DF−DarkFlame−-第四章-−6page






 何があった?

「どうした、前畑? 顔色が悪いぞ。…具合が悪いのか?」
「いえ…なんでもありません」
「そうか? ならいいんだが」

 健太郎は教師にそう答えるが、本当はなんでもないはずがない。
 恵が炎術を使った。間違いなく。
 理屈も理由もないが、感覚だけが絶対的な確信を持って告げる。
 それが炎気を感じ取るという事。
 場所は校内、あるいはその近辺。方向、距離が手に取るように分かる。
 問題はなぜ使ったか、だ。
 もしも恵が八識や斬場といった【燈火】のDFと遭遇していたのなら炎術を使いもするだろう。
 例えば斬場なら真っ先に攻撃するはずだ。
 斬場でなくとも恵のあの好戦的な様子では戦闘になるのを避けられないはずだ。
 では、今感じた炎気がそうなのかと言うとまず違う。
 攻撃的というよりは、恵の炎気をより感じ取りやすくしたような感じだ。
 そもそもいくら夏休みとはいえ、学校には何人も人がいる。
 もしも炎術で戦闘行為を行えば大きな騒ぎになるだろう。
 …ならば、なぜ炎術を使う?
 まさか、ごく普通の人間に対して使ったのか?

「何の為に? いや、そうじゃない」
「ん? どうした、前畑。何か今のところで分からない所があるのか?」

 健太郎の無意識の呟きを聞きとがめた教師が尋ねるが、健太郎はまったく反応しない。
 教師は首を傾げながらも補習を再開する。
 今、健太郎の頭の中はある一つの疑問で頭が一杯だった。

 そもそも、炎術とは何の為の力なんだ?

 鳥に翼があるのは飛ぶ為だ。
 魚に鰓があるのは水中で窒息しない為だ。
 ならば炎術とはなんの為にある? そもそもDFとはなんだ?
 存在に理由はつきものだ。だとしたらそれはどこにある?

「よし、ちょっと早いがここまでにしておこう」

 黒板の上の掛け時計を確認し、教師がプリントの束を机の上に置いた。
 その瞬間、健太郎が机を離れて教室を飛び出した。

「おいっ、こらっ! ちょっと待て前畑!! 終わりの挨拶がまだ済んでないだろうがっ」

 背中から教師の声が追って来るが、健太郎には届かない。
 今、健太郎の頭の中にはさっきの炎気の元を確認する事で一杯だった。
 正直、確認してどうしようという考えは頭の中にない。
 いや、本来なら関わりを避けるべきのはずだ。
 何しろ昨日は襲われたくらいなのだから。
 だが、嫌な予感がする。
 どうしようもなくそれが健太郎を駆り立てる。
 すでに炎気は消えている。
 だが、大まかな場所なら分かる。
 健太郎は校舎から飛び出した。
 そして、すぐにグルッと壁沿いを回る。
 目的は校舎の裏側だ。

「あれ…だ」

 半開きの体育倉庫。間違いないと告げる何かが健太郎の中に存在する。
 そこで何かが起きた。そして…恵はそこにはもういない。

「八識さんに…」

 連絡するか?
 迷う健太郎。しかし、もし連絡すればどうなるか?
 それこそ大事になる。下手をすると学校が戦場だ。

「だめだっ」

 健太郎は頭を振った。
 恵の目的は何なのか、それは分からない。
 だが、下手な手出しをしなければ彼女は何もしないのではないか?
 昨日の恵との会話では理解出来ない部分はあったが、彼女が【燈火】に自分の事を知られるのを警戒しているのは理解出来た。
 …その為に自分は殺されかけたのだけれども。
 ならば、健太郎が恵の事を口外しなければ問題ないのではないか?

