DF−DarkFlame−-第二章-−2page






 もしかして、今日こそ発見されて人だかりが出来ている。
 そんな事も覚悟していたが、現実はそんな覚悟をあざ笑うように何事もなくビル建設現場周囲は人気がなかった。
 時々一人二人通り過ぎる位。

「さ、行こ」
「う、うん」

 智子の手に導かれるように後をついていく健太郎。
 彼女だって、平気な訳ではない。少し早足で追いつくとその横顔が緊張に強張っているのが分かる。
 敷地へは金属の仕切りと頑丈なビニールのような素材で出来たカーテン状の仕切りで閉じられているが、金属の仕切りについているフックとカーテン状の仕切りを繋ぐはずのカギが閉じられてなく、軽く力を入れるだけで人一人通る隙間が出来る。
 敷地内の中には当然ながら人気がない。
 目的地はまだ先だ。
 健太郎は思わず繋いだ手に力を込めてしまう。慌てて手を力を抜こうとして、逆に強く握り返された。
 智子の顔を見ると、表情が物語っていた。

 大丈夫

 健太郎は気付いていた。
 彼女が何かを覚悟してここに来た事を。
 何をするつもりかまでは分からなかったが、その目的が健太郎の為だという事は分かっていた。
 だから、健太郎も覚悟していた。
 もし、智子が自分にも被害が及ぶような事を起こそうとした時は、どんな事をしても止めようと。
 例え、警察につかまり、マスコミにバケモノ扱いされたとしても…だ。

「入るよ」

 灰色のシートに手をかけて智子が振り向いて言った。
 ここからビルの中に入る。
 いや、入るだけで少なくとも真偽、すなわちあの時の男の死体があるかどうかが分かる。
 健太郎は頷いて、自分もシートに手をかける。
 二人は呼吸を合わせてシートをめくり、中に一歩すすんだ。

「え?」

 智子はポカンと呟いた。
 可能性としては考えていた。

「どうして?」

 健太郎は愕然と言葉を漏らした。
 まるで自分の一部であるかのように感覚が残っている。
 肉を焼くおぞましい感覚が。

「ない」

 あの夜、健太郎が横たわったように、そこは変わらず朽ち本来の姿になる前に放棄された場所だった。

「やっぱり、あいつ生きてたの?」

 恐る恐る智子は呟いた。
 そもそもあの黒い炎の事はなんにも分かっていない。
 確かに凄まじい熱を感じたが、それに一度は包まれた健太郎は衣服を含めて無事だったのだ。
 あの炎のにはもしかして、人を殺すまでの力はなかったのか?
 いや、それ以前にあの男が自分の不利を悟って死んだフリをしていたのかも?

「違う」

 硬い声が智子の希望を切り裂く。
 健太郎が歩いていく。
 その先は…男が倒れていた場所だ。

「健太郎?」

 不安そうに呼びかける智子の声が聞こえないかのように、健太郎はその場に膝をついて地面に手をかざす。

「あいつはどこにも移動していない。ここで…。それどころか──」

 健太郎は立ち上がって自分達が入って来た方とは反対側をむいた。

「出て来い! 隠れていても僕には分かるぞっ!」

 聞いた事もないようなキツイ口調に智子は目を丸くする。
 いや、それ以前に本当に誰かいるのか?
 結果はすぐ分かった。
 健太郎がにらみ付けている灰色のシートが盛り上がり、その下から人影が現れる。
 女性だった。
 この薄汚れた現場に似合わないフォーマルなスーツが異彩を放っていた。

「弁解するつもりはないけれど、別に隠れていた訳じゃないわよ。そちらが先に入っていたから、入るタイミングを計っていたのだけど。でも、どうして私がいるのが分かったのかしら?」

 それは問いかけというより確認。遠慮なく近づいて来るにつれその女性の姿がはっきりして来る。
 ショートの髪。オレンジという服装に似合わない額縁のめがね。
 その口元には微笑みを浮かべているものの、その目はまるで健太郎を値踏みしているように見える。
 その目を見返しながら健太郎が答える。

「この感覚がなんなのか僕も分からない。ただ、あの夜にあいつが放った炎、そして僕の炎の残り火のような感触がここに残っていたんだ。そして、もう一つ、まったく知らない感触が残っていた。その時、同時に気付いたんだ。まったく同じ感触の持ち主がそのシートの向こう側にある事に」
「あら、目覚めたてだと思っていて油断してたわ。一応抑えていたのに漏れた炎気に気付くなんて」
「炎気?」

