DF−DarkFlame−-第三章-−9page






 補習を終え、予想通りのたっぷり課題を頂いて暗い表情の健太郎は、智子が時間を潰しているはずの図書室を目指していた。

「やっぱり、手伝ってくれないんだろうなぁ。でも、今日のはちょっと多すぎ──」

 廊下に肩を預けてこちらを手招きしている女生徒がいる。
 知っている顔だ。
 というか、補習前に智子に紹介されたばかりだ。

「えっと、…吉田恵さん…だったよね」

 補習の内容で頭がいっぱいなので、少々自信なさげに呼びかける。

「ええ、吉田恵。それがこの私を表す名前である事に間違いないわ」
「…妙に回りくどい表現だね」
「そう? まぁ気にしないで。ちょっと話があるんだけど」

 健太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。
 なぜだろう。空気がヒリつくのを感じる。
 彼女は智子の友人のはずだ。何も恐れる事はないのに。

「話って? 智子の出鱈目な暴露話の事とか?」
「さぁ? でも、ここじゃちょっと…」

 彼女がちらっと視線をずらすのを見て、同じ方向を見るとなるほど健太郎と同じように補習を終えて出てきた生徒達がこちらを見ている。

「長くかかるの? 智子が待ってるからあまり長くは…」
「たぶん、短くて済むと思うの。あなた次第だけど」

 ぎくりと心臓が凍りつく。
 何気ない仕草で軽く恵が人差し指を一振りするとその軌跡を追って黒い閃光が宙を走る。

「ま、さか…」

 目の錯覚でも手品の類でもない。
 見たもの、そして感じた炎気。それは間違いなく健太郎がもっとも関わりたくないものだった。

「言っておくけど、下手な動きはとらない事。あなた程度でも私の器が安定していないのは感じ取れるでしょうけど、あなたを待つ間に少々狩っておいた。今の私には延命ぐらいにしかならないでしょうけど、炎術に力をまわせば、あなたなんか敵じゃないわ」

 …器? 狩る?
 健太郎は内心で首を傾げる。
 あるいはDF達だけに通ずる用語なのか。
 だが、今はそれを考えている時ではない。

「それとも、今、ここで、消滅する?」

 焦げた匂いが鼻をつく。
 恵が軽くコンクリートの壁を擦ると、まるで油性ペンを押しつけたように指の軌跡を黒く描く。
 健太郎の心臓が早鐘を打つ。
 状況の理解がおいついていないが、少なくとも今目の前にいる少女が危険な存在なのは本能が察知した。

「待って。分かった。分かったから。話を聞くよ」
「素直にそう言えばいいの。優柔不断な男はモテないわよ」
「…間に合ってるからモテなくていい」

 脳裏に一瞬だけ智子の顔が浮かんだ。

「付いて来て」
「どこへ?」
「向こうに空いてる教室があるからそこで」

 そう言って恵は先に歩きだした。
 健太郎は一瞬だけ迷ったがいまさら後に引く訳にもいかないので素直についていった。
 いざとなったら…。
 握りしめた拳の内側にじわりと汗がにじみ出る。

「ほら、入って」

 確かに教室は空いていた。誰もいない。
 だが、それも当然だ。
 健太郎は教室の引き戸の鍵が破壊されているのに気付いていた。
 やったのは勿論、恵だ。
 微かに戸の周りに漂う炎気からあらかじめ壊してあった訳ではない事が分かる。
 つまり、入る直前に破壊したのだ。そして、その事に健太郎は気づけなかった。
 恵の身体からは2度の炎術を行ったせいか、微かに漏れる炎気をようやく感じ取れるようになった。
 だが、鍵を破壊した瞬間に感じるはずの炎気を感じとれなかった。
 だからこそ恐ろしい。
 気を抜けば今度破壊されるのは鍵ではなく自分なのかも知れないのだから。

「入ったら閉めてね」
「…鍵はかけられないけどね」

 精一杯の皮肉のつもりで返して、言う通りに戸を閉める。

「さて」

 恵は教室の奥で机の上に腰を降ろした。スカートの中の下着が見えるのもかまわず足も机の上に乗せて顎を膝の上に乗せる。
 視線のやり場に困っている健太郎を見て、おかしそうに彼女は笑った。