「でも、やっぱり何がしたいのかは知っておかないと」

 そうでなければいざという時に自分や智子を守れないかも知れないのだから。
 ごくりと唾を飲み込んで体育倉庫に足を踏み入れる。
 …微かに匂い。覚えのある匂い。
 思い出す前に急速に気分が悪くなる。
 頭が重い。胸が悪くなって胸元を押さえる。
 なんだ? どこかで嗅ぎ覚えがある匂いだ。どこだ? どこで嗅いだ?
 ずきんずきんと頭が痛む。額を押さえながら一瞬だけ、その匂いを嗅いだ時の光景を思い出す。

 背後には智子。
 正面には見知らぬ男。
 真夜中のビル建設現場。
 踊る黒い炎のたいまつ。

 吐いた。朝食を摂っていなかったので、胃液のみがコンクリートの地面に汚した。
 そうだ、これは肉の焦げる匂いだ。
 誰かが誰かをここで焼いたのだ。
 誰か?
 やったのは吉田恵以外の誰がいる? ならばやられたのは誰だ?
 死体はどうなった? 殺されたのは【燈火】のDFなのか?
 疑問と恐怖と嫌悪感がないまぜになって健太郎を襲う。
 匂い、匂いがだめだ。
 半開きの戸から外気入ってくるが、それでもまだ匂いが籠もっている。
 あまりの事に考えがまとまらない。ふらふらとした足取りで健太郎が外へ出ようとしてあるものに気付いた。

「なんだ?」

 小さな小窓に取り付けられた鉄格子、結ばれた布。見覚えがある気がする。
 大きさといい、色といい。この学校の女子の制服、そのリボンに見える。
 なぜそんなものがここに?
 健太郎は一瞬迷った。早くここから出たい。
 しかし、何か予感のような不確かな感情に突き動かされてそれに手が伸びる。
 軽く結ばれていたのか、それは端を軽く引っ張ると、するっと外れた。
 やはり女子制服のリボンだ。しかし、なぜこんな所に? 恵が結んだのだろうか? ならばなんの為に?
 何気なくクルリと裏返して健太郎は固まった。

 今夜0時、一人で。学校にて預かりモノを返す。

 油性マジックで書かれたらしく文字がひどく滲んでいたが、それは確かにそう書かれていた。

「預かり…モノ?」

 何の事か分からない。あるいはこれは健太郎宛ではないのではないか?
 しばらく迷った後、健太郎はそれをズボンのポケットに詰め込んで体育倉庫の外に出た。
 絡みつく匂いから解放される。蒸し暑い空気がこんなにおいしいものだったと初めて知った気がした。
 健太郎は体育倉庫を振り返る。
 そこでは何かがあった。それは確かで。
 …そして、そこで誰かがたぶん死んだ。
 死んだのは恐らく、ただの人間。
 DFなら一方的にやられるはずがない。
 恵以外の炎気が残るはずだから。
 どうする? 恵を問い詰めるのか?
 健太郎は自問する。
 問い詰めてどうする? 恐らくはまた昨日のような事態になるだけだ。
 そもそもなぜ問い詰める必要がある?
 誰かが死んだ。
 でも、それは、健太郎にとって無関係…。

「最低だ、僕は」

 吐き気をもよおすようなゲスな考え。
 でも、健太郎は自分の事を良く分かっていた。
 自分は誰でも救える正義の味方でも超人でもない。
 その両手で守れるのは自分と、そして自分にとって大切な人間だけなのだ。
 まして自分はとっくに汚れている。身を守る為とはいえ、【紅】のDFを殺した。
 こんな自分に偉そうな事を口にする資格などないのだ。
 だから、もうこの事は忘れよう。
 吉田恵は前からこの学校にいた。そして、お互いの事を知らなかったとはいえ、同じ学校で過ごしてきた。そして、何事もなければこのままお互いが関わらずにいる事も決して出来ない話ではないはずだ。
 そうだ、それがいい。そうすれば智子も危険な目に遭わせずに──

「智子?」

 心臓が破裂しそうになった。
 ポケットに手を滑り込ませる。仕舞ったリボンが指先に触れる。
 …このリボンの持ち主は誰だ?
 恐らくはあの体育倉庫で殺された人間。
 だったら、その殺された人間は誰だ?
 この学校の生徒。この学校に来ている生徒。
 そして…智子は今日この学校に来ている。

「そ、そんなはずはない。そんな都合の良い――いや、都合の悪い偶然なんてあるわけ」

 どこだ、どこだ、どこだ?
 智子はどこだ?

