DF−DarkFlame−-第一章-−9page
「なにしてるのよ。帰るわよ」
「う、うん」
「なによ」
健太郎が上を向いたまま立ち止まるのを怪訝な面持ちで智子は見る。
「なにか見えるの?」
健太郎に習って上を見るが、鉄骨とシートに阻まれまるで額物に収められたような夜空しか見えない。
「人がいる…ような」
「え?」
まさか、と智子が言う前に音が聞こえた。
確かにいる──いや、あるというべき?
鉄骨を振動で響かせ、その音は巨大な粘土をたたき付けたように鈍く重い。
それが、上から降って来る。
智子の目にも高速で移動していたそれが目に映った時には、それは彼らの
前に落下した。
ニンゲン?
それは毎日必ず目にする生物と変わらぬ姿であるにも関わらず、智子は己の認識を疑った。
容姿そのものは二十台後半くらいの男性。目に付くのは身に着けているTシャツらしきものが半分以上焼けたような破れ方をしている。穿いているジーンズもTシャツにくらべればマシだが、同じような状態だったので彼流のファッションかも知れない。
上半身半裸に近いので夜道を歩けば警察の職務質問にあいそうだったが、それでも見た目はニンゲンのそれだった。
だが、こいつはビル建設現場のはるか上から降って来た。
健太郎の視線がこいつを捕らえたと仮定すると、恐らくは頂上付近から。
そう、音は遥か上から下へと鳴った。
それはまるで、目の前の存在が鉄骨を飛び移りながら降りて来たように。
「な、なによっ。あんた」
ようやく我に返った智子は反射的に健太郎を隠すように前に立つ。
そう、男の視線は健太郎に注がれていた。
少し怪訝な面持ちで。
「お前、【燈火】だよな?」
「え?」
問いが己に対してのものだと認識は出来たが、健太郎には質問の意味を理解出来なかった。
ただ、【燈火】という言葉。それだけは記憶にはないはず言葉であったが、琴線に触れた。
結果として、声にもならない荒い息をついただけだった。
男はそれを鼻を鳴らし、見下した視線でせせら笑う。
「はんっ、炎気の差にびびって声も出ないってか? まぁ、ここまで貧弱な炎気のDFなんざ、【紅】でも他のグループでもお目にかかった事もない珍種だな」
炎気、DF………【紅】
それはまるでカギだった。男の言葉が新たな単語を紡ぐ度にいままでもやに包まれた脳裏に隠れた何かを刺激する。
そして、同時にもやの中の何かが警告する。
コノオトコハ危険ダ。排除シロ。
「う、ううっ」
「馬鹿な奴だな。気付かないままならこのまま見逃してやるつもりだったんだぜ? オレ様もここに隠れている訳にはいかなくなるし、お互い運が悪いなぁ」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ」
あくまで智子を無視していた男に対して、強い口調を叩きつける。だが、その表情を夜だという事を差し引いても青い。
「なに訳の分からない事言ってんの。人を呼ぶわよっ」
改めて男は智子を見た。
「なるほど、なるほど。お嬢ちゃんはまったく事情を知らない訳だ。【燈火】関係の人間じゃぁないって事だな。ますます都合がいい」
男が唇の端を吊り上げると、智子は気圧されて一歩下がったがその背に何かがあたった。
ハッと振り返ると、まるで我を失っているように呆然と立ち尽くしている健太郎がいた。
男は再度健太郎を凝視する。
まるでその内側すら見透かすように。
「お前のような奴が知っているとも思えないが、念の為に聞いておくか。刃烈と牙翼はどうなった?」
新たなキーが加わった。パズルのピースをはめるように、頭のもやをこじ開けようとする力が強くなる。
「じん…れつ? がよく?」
健太郎の様子を見て、男は肩を竦めた。
「とぼけてる訳でもなさそうだな。まったくふざけたグループだぜ【燈火】は。最重要の情報を下っ端ごときとはいえ、まったく流してないとはな。ああ、気にするな。お前は悪くない。悪いのは上の連中と運だけだ。それに例え何かを知っていてもこれから辿る道に変わりはない」
「ちょっとっ!」
健太郎の呆然とした様子に耐えかねて、智子は足を一歩踏み出した。
「何言っているか意味わからないけど、いい加減にしないと本当に警察呼ぶわよ」
携帯電話を取り出して、まるでそれが盾であるかのように構えて威嚇する。
だが、その足は微かに震えていた。
男はまるで気まぐれに買った雑誌に期待以上の記事があったかのような喜色を浮かべて何度かうなずいた。
「いいぜ、やってみろよ」
できるものならな。
男の指先が虚空を擦るように振った。
瞬間、男の指先が消えた。
「…え?」
そのもれた呟きは健太郎、智子のどちらが先だったか。
男が消えたはずの指先を何度も振ると、まるでそこに視界をさえぎる何かが存在するかのように現れては消える。
「黒い…ほのお?」
男の指先が消えたのではなかった。
まるで炎のように揺らめく漆黒の何かが男の指先に絡みついている。
「おいおい、何珍しがってんだ。炎術まで使えないとか言うなよ。まったく【燈火】はお前みたいのをよく野放しにしてるな。まぁ、だからこそ他のグループからキチガイ扱いされているんだろうがな」
「えん…じゅつ…」
「何よ、それ…。て、手品?」
表情もなく呟く健太郎と、すでに目的を忘れてただ携帯電話を構える智子。
「なんでもいいさ。あまり長引かせて他の【燈火】に気付かれると面倒なんでな、せっかくの出会いでなんだが、さっさと終らせてもらうぜ。餌も一緒にな」
男は黒い炎を灯す指先を振り上げた。
瞬間、それは爆発するように猛り膨れ上がり、荒れ狂う業火と化した。
「あばよっ!」
別れの言葉と共に振り下ろされた指先から、黒炎が健太郎達に向かって解き放たれた。
© 2013 覚書(赤砂多菜) All right reserved