「そうしてると、本当にただの人間みたいね」

 恵の炎気が膨れ上がった。陽炎のように恵の周囲を熱気が漂う。
 濃密な炎気に包まれ、それが健太郎の意識に負担をかけていく。
 キリキリと心臓が絞られる。肌が粟立ち、喉が乾いて舌が頬に張り付く。
 意識の奥のもやの向こう。不完全な鍵で半開きとなったドアから囁きが聞こえる。
 テキダ
 テキだ
 敵だ

 滅ぼせ

「やめろっ、やめてくれっ」

 蘇る。初めて炎術を放ったあの夜。
 殺されかけたとはいえ、はじめて人を殺した夜。
 斬場の時も、八識が止めなかったらどちらかが死んでいた。
 また? また繰り返すのか?
 無闇に力を振りかざし、奪う必要のない命を奪って。
 それが嫌だから。
 生きる以外の。
 いや、それすら苦痛だったから。
 だから、
 だから、
 だから、

 だから【燈火】とコンタクトを取ったのだろう?

 ふいに真っ暗だった視界が開けた、そんな気がした。
 【燈火】とコンタクト?
 何のことだ。
 何でそんな考えが頭に浮かんだんだ?

 健太郎は混乱し、その混乱の元を探そうとするが、しかしその作業はあっけなくさえぎられた。
 目の前にいるDFによって。

「もう大丈夫かな?」

 あの濃密な炎気はもうない。
 恐らくは脅しのつもりだったのだろうが、健太郎の様子から予想を超える効果があったと感じ取り多少困惑しているようだ。

「まず、確認。健太郎君、あなたは【燈火】に所属しているDFね」
「…違います」
「違う? つまり【紅】のメンバーだとでも?」
「それも違います」

 恵は眉を潜める。

「とすると残るは流れのDFって事になるけど。おかしいわね、そんなDFが【燈火】テリトリー内の学校に通学してるなんて。力のあるDFなら客人として歓迎するグループもなくはないけど。【燈火】みたいな特異なグループがそんな真似する訳ないもの」

 恵は机から降りて健太郎に迫った。

「あなたは誰? 何者なの?」

 健太郎は返答出来なかった。
 恵の言っている事が理解出来なかったからだ。
 智子の言葉がふいに頭をよぎった。

『何か、隠してる。そんな気がする』

 そうだ。そして、たぶん恵の言葉は八識が伏せていた事の一端なのだろう。
 それでも健太郎には八識から教えられた”真実”しかしらない。

「僕はどこのグループのDFでもない。ただ、監視されているだけだ」
「…どういう事?」

 恵は小首をかしげた。
 もしも健太郎が炎気を感じる事がなければ、その仕草はかわいく見えただろうか。
 だが、健太郎は言葉にして自分が重大な事を失念していた事に気付いた。
 監視がいない?!
 そう、こういった事態の為に監視される状況を受け入れたはずだ。
 だが、学校周囲に炎気が感じられない。
 いつから?!
 そう、朝からずっとそうだった。
 なんで気付かなかったと後悔した。
 気付きさえしていれば八識に連絡をとっていたのに。
 恵の炎気がじりじりと濃くなっていく。
 返答をせかしているのだ。

「僕はDFとして中途半端に覚醒したから。だから…」
「中途半端に覚醒? なにそれ? 悪いけど言っている意味が分からないわ」

 正直に言おうとしたつもりだった。
 だが、恵は表情を曇らせ険のある表情をとった。
 信用されていないのはあきらかだ。

「私を混乱させて隙を伺ってる? さっき周囲の炎気を探ってたよね、あれはなぜ?」
「そ、それは…」

 クスッと恵は笑った。
 炎気が恵から漏れていく。まるでドライアイスの湯気のようにそれは拡散し広まっていく。

「まぁ、いいわ。どっちみちあなた程度じゃ大した情報が得られるとは思わないし。【紅】の同士討ちなんて可能性もなさそうだしね」

 肌が粟立った。覚えのある気配。

 来るっ!