「そうだ、図書室にいかないと」

 智子が待っている。待っているんだ。
 一歩、二歩。三歩目で駆けだしていた。
 昇降口をつっきり、出てきた生徒とぶつかりそうになり相手は悲鳴と文句を言ったが、それに謝罪もせずまっすぐに彼女の待つ場所へと向かう。
 図書室に辿り着く前に一度、教師に見咎められて注意を受けたがそれでも足を止めずに強引に突っ切った。その教師は説教が長い事が有名だったので後でこっぴどく怒られるだろう。
 だが、そんな程度の事。いつでも受けてたてる。
 この絶望的な恐怖感から解放してくれるのならば。

「あら?」

 図書室の戸をガラリと開けると、勢いよく開けすぎたのか司書の女性と中にいた数人の生徒が、軽い非難の眼差しで健太郎を見ていた。
 さすがに軽く頭を下げて、キョロキョロと図書室内を見渡す。
 と、無人の机の一つに置かれた鞄が目に止まった。
 学校指定の何の変哲もないカバンだが、アクセサリーのつもりなのか交通安全のお守りがファスナーの金具に結ばれている。そんな事をする人間はこの学校には一人しかいない。
 間違いなく、智子の鞄だ。

「確か前畑さんの従弟よね、あなた」
「前畑健太郎です」

 呼び掛けてくる司書の女性に反射的に会釈をしながらも、視線は図書室中をさ迷う。
 どこだ? どこにいる?

「そうそう、そうだったわね。じゃぁ、健太郎君。前畑さんがどこへ行ったか知らないかしら?」
「いえ、僕はてっきりここにいるものだとばかり。それにこれって智子の鞄ですよね?」「ええ。ちょっと前に外に出ていって、私てっきりお手洗いだとばかり思っていたのだけど。でもそれにしては長すぎるし。何かあったのかしら?」

 何か…あった?
 心臓が軋みをあげる。
 司書が言った何気ない言葉が突き刺さる。

「健太郎…君? 大丈夫? 顔色が良くないようだけど…具合が悪いの?」
「いえ…大丈夫です」

 気遣うように伸ばされた手を遮った。

「すいません。ちょっと智子を探してきます」

 会釈して出て行こうとする健太郎を司書が「ちょっと待って」と呼び掛けた。

「もう少ししたら、今日はここを閉めちゃうのよ。ちょっと、用事があってね。前畑さんにはその事を言ってあったのだけど。もし良かったらあのコの鞄を持っていってあげて欲しいの」
「…擦れ違った場合はどうするんですか?」
「まだ私がいるうちなら健太郎君に渡したと言えばいいし、閉めたらドアにメモを貼っておくわ」
「そうですか、分りました」
「じゃ、お願いね」
「はい」

 早足で廊下を出て近くのトイレに駆け込む。
 鏡を見ると…なるほど、確かに顔色が真っ青だ。

「落ち着け。まだそうと決まった訳じゃない」

 声が震える。手が震える。視界が震える。
 現実が震える。何もかもが。
 まさか本当に? 智子が?

「そ、そうだっ。八識さん達に電話をっ」

 公衆電話のあるところに駆け出そうとして、ふと思い出してポケットに突っ込んだリボンを取り出す。

 今夜0時、一人で。学校にて預かりモノを返す。

「…あ」

 だめだ。もうこれは間違いなく健太郎に向けたメッセージ。
 一人で行かなければ。…待て。
 だったら、行かなければどうなる?

「…そうか」

 預かりモノ。取り返さないといけないモノ。
 答えは一つだ。

「智子だ」

 腕の震えが止まった。ぶれた視界がはっきりとする。
 なぜそうなったのか、何が起きたのか。
 そんな事よりも、まだ無事だろうと言う考えが鎮静剤のように暴走しかかっていた最悪の事態への想像を押し留めた。
 思考の歯車がかみ合う。
 冷静に、冷静に。今、今出来る事。それのみを考える。

「八識さん達は…だめだ」

 例え身を隠していたとしても、炎気を感じ取られたら終わりだ。
 あるいは八識と斬場ならは炎気を読まれる事への対抗策を持っていたとしても、それが絶対であるという保証はどこにもない。
 だったら一人でいくか?
 もし行けばどうなる?
 恐らくは戦いになる。
 たぶん、メッセージはその為のもの。
 そして、それが終わった後に残っているのは恵か健太郎のどちらかだろう。
 脳裏に浮かぶのは、昨日の教室で見せた恵の炎術。四方八方から襲い来る黒炎。
 もし行けば、消えるのは恐らく…

「それでも行かなくちゃ」

 コンドコソハ

「智子を助けるんだ」






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