ダークプリーストLV1 第二章−第09話






 司教室で読書にふけっていたエスタークは思わず椅子を蹴倒して立ち上がった。
 ヴィジョンが降りて来たのだ。
 しかも、極めて危険でかつ時間が迫っている。
 エスタークは司教室を飛び出した。
 教会には3つの鐘が存在する。
 一つは街中まで聞こえる、冠婚葬祭を司る儀式の鐘。
 一つは小型でせいぜい教会敷地内をカバーする程度の集合の鐘。
 最後の一つは滅多に鳴る事はない。
 3つの鐘のうちでもっとも巨大で、しかも法術により教会敷地内のいたるところにあるスイッチでしか鳴らす事の出来ない非常事態宣言の鐘だ。
 エスタークは司教室からもっとも近い位置にある礼拝堂内の隠しスイッチに手を触れた。
 狂ったように鐘が騒音を撒き散らす。

「な、何事ですか?!」

 礼拝堂にいち早くアネットがかけつけた。
 そして、鐘が間違いで鳴らされたのではないとすぐに理解した。
 エスタークは笑っていなかったからだ。
 だが、いったい何が起きたのか。あるいは何が起きようとしているのか。
 聞こうとした瞬間に、それは起こった。





「みんな、テーブルの下に隠れてっ!」

 狂ったような鐘の音。
 それが何か問いただそうとした時、マドカの胸中からジワリと悪寒が広がった。
 これから何が起きようとしているのかが分かってしまった。
 リーリス以外の皆がきょとんとしている中、マドカは近くで料理を運んでいたミガの子供を棍で強引に引き寄せ、テーブルの下に抱きこむ。
 リーリスにはなぜ、マドカがそんな事を叫んだのか、なぜそんな行動を起こしたのかは分からなかった。
 だが、非常事態宣言の鐘に次いでのマドカの行動。
 リーリスはマドカを迷わず信用した。彼女は全力で駆けてミガの子供二人をつかんで別のテーブルの下に潜り込む。

「ミガさん。みんなっ、何かの下に隠れて! たぶん上からなにか――」
「上じゃない――」

 マドカの訂正は意味がなかった。
 その時にはもう地面が揺れ始めていたからだ。
 それはエスファの歴史に残る大地震だった。





「ぐっ」

 アネットは長椅子に捕まっているのが精一杯だった。
 礼拝堂は緊急避難所として、魔術、法術、そうして物理的にあらゆる事を想定して作られている。
 勿論、地震対策もされているが、それはあくまで建物の話であって、地震の揺れそのものを軽減するようにはなっていない。
 エスタークの姿が見えない事にアネットは気付いた。

「司教様っ?!」

 だが、祭壇の後ろから片手を振っているのが見えた。
 どうやら無事らしい。
 しかし、止む事のないこの揺れ、確認するまでもなくエスファ中に被害が出ているだろう。
 いや、それ以前に、修道棟や教会敷地内で務めに励んでいた司祭達の安否が気になった。
 特に修道棟は礼拝堂と違って物理的な対策しか取られていないし、そもそもこんな地震に耐えられるのか?
 アネットが司祭達の安否を気にするのには訳があった。
 エスタークが声と引き換えに老いぬ身体を得たように、司祭達は法術と引き換えにある代償を払っている。
 それは法術で他人の傷を癒せても、司祭の傷は癒せない事。
 例えそれが自分自身ではなくても同様である。
 もし、司祭が致命的な傷を負えば助ける術はないと言っていい。
 みんな、無事でいて。
 アネットは祈るしかなかった。





「おさまった……のか?」

 ミガの店で客の一人がテーブルの下から這い出た。

「危ないっ、避けてっ」
「へ?」

 リーリスの警告に客よりも早くマドカが反応した。
 元々天井の板が傷んでいたのであろうが、それが地震の揺れによって剥がれて落下してきていた。
 本当なら客に直撃していたそれは、ぎりぎりまで伸ばした棍に振れるや否や軌道を変える。板は客のすぐ横に落下した。