 聞き覚えがある。
 そう、あの男が言った不明な単語の一つだ。

「お前も…あいつと同じか?」

 智子を背に庇い、健太郎はあの晩そうしたように女性に向けて両手を突き出す。
 それを見て、健太郎の構えが何をしようとしているのか気付いているであろうにかかわらず、女性は眼鏡を人差し指で押し上げる。
 その様子に怯えを感じない。

「同じ…の定義によるわね」
「定義?」
「もし、同じというのがここで死んだ彼と同じ種類の生物だというなら、答えはイエス。ただ、それだと炎気を感じ、今まさに炎術を放とうしているあなたも同じよ」
「炎気、それに炎術。僕には分からない」
「そうね、目覚めたばかりで誰からもフォローが受けられない状態だったものね。炎気はDFがそこに存在したり、炎術を行使したりすることによって残る気配のようなもの。そうそう残り火というのはなかなか良い表現よね」

 また聞いた単語が増えた。DF。
 重ねて質問しようとして、健太郎は智子を背にしたまま今度は自分達が入って来た側に両手を向ける。
 それまで何も感じなかったシートの向こう側から女性の言う炎気が感じられた。
 女性は自らのそれを抑えていたと言った。
 それを納得できるくらい放つ炎気には存在感があった。
 バサッと乱暴にシートを跳ね上げて入って来たのは、フォーマルな女性と対照的なTシャツにジーンズというラフなスタイルの男性だ。
 健太郎の脳裏に本能からの警告が響く。

 危険ダ。排除シロ。

 その警告がうなずけるほど、荒々しく敵意に満ちた炎気だった。
 健太郎は両腕から手のひらに無形の何かが集うイメージを脳裏に描く。
 この一週間ですでに使い方は把握していた。
 あの夜のように、黒い炎は二の腕から上腕、そして手のひらで左右合流して渦を巻く。
 さすがにこれには女性は慌てて止めに入る。

「ちょっと待った。健太郎君。誤解よ。私達は敵じゃないわっ。斬場も斬場よっ。何、炎気全開で登場してんのよっ。まるでこれから戦うって訳じゃな──はい?」

 女性の眼鏡が少しずり落ちる。
 斬場、そう呼ばれた男が健太郎に相対するように片手を上げ手の平を掲げる。
 その先には黒い火花が散ったかと思うと、次の瞬間には黒い業火と化する。
 健太郎には女性の言葉は耳に入っておらず、その存在すら忘れかけていた。
 ただ、目の前の男が向ける敵意、そして、黒い業火。
 まるであの夜の再現だ。
 一つ違うのは、今の健太郎には相手の力量が分かってしまう事だ。
 あの夜の男と目の前の男とでは格が違う。同じ黒い炎を使うといってもその質、密度の濃さが圧倒的に目の前の男のほうが上回っていた。
 だが、引けない。
 後ろには智子がいる。
 展開についていけてないらしく、健太郎と女性、それに男性を交互に見ている。
 守らなかきゃ。

 今度コソ

「うわぁぁぁっ」

 健太郎と男性。炎を放ったのは同時だった。

「ちょ、ちょと。やめなさい。何やってるのっ!?」

 悲鳴のような女性の声は二人には届かない。
 お互いの炎はちょうど二人の中間の距離でぶつかり停止した。
 しかし、それはお互い炎を止めた訳ではなく、男の放った炎は健太郎の炎を飲みつくさんとし、健太郎の炎は男の炎を突き破らんとし、お互いに膠着状態に陥っていた。
 健太郎は青ざめた。
 ぶつかり合う炎から伝わる感触が伝える。
 男はまだ余力を残している。
 だめだ。このままでは。これ以上、この状態が長引いたら。

 こころの奥にあるもや。
 それを開くカギはパズルのようにあちこち欠けていた。
 だが、この瞬間、カチリとその欠けたパーツが嵌った。
 微かに開いた扉の向こう側。もやの向こう側から届いたのは言葉。