 恵の影が膨れ上がった。
 否、それは影から吹き上がるように放たれた炎術。
 それは直線的に健太郎へと襲い掛かる。
 だが、すでにそれを察知していた健太郎は横へ飛ぶ。

「甘いわよ」

 恵の声は死神の鎌のように健太郎の心を切り刻む。
 恐怖で満ちようとしている心に、ふいに八識の言葉が蘇る。

 あなたが思っているより、あなたの炎術は強いわ。

 咄嗟に手を交差する。
 それに呼応するように両手より噴出した健太郎の炎術は真下に向かう。
 机の影、椅子の影、そして健太郎自身の影から噴出した炎術は、健太郎の炎術が牙を突き立てたかのように刺さり引き裂き四散する。
 炎術を破ったのに恵にダメージは見られない。それほど力を注いでいなかったのだろう。
 だが、恵自身からでなく、影から放たれるという炎術は次にどこから来るのか予測が困難な分、単に強大なだけの炎術より恐ろしい。
 恵自身もしのがれると思っていなかったらしく、目を丸くしている。

「…驚いた。驚いたわ。昇華を捨てたことによって得た私だけの炎術。まだ序の口だとはいえ凌ぐなんて。それにあなたの炎術、炎気の割にはなかなかどうして。甘かったのは私のほうだったのね」

 恵は胸の下で両腕を組んで、目を細めた。

「こちらも余裕がないっていうのに。相手が格下だからって舐めてかかっちゃだめね」

 ただでさえ、床いっぱいに広がっている恵の炎気が教室中に充満する。
 まるで炎術に触れているかのように肌が焼かれるような感覚に身を包む。
 本能は最大限に警鐘を鳴らす。
 だが、健太郎は懐かしいような感覚に戸惑いを覚えていた。
 知っているような気がした。
 同じではない。だが、この全身を包み込むような炎気、炎術。
 術者である恵は目の前にいるのに、前後左右上下あらゆる方向から伝わってくる気配。影から噴出した、いや噴出したように見えたのはそういう事。
 これが彼女の炎術。火線ではなく火点を生む炎術。
 もはやここは彼女の手の内。逃げ場なんてどこにもない。
 あるとすればただ一つだ。

 食い──

「うわっ、あっつーい。なにこれ」

 いっそ、本当にとまってしまえば。
 その瞬間、健太郎は耐え切れない程の衝撃と恐怖を感じ、それを受け止めた心臓に対して強く思った。

「と、智子っ!?」
「ちょ、ちょっと。二人して何やってんのよっ、こんな所で」
「な、なにって」
「どうでもいいけど、この教室はクーラーないのに閉め切ってあんたら正気? 蒸し焼きになるわよ」

 開けた戸口から噴出した熱気に顔をしかめながら彼女はあっけにとられたような表情をしていた。
 閉めていたとはいえ、鍵は壊されている訳だから開けようと思えば誰でも入ってこられる。

「智子、どうしてここに」
「なんでって、教室にいったらあんたいないし。で、探し回ってたら教室から人の気配がするから覗いてみたら案の定…、まさか恵がいるなんて思わなかったけど」

 ちらっと智子は恵のほうを見るが彼女はいたずらっぽく舌を出して肩を竦めた。
 さきほどまでの健太郎を殺そうとしたDFと同一人物とは思えなかった。
 そこまで考えてぎくりと健太郎は身を硬くした。
 そうだ。さっきまで炎術で殺し合おうとしていたのだ。
 そこへ、智子までいる。

 智子を守らないと!

 しかし、当の恵からはもはや炎気は感じられない。教室中に満ちていた同様のものもすでに消え去っていた。
 彼女の炎術は炎気のコントロールすら含むのだろう。
 念のために恵を見るが、もはや健太郎の方へは見向きもしない。

「別に大した理由はないわ。たまたま暇だったから通りすがりの健太郎君と立ち話をしていただけよー」
「うーん、だったら何もこんな蒸し風呂の中でなくても」
「そんなに熱い?」
「……これで熱くないならあんた人間じゃないわ」
「かーもね?」

 クスッと笑って恵は教室を出ていく。

「そうそう」

 廊下に出た所で一度、恵が立ち止まって振り返る。

「健太郎君、さっきの事は内緒ねー?」

 健太郎に向けてそう言って去っていった。
 智子は目でなんの事か問いかけるが健太郎はそれに答える余裕はなかった。
 恵が言ったのは【燈火】に知らせるなという事だろう。
 健太郎一人ならともかく、智子に火の粉が飛ぶ可能性を考えると黙っているのが賢明だろうか?
 今日、【燈火】の監視が居なかった事。智子への言い訳など、様々な事を考えながら、ある一つの事を考えまいとしていた。

 僕はいったい何者なんだ?






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