「うわぁっ!」

 客は腰を抜かしたが、リーリスがその背を押して無理矢理立ち上がらせる。

「みんなっ、店の外に出てっ!!」

 不吉な破砕音がまだ上から聞こえて来る。
 今度は天井丸ごと落ちかねない。

「リーリスッ! 子供達をお願いっ! 私はミガさんをっ」
「分かったっ」

 マドカは自分が保護していた子供をリーリスに預けると、カウンターを飛び越えて厨房に入る。

「ミガさんっ、無事ですかっ」
「だ、大丈夫……といいたいところだけど。ちょっとしんどいね」

 声の方を見ると床に彼女は倒れていた。
 彼女の近くにはスープ用の大なべが倒れて、下半身が濡れていた。

「ミガさん、しっかりっ」

 恐らく、スープで火傷を負っている。自分では歩けないだろう。
 マドカはミガの身体を担ぎ上げた。

「リーリスがいますから、すぐ治してもらえますよっ」
「心配しなくても、子供達残してどうにかなるもんかい」
「その意気です!」

 いくらなんでもミガをかついだままカウンターは越えられない。
 だからといって、ミガを降ろす時間もおしい。
 マドカは手首のスナップを利かせて棍を前方に放った。
 棍が半回転して水平になった瞬間、マドカは棍の端を蹴りつける。
 本来なら他流派に対する奇襲技だ。
 棍の先端がカウンターの上半分を破砕する。
 そこをマドカは駆け上る。
 途中で落下中の棍をキャッチする。

「まったく、人の店を気持ちよく壊してくれるねぇ」
「請求は教会にお願いします」
「ふっふ、そうしようかね」

 すでに客と子供達は外に避難していた。

「ミガさんっ?!」

 リーリスもミガの状態に気付いた。

「リーリスお願いっ!」
「マドカッ、降ろして地面に寝かせてっ!」
「分かったっ!」

 子供達も駆け寄ってくる。

「お母さんっ」
「大丈夫っ」
「何馬鹿言ってんの、立派な司祭が二人もいるのに何の心配してるのさ」

 リーリスがミガの火傷に向かって手を掲げる。

「慈悲深きアルミス。我が手に癒しの力を宿したまえ」
「誰かっ、スープで濡れてる服を脱がしますから、かけるものありませんかっ」
「俺の上着を使え!」
「私のマントも使って」

 リーリスが火傷を癒している間に、濡れた衣服を脱がすというよりも破きはぎとり、客から預かったものをかけて隠していく。

「まったく、見事な手際だねぇ…………、いいコンビだよ、あんた達……」

 ミガの声が弱々しくなっていく。

「リーリスッ?!」
「大丈夫っ! 治癒法術は傷を治すかわりに体力を消耗するのっ!
 ミガさん、ちょっと辛いだろうけど、体力の回復は他の司祭を待ってもらっていい?」
「ああ、あんたは他にも怪我人なおさなきゃならないものねぇ」

 リーリスは客に向かって言った。

「悪いけど、ここで待って他の司祭見つけたら、ミガさんの体力回復をお願いしておいてっ!」
「他の司祭って、教会に連絡しなくていいのか?」
「地震の前に鐘が鳴ったでしょ。あれは緊急事態宣言を告げる鐘よ。連絡しなくても動いてるはずよっ」

 みんな無事だったらね。とリーリスは心の中で付け加えた。
 あれだけの地震だ。教会に被害が出ていないはずはない。
 だが、今は目の前の事に集中しなければならない。

「リーリス。私はどうすればいい?」

 マドカは法術が使えない。
 リーリスの脳裏に一瞬、教会の安否の確認が頭をよぎったが、それを頼むにはマドカの法術以外の能力が高すぎた。

「別行動するわよ。
 私は怪我人を片っ端から治療するから、マドカは可能な限りエスファを見回って建物に閉じ込められてる人や怪我人を表に出して。
 怪我人は私か教会から来るはずの応援がなんとかする」
「分かったっ」

 二人は別れて走り出した。






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