「食い─破れっ!」

 一瞬、健太郎の炎が爆ぜるように膨れ上がり、それはまるで獣の牙がごとくそこから放たれた幾条もの火線が男の炎を貫いた。

「ぐっ」

 男の体制が揺れた。同時に男の放った炎が霧散する。
 そして、火線だけでなく男の炎が防いでいた健太郎の炎本体までがせまってくる。

「ちっ」

 健太郎へ向けていた手のひらを閉じて、まるで虚空にある何かを掴むように手を握る。
 その手に再び炎が噴出する。
 ただし今度は先ほどより規模は小さい、それはまるで健太郎の放つ火線のようだった。
 健太郎は自分の勝ちを確信していた。
 男に余力がある事は分かっていたが、あの拮抗状態を破られた直後だ。防ぎきれない。
 だが、次の瞬間目を見張った。
 男の手にあった炎、火線が収束していく。
 今、男が手にしているのは炎ではなかった。所々から黒い火花が散っているが、それは一振りの剣だった。

「俺の意を読み──ぶった切れっ!」

 まるで心臓が止まったように感じた。
 膝が震える。立っていられない。力が抜けていく。

「健太郎!」

 カクンと膝が崩れた。
 智子が支えていなければ倒れていただろう。
 何が起きた。
 自分の放った炎が、男が黒い炎から生み出した剣に両断され、霧散したのは見えた。
 だが、この脱力感は?

「フンっ」

 男が一歩一歩近づいて来る。
 ダメだ。
 智子を守らないとっ!
 しかし力が入らない。
 男が足を止めた。
 剣の間合いからは遥か遠い。
 だが、あれは普通の剣ではない。
 健太郎は己の無力を歯噛みした。
 力があるのに。
 智子を守る力があったのに。

 ヤッパリ、トモコを守れないのか?

 しかし、状況はさらなる展開へと変化した。
 健太郎達の真後ろから黒い炎が吹きぬけた。
 帯状のそれはあるものは健太郎達を守るように周囲を囲い。あるものは健太郎と男の間に壁のように突き刺さり、そしてあるものは男の進撃を拒むように男の眼前を舞う。

「何の真似だ。八識」
「何の真似、ですって。それはこっちの台詞よ、斬場っ」

 ずり落ちかけた眼鏡を押し上げて、八識と呼ばれた女性は男を指差す。
 健太郎達を守っている黒い炎は八識の足元から放たれていた。それはまるで影が持ち上がり炎と化したかのように連想させる。

「私達は話し合いに来たのよ。分かる? 話し合い。ただでさえ、敵味方分からないこの子達に襲い掛かってどうするのよっ。どうフォローしろって言うのよっ」
「敵味方分からないのは俺達にとっても同じだろう」

 ため息をついて、仕方ないとばかりに斬場が剣を握っている手を開くと、剣はまたたくまに黒い炎と化して、斬場の腕に絡みつくと、まるで吸い込まれるように消えていった。

「斬場?」

 問いかけつつ、八識も炎を引く。斬場と同じように霧散するでなく彼女に吸い込まれるように黒い炎は消えた。

「牙翼だというならいざしらず、こんな半端者を【燈火】に引き入れる? ただでさえ混乱している状況だというのに。いつ敵となるかも知らない奴を放置するのか?」
「それを決めるのも見極めるのも私の役割よ。それに混乱状態だからこそ、からまった糸は丁寧に解きほぐさないといけない。まどろっこしくてもね」
「やってられんな」
「斬場。【燈火】の長は私よ。私の決定に従ってもらう。勿論、命令にもね」

 八識は自分が入って来た側のシート指差した。

「このビルから出て行きなさい」
「…ふん」

 面白くなさそうな表情だったが命令に背くつもりはないらしく、健太郎達の脇を何もせずに通り過ぎ、八識が入って来た側のシートを乱暴に跳ね上げて出て行く。

「さて。大丈夫…な訳はないか。あれだけの炎術を斬場の奴が正面から破壊したんだから」
「どういう意味ですか?」

 とりあえず、先ほどのやり取りからこの八識と呼ばれた女性はそこまで警戒しなくてもいいらしい。
 寒気や発熱とも違うこの脱力感はあの斬場と呼ばれた男が使った剣のせいだと思っていたが、八識の言い様だと違うらしい。

「炎術ってノーリスクじゃないのよ。あ、炎術っていうのはあなたや私達が使ってた黒い炎の事ね。炎術に力を込めれば込めるほど当然威力は高くなるけど、同質の力。つまりは炎術で破られると、力を込めた分の反動が返ってくる…ん……だけど」

