DF−DarkFlame−-第五章-−7page
「消え…た?」
宿木は困惑の表情で仲間の方へと振りかえったが、後ろに控えていた仲間達は首を振るのみ。
百貨店から100メートルと離れていない青空駐車場からは、牙翼の炎気がはっきりと感じ取れていたのだが、それがふいに消えた。
「どういう事だ?」
元々、牙翼の炎気は器を変えたせいか垂れ流しのような状態でこれだけ離れていても確実に感じ取れるほどだったのだが。
炎気を抑えるコツでも取り戻したのか?
それにしても急すぎる。
これではまるで…
「ちっ、引き上げるぞっ!」
「はぁ?」
「いきなり何言ってるだ?」
仲間達が困惑するのも構わずに、男は自身にも理解出来ない危機感に突き動かされ仲間達を急かす。
「いいからっ、早くしろっ。でないと」
「でないと…何?」
「?!」
それは仲間の誰の声でもなかった。
声はOA系商社のロゴの入ったライトバンから聞こえた。先程まで何も感じなかったそこからは震えの来るような濃密な炎気を纏った少年がいた。
「何者だ」
我ながら馬鹿な質問をしていると宿木は思った。その炎気は先ほどからずっと追っていた炎気ではないか。
「…何者? 僕を探していたんじゃないの?」
呆れた様子もなく少年は首を傾げる。
確かに追っていた炎気の主ではあるだろう。
だが、この炎気の密度はどうした事だ?
「やはり、そういう事ですか」
宿木は苦々しそうに呟いた。
「私達を謀っていたんですね」
器が安定していないと思わせこちらの油断を誘う。常套手段ではないか。
垂れ流し? 現在のこの炎気を前にしてはそんな戯れ言は消し飛んで行く。
樹連の言う通りに炎気の質は以前の牙翼のものとは違うが、炎気だけでこれだけの圧力を生み出せるDFは宿木の知る限り三人だけだ。
樹連、刃烈、そして牙翼。
いい加減な情報をよこしやがって。どこが安定してないだ。それどころか自分の炎気を完全にモノにしている。
宿木は樹連に対して殺意にも似た念を抱く。
奴にとっては所詮、自分達はかませ犬扱いなのだ。
「どう思ってもらってもかまわないよ」
ゆらりと少年のすぐ脇の空間が揺れる。
姿を現した異形の魔獣が牙を剥く。
「ひっ」
宿木の仲間達が恐怖にかられて炎術を放つ。
制止する間もなかった。
この少年が牙翼ならそんな統制のとれていない攻撃など通じるはずもないのに。
「ちっ」
宿木は舌打ちして炎術を放った。
とりあえず、注意をこちらに向けさせなければ当初の作戦が実行できない。
だが、いま宿木の炎術を直接本体なり、炎術の《魔獣》に当てる事が出来たならば結果的に作戦通りにはなる。
だが、そんな宿木の考えは、次の瞬間に消し飛んだ。
「ひぃっ」
仲間の一人が悲鳴を上げた。
目撃者が出かねない複数の黒炎が一瞬にして掻き消えたのだ。
それも、魔獣のたった一つの音無き咆哮で。
「う、うそだろ」
「あれが…牙翼」
格が違う。
それが宿木を除く彼等の共通した認識だった。
そして、宿木は端から己との格が違う事を認識していた。
だが、退くに退けない。
自分達の指揮をとっているのは樹連なのだ。
牙翼相手に一矢も報いずに退いたとあっては報告し終わるまでに消されかねない。
ならば…
「私が…足を止める。そのスキにやれ」
当初の作戦通りだが、腰が引けている仲間達を見ると援護がどこまで期待出来るか。
少年は前に出てきた宿木の姿に目を細める。
「久しぶりだね」
「…おや、私の事を知っていましたか。光栄ですね。昇華しているとはいえ末席のメンバーの事を」
同じ《紅》、昇華したもの同士でもグループ内での立ち位置にはそれぞれ雲泥の差があった。
顔を合わせたこそあれど、お互い言葉も交わした事はない。
だからこそ、牙翼には自分が昇華してる事は知られていても、それがどんな型か知られていないはず。
それが宿木に与えられた唯一有効なカード。
チャンスは一度だ。
宿木は自分に言い聞かせる。
過去に刃烈からは一発芸と呼ばれ、樹連から使えないと嘲笑された。
だが、今回のような相手を倒す必要のない場合には大きな意味を持つ。
「確認しておきましょう。刃烈の居場所を知っていますかね?」
