二人を結ぶ赤い有刺鉄線 第三章 Road−第15話






 修平は苦痛で顔を歪めている。
 それでも、しっかりと摘み取った。
 自分で切り落とした小指を。
 それを東石に差し出す。
 ヤクザと呼ばれる人種が地下に潜った現在、そんな落とし前のつけ方をする人間はいない。
 だから、東石は一瞬我を忘れた。
 しかし、彼もウィッチのブローカー。すぐに自分を取り戻した。

「ざけるなっ! たかが小指一本くらい――」
「ですよね」

 額に汗を流しながら平然と修平は言った。
 差し出した小指をいったん地面において、血に染まったナイフを祐介に差し出す。

「すいません。血の脂がついてると切れ味が悪くなるらしいですから、拭いてもらえませんか」
「……分かった」

 祐介は胸ポケットからハンカチをとりだし、丹念にナイフの血を拭き取る。

「これでいいか」
「十分です。ありがとうございます。あ、ちなみにハンカチの予備ってありますか?」
「いらん心配はするな」
「はい」

 そして、地面についた手に向けて刃の位置をあわせていく。

「お、おい」

 東石は無意識に声をかけていた。
 ナイフの刃はよどみなく、薬指の上まで移動してぴたりと止まる。
 再び悲鳴が上がる。
 そして、金属音が地面を打つ音が響き渡る。

「……邪魔しないでくれよ。健二」

 そう、ナイフが薬指を切断する前に健二がナイフを蹴り飛ばしたのだ。
 微かに薬指に走る赤い線が、そこまで刃が迫っていた事を示していた。

「自分を切るのってすごく勇気がいるんだ。俺自身じゃ足りないからいっぱい貰ってきたんだ。無駄にしたくない」

 そう言って、修平は首に下げていた十字架のペンダントを無事な手で握りしめた。
 ここに至って、誰もが悟っていた。
 この少年は本気なのだと。
 健二がナイフを蹴り飛ばさなければ、確実に薬指も切断していたであろう。
 いや、東石が足りないと言えば他の指も。
 さらには指以外も。
 東石の背中に悪寒が走った。
 狂ってる。このガキ絶対狂ってやがる。

「すいません。これでは落とし前がつけられません。替わりのナイフはありませんか?」
「か、替わりだぁ?!」

 それまでただ悲鳴をあげていた者達に変化が現れ始めた。
 あるものは床に零れた体液に身体をすべらし、ある者をその身体につんのめる。
 お互い向き合っていた男女が、お互いにまっすぐ走り出そうとして正面衝突を起こす。
 パニックがおこっていた。
 ウィッチによって高揚した気分とはいえ、人体の解体ショーなど冷静に見られるはずなどない。ここにはドラッグとセックスによる快楽を求めて来たのだから。
 そして、もう一人違う変化を起こした者がいた。
 亜矢だ。
 彼女は小さく呟きを繰り返している。
 しゅーちゃん? と。
 騒ぎに耐えかねて東石は祐介に怒鳴る。

「テメェの差し金か、このガキはっ。回りくどいことしやがってっ!!」
「馬鹿かテメェは」
「なんだとぉ?」
「あいつは己の器量で、お前から亜矢を解放しようとしてるんだ。
 東石、お前も男ならこの勝負、受けてやれや」
「勝負って」

 いや、その前になんて言った?
 あいつ?

