ダークプリーストLV1 第三章−第05話
昼の棒術鍛錬は一般信者のみである。
これは他の司祭達にはそれぞれの務めがあるからなのだが。
朝、夕に比べると比較的空き時間を作れるが、ちょっと気を入れて鍛錬すると練習生の視線を集めてしまうのが悩ましい所である。
指導の関係上、練習生と離れる事が出来ないのでどうしようもないのだが。
「マドカー」
「リーリス? どうしたの?」
この時間は教会にいるはずのないリーリスが途方にくれた様子で歩いて来る。
「あー、実はね。とうとう見えちゃったんだ」
「見えたって何が」
「ヴィジョン。生まれて初めてだよ」
それはおめでとうと言うべきか。しかし、リーリスの様子を見る限り、あまり良くない事のようだ。
「見えたのが教会だったから、戻ってきたんだけど、そしたら変なのに捕まった」
「変なの?」
リーリスの様子は、いま鍛錬中の一般信者達が教会に押しかけて来た時のアネットに似ていた。
また、何か変な客なのだろうか。
しかし、リーリスの言葉はマドカの予想を大幅に上回った。
「道場破りだって」
「……はい?」
ワルド。白髪がかなりまざった壮年のワーウルフはそう名乗った。
かなり酔っているようで、少し距離をとっていてもアルコールの匂いが漂ってくる。
なぜ距離をとっているかというと、彼が槍を持っていたからだ。槍の穂は裸でいつでも刺突出来る状態だ。
まどかは一般信者の練習生の中で目をそらした数人を見逃さなかった。
「そこ、事情を説明して」
マドカの声音は静かであったが、拒否を許さない厳しさがあった。
ワルドの濁った目に、微かに何かを認めたような光がやどる。
目をそらした練習生達は言い訳に苦心しながら事情を説明した。
言い訳を省くと、内容はこうだった。
ワルドはいつも酒場で酔っては昔の手柄話を語っているらしい。
50年前の光と闇の大戦の生き残りらしく、お前らがいまこうしていられるのは、俺達の活躍のおかげだと、自慢げに言っていた。
常日頃からその調子なので、いい加減に我慢の限界が来た練習生たちが言ってしまったのだ。
お前の錆び付いた槍の腕より、マドカの棒術の方がよっぽど凄いと。
「だから、こうしてワシの腕が錆び付いているか証明してやろうと思ってな。
まぁ、たかが一般信者相手に棒遊びしてる程度なら、多少からかって勘弁してやろうかと思ったが。
どうやら嬉しい誤算だったようだな」
彼は腰に下げていた水袋の中身に口をつける。恐らくは酒だろう。
マドカはワルドの目をしばし見つめていた。酒に濁った目の奥に隠れた意思を感じ取った。
「みんな、鍛錬を続けて下さい」
「おい」
ワルドの表情が険呑なものになる。
「決闘の申し込みという事でしたら、お断りします」
「ほう、見込み違いか? 戦わずして負けを認めるのか」
「どう思われようと勝手ですが。私は酒に酔った方を相手にする気はありません」
「つまりは――」
「私と戦いたいのでしたら、まず酒を抜いて下さい。その上でというお話でしたら、お受けします」
その場の練習生達はかたずをのんで見守っている。鍛錬を続けろと言われてもこの空気ではとても無理である。
二人はにらみ合い、というよりも探りあうような目でお互いを見ていた。
やがて、ワルドが背を向けた。
「明後日の夕方、改める来る」
そういって彼は去っていった。
入れ違いに普段は教会前で露天商を広げていたスケルトンとゴーストがやってくる。
「おい、お嬢さん。あいつと何があったか知らんが、事を構える気ならやめておけ」
ゴーストが文字通りの上から目線で忠告すると。
「あれ、やばいで。相手にしたらあかんぞ。下手に相手したら死ぬで」
すでに死んでいるスケルトンも同調する。
しかし、マドカは頷いて。
「分かっています。強いんですよね」
「大戦時の生き残りというのは本当だろうな。酔ってても纏ってる空気が違う」
「久しぶりにあの当時思い出したわ」
どうやら、彼らも大戦時の生き残りらしい。……アンデットだが。
「マドカ、大丈夫なの? あんなのと決闘するなんて」
「決闘っ?!」
リーリスの言葉にゴーストとスケルトンはぎょっとした。
「正気か、お前。自惚れてるとかじゃないよな?」
「やめとき、やめとき。命あっての物種やで」
スケルトンが言うと説得力がないが。
リーリスは申し訳なさそうに言った。
「もしかして、連れてこないほうが良かった?」
マドカは首を横に振る。
「リーリスはヴィジョンを受けたんでしょ? アルミス様からの啓示が信じられない?」
「でも、危ない人なんでしょ?」
「目を見て分かった。あの人は囚われている。かつての私と同じ。自分自身に囚われている。
かつて、同じ囚われていた身として、そしてアルミス様に仕えるものとして、彼を解放してあげたい」
「言葉ではダメなんだね?」
「私はリーリスから教わったアルミス様の教えで救われた。
でもあの人は私とは比べ物にならない長い時間、自ら光を閉ざし闇の中を生きてきたんだと思う。
それはアルミス様が司るものとは程遠い安息なき闇。私の言葉では軽すぎる」
「司教様でもダメ?」
「リーリスがヴィジョンを受けて、彼をここに導いて来た事に意味があったと私は思ってるの」
リーリスはため息をついた。
「あの人もだけど、あんたも言葉ではダメなんだねー。
それに止めたいはずなのに、私も同じようにあの人から暗い感情を感じた。
たぶん、あの人が求めてるのは――」
「恐らく、戦場と死に場所」
スケルトンとゴーストも頷いた。彼らも分かっていたから忠告に来たのだろう。
「でも、戦場はもうない。あの人が死すべき場所も。
だから戦って教えてあげたい。生きてるって事」
「私は断固反対します」
司教室でアネットはきっぱりと言った。
当然だろう。こんな事がすんなり通るとは思っていない。
エスタークもいつもの笑顔はなく、ただマドカを見ている。
リーリスは何も言わないでただマドカの横に立っている。
「相手は手加減してくれるような方なのですか?」
「いえ、全力で来ると思います。そして、全力でないと意味がないと思います」
「治癒法術は司祭には効かない。それは承知してますね?」
「はい」
「ならばなぜ? 今やあなたはこの教会にとって、いえエスファにとって掛け替えのない人材。将来はさらに多くの人々を支え得る司祭になると私は確信しています。
そのあなたを命がけの決闘などと」
リーリスが唐突に言った。
「己が感情に従え」
「それは」
「無理です。司祭長。もし止められるのなら、あたしが止めています。今のマドカを止められるとすればアルミス様くらいのもんです。
ですが、アルミス様の教えが今のマドカを突き動かしているのなら、いったい誰が止められるんですか?」
そして、リーリスはマドカの袖をドアに向かって引いた。
「リーリス……」
「マドカ、言ったばかりでなんだけど、司祭長の気持ちはよく分かるよ。私も決闘なんてしてほしくないもん。許可なんて出来る訳ないじゃん。
だけど、もう引き返すつもりもないんでしょ。……これは全てが丸く収まるような事じゃない」
マドカは頷いて司教室のドアを開けた。
「申し訳ありません。司祭長、司教様」
振り返らなかった。マドカを案ずる顔を見たくはなかったから。
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