「…知らない。【燈火】でも同じ事を聞かれて同じ答えを返してる。何度聞かれても返事は同じだ」
「それを信じろと?」
「そちらの自由だ、信じる信じないは」
「そうですか。だからと言ってはいそうですかと引き下がる訳にもいかなくてね。何しろ後ろにはおっかない人が控えてるもので」
炎術の《魔獣》がのそりとこちらを向く。
襲い掛かられたら、一瞬でこちらに到達するだろう。
その前にっ。
「絡め取れっ!!」
無数の炎弾が少年を包みこもうとする。
いくら牙翼とはいえ、これをなんの防御もなしに受けるはずはないだろう。
必ず魔獣を使って防ぐはず。
だが、それこそが罠。
宿木の昇華の型は《付着》。
対象が物体でも炎術でも張り付く力が付加された炎術。
一度でも貼りついたならば宿木が解除するか対象を焼き尽くすまで剥がれる事はない。
無論、相手が相手なので焼き尽くせるなどとは思っていない。
だが、その状態まで持ち込めれば取引も可能なはず。
黒い炎に焼かれたままでも牙翼なら自分達を殲滅出来るが、それと引き換えに少なからずダメージを負うからである。
樹連が後ろに控えている状況でそれが命取りになると理解出来ないほど愚かではないはず。
…そう、うまくいけばそうなるはずだった。
「…え?」
呆然と呟いた時にはすでに眼前に魔獣の牙が迫っていた。
「な…に?」
目を疑った。
炎術が破られたはずはない。
炎術を破られた事によるダメージを受けてはいないのだから。
では、なぜ魔獣がここにいる?
簡単だ。
魔獣はまっすぐ宿木へと襲い掛かったからだ。
少年への攻撃はお構いなしに、だ。
「くっ」
迷う暇もなかった。
相打ちなら牙翼の炎術の《魔獣》に敵うはずもない。
宿木は辛うじて少年へ放った炎弾をキャンセルし、自ら眼前に全力の炎の壁を張り巡らせる。
だが、こんなもので【紅】3巨頭の一角であり、最高の突破力を誇ったあの炎術の《魔獣》を防げない。
せいぜい勢いを多少殺す程度。
器が完全破壊されない事を祈るくらいだ。
それでも結果として《付着》の炎術を魔獣にぶつけるという当初の目的は達成されるはずだ。
後は少々不安だが、残った仲間に任せるしかない。
「なにっ?!」
しかし、結果はさらに予想を裏切るものになる。
「ひっ」
「く、来るなぁっ」
魔獣は炎の壁の直前でL字型に曲がる。そして、健太郎への攻撃に備えて自分自身の防御にまで気が回っていなかった仲間達へと襲い掛かっていったのだ。
彼等が咄嗟に放った炎術は何の足止めにもならなかった。
「食い破れ」
その一言に従うように魔獣は炎術を突き破り、そしてその爪と牙は悲鳴を上げる間すら惜しむように仲間達の器を破壊していく。
炎の壁を挟んで宿木は呆然と仲間達がまさに消滅させられていく様を見守るしかなかった。
「なぜ…」
「下手にその炎術を受けるのはマズいからね」
「知っていたのか。…ああ、そうでした。刃烈の友人でしたね、あなたは」
確かに同じ《紅》にいたのだ。
直接、目にする機会はなかったとしても人から聞いていた可能性がある。
宿木自身はなるべく知られないようにしていたが、上と樹連、刃烈は知っている。
樹連が教えていたのならこの作戦を事前に止めただろうから、恐らくは刃烈から伝わったのだろう。
「残ったのは君だけだよ」
そう、少年の言うように男の仲間はすでに消滅している。
器は破壊され、本体と言える部分も魔獣の牙を受けては存在し得ない。
男はじりっと一歩後ずさった。
炎の壁はすでにない。
そんなものは無意味。
一人残った状態では《付着》の炎術は意味をなさない。
あくまで宿木自身がどんな状態であっても生きていて、彼をフォローし器を安全な場所へ運ぶ仲間がいればこその作戦。
「もはやこれまでですね」
男は悔し紛れに無理に笑った。
逃げたところで瞬殺。
ならば、潔く挑んで散るか?
せめて一瞬でも牙翼の気がそれれば…
「正気か、お前」
その声はまさに天からの救いの声に聞こえた。
例え、その声の主が【燈火】のDFであったとしても。
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