二人を結ぶ赤い有刺鉄線 第二章 Release−第13話






「まぁ、しっかりした言葉遣いだったし、滅多な事はないと思うけどな」

 タクシー運転手の言葉に、修平はただ頷くしかなかった。
 しかし、目的地が近づくに連れて心臓が早鐘を打っていく。
 まさか、まさか。そんなまさか。
 否定したい気持ちとは裏腹に、まっすぐタクシーはそこへ向かっていく。

「あれ? まだいるよ。あのお嬢さん」

 タクシー運転手の言葉通り、美月はそこにいた。
 車道ぎりぎりのところで車椅子を止めて。
 そこは美月が事故にあった場所。

「美月っ」

 まだ少し距離があったが耐え切れず、タクシーから飛び出した。
 美月は修平の呼び声に反応しない。声が届いていないのかも知れない。
 青信号なのに渡ろうとしない彼女を、通行人達はけげんな表情をするが、そのまま歩き去っていく。
 そして、歩行者信号の青が点滅する。
 修平の脳裏に悪夢が蘇る。
 肉が潰れる音、悲鳴、狂った男の笑い声、サイレン。
 そして信号が赤に変わった。
 美月の目前をいくつもの車が通り過ぎていく。
 そして、荒い息をつきながら修平の手がハンドグリップを握り締めていた。

「自殺でもすると思った?」

 振り向きもしない。それでも自分の後ろにいるのが修平だと確信して彼女はクスクス笑う。

「する訳ないでしょ。そんな事、この私が」
「……そうだな。でも、だったらなぜこんな所に? いまさらだろ?」
「いまさらか……。そうね。いまさらよね。だから、忘れる前に確認して起きたかったの」
「確認って何を?」
「ここで失ったもの。……そして、本当なら失うはずだったもの」
「失うはず……だったもの?」
「修平君。あの時、私と別れるつもりだったでしょ」

 言葉を失った。
 その事は誰にも言っていないはずなのに。

「不思議ね。ここから修平君の表情を見ていたら、分かったの。何かに苦しんでるって。
 あの時はそれが何か分からなかった。
 でも、今なら分かる。今だから分かるの」

 そこで美月は振り向いた。
 その笑顔は懐かしい、まだ高校に通っていた頃の彼女の笑顔。

「あの時、修平君は荷物を降ろし損ねた。
 そして、私は足を失った苦しみを紛らわせる為にあなたにしがみついた。
 あなたの優しさにつけこんで」
「……そんな事言うなよ。美月はただの高校生だろ。誰かに助けを求めて何が悪いんだよ」
「そうね。でも、そう言う修平君だって高校生じゃない。
 それなのに私は私の全てをあなたに押し付けようとした。
 ……弱かったのよ、自分でも呆れるくらいに」

 そう言って笑う美月はとても弱く見えなかった。
 むしろ、強く誇り高いように修平には思えた。





 病院までの帰りもタクシーで送ってもらうことになった。
 料金を払おうとしたが、タクシー運転手は受け取らなかった。

「久しぶりに良いものが見れた。この仕事やってると人間の醜い部分を見ることが多くてね。心の洗濯代だけで釣りがでますよ」

 そう言って、タクシーは去っていった。
 そして、病院のロビーまで来て、

「ここまででいいわ」

 美月はそう言った。

「私から開放してあげる」
「開放?」

 修平の手はいまだハンドグリップを握ったままだ。

「分からない? それじゃ余程重症ね」

 美月は嘆息した。

「あのコのペンダント、それを拾った時の修平君の顔。私が今まで見た事のない表情だったわ」

 言われて反射的にジャケットのポケットにしまったままのペンダントに手をやる。

「別に諦めた訳じゃない。あのコに譲ってあげる訳でもないわ。
 でも、残してきた想いがあるのならそれに決着をつけてきて。
 私も修平君に支えられるだけじゃなく、支える事の出来る人間になってみせる。
 じゃないと胸を張って恋人だなんて言えないから」

 だから、今は行って

 ハンドグリップから修平の手が離れた。
 しかし、車椅子はまっすぐエレベータへと進んで行く。
 ハンドリムを回す美月の手は止まらない。
 修平はその背に向かって言った。

「また、来るからっ」

 美月の手が止まる。

「ちゃんと答えを用意して、改めて来るからっ」

 美月の手が再びハンドリムを回す。

「期待しているわよっ、修平君っ!!」

 振り向きもせずに美月は言った。
 声はいつもの美月だった。
 でも、修平にはわかってしまった。
 それだけ美月と過ごした時間が長かったから。
 美月の涙を止める事の出来ない自分を恨めしく思った。






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