 最後の方がしりつぼみになったのは、殺意に近い視線で彼女を射抜く智子がいたからだ。

「大丈夫よ。私は斬場と違うから。ね。ダメ? …よね、やっぱり」

 はぁ、と八識はため息をついた。
 こんな事ならしばりつけても斬場をつれてくるんじゃなかったと後悔した。

「なんなのよ、あんた達」
「それを説明したい所だけど、少し長い話になるしこちらにも事情があってね。場所変えたいんだけど…」
「………」
「信用できません。はい、そうですね。ごめんなさい」

 智子の表情を読んで諦めのため息をつく八識。
 健太郎のほうを見ると先ほどダメージが少しは回復したのか、今は一人で立っている。
 表情は智子ほどではないが、それでも不審の色が見てとれる。

 さてさて。どうしたものか…

 八識は思案する。
 今現在の【燈火】のテリトリーの状態を考えると健太郎を放置するというのは、健太郎にとってはマイナスである事は間違いないし、【燈火】の懸案事項に関わっている可能性を低いながらも否定出来ない以上、手元においておきたい事情もある。

 とは言え、下手な事を言おうものならこちらのお嬢さんにかみ殺されそうだし。

 熟考の末、八識は懐から名刺ケースを取り出した。そこから名刺を一枚取り出して裏面を指先で軽くなぞる。

「っ!」
「あー、大丈夫だから警戒しないで頂戴。…後生だから」

 感じた炎気に敏感に反応した健太郎と、それに習ってにらみ付ける智子に懇願するようにしながら、名刺を差し出した。

「藤華…興信所?」

 受け取った健太郎が読み上げた。
 裏を向けるとこちらはまるで手書きっぽい数字が並んでいた。恐らく先ほど炎術を使って焼き書いたのだろう。

「まぁ、探偵のようなものと思っていいわよ。一応、そこの所長なの」

 確かに名前のところに藤華八識と書かれている。

「裏面のこれは…携帯の電話番号ですか?」
「私の携帯よ。炎術の事でも分かると思うけど、私達はまっとうでない。興信所も表向きの看板よ。ただ、表向きと言ってもちゃんと仕事してるからあんまりそっちで裏向きの話はしたくないのよ」

 まっとうではない。
 いまさらな話ではあるが健太郎はショックを受けていた。
 先ほどもどうだ?
 しかけてきたのは斬場が先だったが、もしあの剣で斬場が炎術を破らなければどうなっていた。
 また、殺していた?
 胃が痛い。のど元に胃液の味がする。
 顔色が青い健太郎に変わって智子が問う。

「で、携帯番号にかけてどうしろって言うんですかっ?」
「あら、それは逆よ」
「逆?」
「そ。あなた達は何も知らない。炎術の事も、私達DFの事も」
「DF?」
「黒い炎を操る者達の総称よ。まぁ、さっきも言ったけど少し長い話になるからまたいずれという事で。あなた達の都合に合わせてくれていいから。健太郎君も智子ちゃんも学生よね?」
「なんで私達の名前?!」
「これでも興信所長だから。なんて、とぼけてまた不審がられてもあれだからタネはあるとだけ言っておくわ。それを含めて次会った時にね、斬場の事があったから不信感もたれるのは仕方ないと思うけど、私達はあなた達の知らない情報を知っている。知らないままでいるよりは一度しっかり話を聞く方がメリットがあると思うけど」
「…あなた達のメリットは?」
「はぁ、かしこいのね。メリットはないわ。正確にはデメリットになる可能性を失くしたいのよ」
「デメリット?」
「さっきの斬場の行動は極端だけど、今ちょっとこの近辺はDFにとって微妙な状況になっててね。そこへ、事情、状況がわからない健太郎君にウロウロして欲しくわけ」

 話は終ったという風に八識は背を向けた。

「あ、そうそう。勿論、電話をくれないというのも選択肢の一つだけど、それは大きなリスクを抱え込むわよ。無知というリスクをね」

 背中越しに手を振って八識はシートの向こうに姿を消した。

「無知…リスク」

 呟きながら健太郎は名刺を見つめた。

「まさか、電話するつもり?」

 斬場は元より八識に対しても大きな不信感を抱いているようで、智子の問いは咎めるようだった。

「分からない。分からないよ…」

 そう、僕は何も分かっていない。






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