いんだし」

 健太郎はため息をついた。
 智子が健太郎に付き添う本当の理由。それは…

「眩暈の事なら記憶と関係ないよ。そもそも思い出そうとしている訳じゃないんだし」
「それはそれで問題だと思うけどね。でも、体が第一だから」

 病院で目覚めて以来、健太郎は貧血と思われる眩暈を起こす。昏倒するような重度のものではないが、時々ふらつくので智子が目を離さないのだ。

「でも、もう半年経っちゃったんだ」

 何気なしに呟く智子に同調して健太郎も口を開いた。

「うん、半年──」

 急に言葉を止めた健太郎を怪訝に見る智子。
 彼の視線を追うと、その先には女性がいた。
 厚手のレザーのジャケットとズボン。ジャケットはこの暑さで長袖だった。
 季節にそぐわない服装だったが、サングラスだけが唯一夏を現していた。
 相手も健太郎達に気付いたようだが、すぐ興味を失ったようにそっぽをむいた。

「何? 知り合い?」
「ううん、知らない。…知らないはず」

 どこか要領をえない健太郎。
 両親の存在すら実感できないという彼の琴線にふれる何かがその女性から感じられた。
 そんな健太郎の様子を見て、智子はポンと手を打った。

「ああいうのがタイプ?」
「え?」

 途端に我に返る健太郎。そして慌てて言い繕う。

「違う、僕が好きなのは智子だって」
「はいはい、言うだけならタダだからね」
「違うったら」
「いいから。ほら、ついたよ」

 智子の言葉通り、学校の校門にたどり着いた。
 市立の高校でランクは高からず低からずといったところだ。
 門そのものは閉じられていたが、脇の通用口が開いているのでそこから入る二人。
 敷地内に入ってすぐ、運動部の顧問をしている健太郎の担任教師にでくわした。

「おう、まだ教室に行ってなかったのか前畑。毎回、他の先生方を待たせているとそのうち見放されるぞ」

 そして、教師はちらっと智子のほうを見た。

「保護者の方も毎回ご苦労さんだな」
「その保護者ってやめてもらえません? なんだか無駄に年とった気になります」

 少し不愉快な顔つきで反論する智子。
 もっとも、教師の方は意に介さない。

「別にそういうつもりで言った訳じゃないが、お前の方が年上なのは確かだからな。しかし、去年はお前の担任で、今年はこいつ。つくづく前畑家には縁があるようだな、オレは」

 この教師が言うように、去年の智子の担任が今年の健太郎の担任になっている。
 それだけに、他の教師より健太郎達に理解があり、補習の件に関しても実は他の教科の教師達に頭を下げてまわっていたのだ。

「先生、悪いけど時間がないのでこれで」
「おお、そうだな。悪かった。おい、前畑っと。今年の方。オレの担当の生徒が留年など認めんからな。しっかり補習受けるようにな。途中で貧血で倒れるなよ」

 智子も健太郎も、苗字は前畑なので教師はわざわざ指差して言ってから去って言った。

「一言余計…」
「心配してるんでしょ。色々世話になってるんだし感謝しなさいよ」
「それはそうだけどさ」

 ふて腐れて健太郎はボソッと呟く。

「いっそ留年でもいいけど」
「それはあたしも認めない!」

 再びカバンのフルスイング。
 今度は見事に命中した。








© 2013 覚書(赤砂多菜) All right reserved