 いつの間にか、修平はいなくなっていた。
 だが、地面に残る血痕が嫌でもどこに行ったかを知らしめる。
 振り向けば、あろうことか修平は蹴り飛ばされたナイフを拾いに行っていたのだ。
 切断された小指から血を流しながら。
 修平が近くによると客やコンパニオンが悲鳴を上げて逃げ惑う。
 そして、ナイフを拾って戻ってきた。
 冗談は止めてくれ。
 東石は内心で悲鳴をあげていた。
 こいつは間違いなく本気で薬指を切るだろう。
 しかし、東石とて面子がある。
 要求にイエスなんて言えない。
 そうしたら、こいつはどうするんだ。
 分かりきっている。次の指を落とすんだ。
 東石が要求を飲むまで。延々と。

「健二、今度は邪魔は無しにしてくれよ」

 再び修平は薬指に刃を当てる。

「だめ」

 その声は東石のものではなかった。

「だ、だめだよ。しゅーちゃん。止めてっ」
「あ……や?」
「血いっぱい出てる。そんな事止めてっ! しゅーちゃんが死んじゃう!!」
「お前、記憶が」

 だが、呼びかけに応える前に亜矢は意識を失った。
 反射的に東石がその身体を支えた。
 その彼女の股間から大量の血液が流れ落ちる。

「え、何が、何で」

 さすがに修平も呆然と呟く。
 祐介が東石から亜矢の身体をひったくった。

「流産だ。こいつ妊娠してるんだっ!」
「え?」
「馬鹿なっ、ピルはちゃんと飲ませて――」
「馬鹿はお前だっ。ピルでも100%の避妊にはならないんだ。それにそれ以前にこいつはピルをちゃんと飲んでなかったんだっ!」
「きゅ、救急車を」

 救急車を呼ぼうとしていた健二の携帯をひったくる。

「バカヤロウッ! ここをどこだと思ってやがる」
「あ」

 ドラッグパーティーの会場だ。警察には金を渡して見ないフリをして貰っているが、見てしまったものに対しては確実に動く。

「それに、表の車を使ったほうが早い」

 亜矢の身体を健二に預ける。

「連れて行け。助手席の奴に運転させろ」
「は、はいっ!」

 そして、祐介は修平の脇を掴み立ち上がらせる。

「お前もだ。今の医療技術なら切った指でもくっつけられるし、機能が戻る確率も高い」

 しかし、修平は首を振る。

「まだ、落とし前がついていません」

 祐介は東石を見る。

「お前、シロウトがここまでやってんだ。サツがもしこの事を嗅ぎつけた時、どうなるか覚悟はあるのか?」
「ぐっ」

 東石は唇をかんだ。
 彼にも意地はあった。
 だが、いまだ修平の手に握られたままのナイフ。
 ついに東石が折れた。

「分かった。ちくしょう。好きにしろっ」

 祐介は修平の背を押した。

「亜矢はさっきので記憶が正常になったかもしれん。
 そうなった時お前の指がないままだったら……分かるな?」
「はい、ありがとうございました」

 修平は頭を下げて、倉庫の外へ駆け出した。

「ちっ、仕方がねぇ」

 東石は両手を打ち合わせて注目を集める。

「お集まりのお客様。本日はとんだトラブルに巻き込んでしまって誠に申し訳ございません。
 後日この保障はさせて頂きますので、今日はお開きにさせて頂きたく」

 周りの反応は言われるまでもないという風だった。
 皆が服を来て撤収の準備を始める。

「結局、あんたの思いどおりって奴ですか」

 嫌味っぽい東石の言葉に祐介は自嘲気味に応える。

「馬鹿言え。……たかが女一人にあそこまで腹くくれるなんて誰が思うかよ」
「だよな。打算もへったくれもねぇ」
「……それが俺達の限界って奴かもな。良くも悪くも、な」




 病院の少し手前でベンツが止まる。

「悪いが送れるのはここまでだ。警察にかぎつけられる訳にもいかないんでな」
「分かりました」

 祐介の部下の言葉に従い、修平と亜矢を抱えた健二が降りる。
 ベンツは、三人が降りたのを確認するとすぐさま走り去ってしまった。

「急ごう、健二」
「ああ。だけど、お前の指。大丈夫なんか?」
「分からないけど、きっと大丈夫だ」

 そう言って無事な手で十字架のペンダントを握り締めた。



第三章  完






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