司教様に報告があるから。そう言ってアネットが去っていった後もまどかは動けなかった。
悪とは何だろう。
正義とはいったい……。
悪い癖だと指摘されたばかりだが、そんな想いが頭から離れない。
だが、それでいいのだとマドカは思う事にした。
生まれる感情を受け入れよ。それもアルミスの教えであるのだから。
答えがいつ出るのか、答えが果たしてあるのかは分からない。
だから、今はたった一つの事を考えよう。
一つの命を救った事を。
「マドカお姉ちゃん」
「エース」
看護室に入るとベッドに横たわっていたエースがベッドから降りる。
「無理しちゃだめよ」
「平気だよ、傷も治してもらったし。もう元通りだよ」
「いいから、大人しくしてて。法術は万能じゃないだから。体力回復の法術で回復した体力は一時的なもの。無理をすればさらに悪化する時だってあるんだから」
そう、法術は万能じゃない。身体の傷は癒せても心の傷は癒せない。
「本当に俺だけなの? 生き残ったのは」
マドカは言葉なく頷く。
「そっか。俺、族長になったら集落と街との交流を持たせようと思ってたんだ。
タレントとか、そんな小さな事より、一族全体の事を考える族長として見本になろうって。
そしたら次はタレントなんかに左右されない、本当に一族の事を考えている奴が族長になるんじゃないかって思ってたのに。
みんな、いなくなっちゃったんだな」
さびしげにエースが呟いた。
どうするべきか。どんな言葉を言えばいいのか。マドカには分からなかった。
そんな時、ヴィジョンが降りた。
マドカは両手を広げた。
「マドカお姉ちゃん?」
きょとんとするエースをマドカは抱きしめた。
「平気な振りなんてしなくていい。あなたは辛い思いをしたんだから」
エースは初めはためらっていたが、やがてぎゅっとマドカの胸にしがみ付いた。
そして、嗚咽が漏れる。
当たり前だ。マドカでも正視をためらう様な地獄をこの歳で味わったのだ。傷ついていないはずないのだ。
でも、耐える必要はない。怯えていい。恐怖していい。
なぜなら、そういったものを受け止める為にアルミスの司祭はいるのだから。
おびただしい数の墓標が並んでいた。
ダークエルフ達の遺体はエースの希望で集落に埋められたのだ。
「死は終わりではなく、後に続くものの導。後を生きるものの礎。汝が死は決して無ではなく――」
アネットの追悼の言葉がかつての住人無き集落に響く。
参列しているのは、エースとエスファに助けを求めた青年。普段は教会内から出ない助祭達。そしてダークエルフと関わりがあった街の住人達。
ワルド、グラム、デイトン達もいる。
エースは毅然と立っていた。
その姿にはもう族長としての風格が漂っている。
看護室でマドカに全ての感情を吐き出した後、エースは子供ではなくなった。
多くの同胞の死が否応なしにエースを変えてしまった。
アネットの追悼の言葉が終わるとエースは墓標の前に立った。
「俺は忘れない。みんなの事を忘れない。みんなと暮らした事を決して忘れない。
そして、最後の族長として、その役割を果たすとここに誓う」
最後の族長。
その意味をマドカが知るのはまだ先の事だった。
第四章 完