イヌカイは桶を両手に一つずつ持って川岸に下りていた。
眠り粉の材料が、死の川だからである。
……俺が引き受けたのは荷物持ちだけだよな?
理不尽な気がしないでもなかったが、それぞれの桶に水を汲む。
ふと、思いついて川をしばらく見ていた。
死の川は透明で川底まではっきりと見えたが、魚が泳いでいる姿はない。
まぁ、死の川だからあたりまえか。
「イヌカイさーん。まだですかー」
「今いくよ」
やれやれとため息をついて小屋へと戻った。
「あ、川の水はここに入れてください」
ミンが漏斗状の上から下へ細くなっていく口を指差すので、言われた通り上から桶の水を流し込む。
流した水はどんどん、金属で出来た箱に吸い込まれていく。
中の状態は見えないが、箱の一部に硝子のようなものが嵌っており、水が流れ込む度に赤い横線が上がっていく。
水の量を表しているのか?
ミンに聞こうかと思ったが、聞いてどうなるものでもないのでやめにした。
そもそも、半透明な管や、三角や球の硝子の器。先程川の水を流した鉄の箱といい、ここにはわけのわからぬ道具ばかりだ。
わけの分からぬものの用途を聞いてもわけの分からぬ答えが返ってくるに決まっている。
と、そこまで思ってふとミンが見当たらない事に気付いた。
いつのまにか床に置いた風呂敷包みも消えていた。
「おい、ミン」
「あ、イヌカイさん。こっちです」
声は奥から聞こえた。
そちらへ向かうと中央に囲炉裏のある8畳ほどの部屋で、彼女は干し大根をほおばっていた。
「眠り粉の精製に少々時間がかかるので、休憩して下さい」
そして、切った芋を金串に刺して、すでに火が入った囲炉裏に突き刺す。
「生ものは早めに食べないと傷みますからね。イヌカイさんも遠慮なく食べて下さい」
さらには茶碗に焼酎まで注ぎだす。
「神人でも食事はするのだな」
「いえ、特に食事はしなくても平気です。大怪我をした時などは食べた方がいいですが」
「……だったら、なぜ今食べている」
「食べるのが好きだからです。そもそも、食べなきゃ荷物が減らないです」
そう言って、茶碗いっぱいの焼酎を一気にあおる。
どうやら、食べるだけではなく、酒を飲むのも好きらしい。
なんだかなと思いながら、イヌカイはもう一つ用意されていた茶碗を手にとった。
「俺のも頼む」
「はいな」
あふれそうなほどいっぱいに注がれる。
それを零れないように注意深くすすりながら聞いた。
「もしかして、副業ってこの為にやっているのか?」
「んー、半分はそうですねー」
「もう半分は?」
「そうですねー。眠り粉だけ売るより薬とか扱っていると喜ばれるからですね。
私は人間が好きですから」
そう言って、また一気に焼酎をあおる。
かなりのザルのようだ。
この時、ミンの言葉。その裏にイヌカイは気付かなかった。
――私は人間が好きですから――
日が落ち小屋の外が暗くなった頃、ミンが立ち上がった。
「そろそろ、出来上がった頃ですね」
精製機器のあるところに戻ろうとしたが、やや足元が危なっかしい。
「おい。大丈夫か。飲みすぎだぞ、お前」
「だいじょーぶですよ。私は神人ですから」
「大丈夫なら真っ直ぐ歩け」
「はーい」
元気に返事をしつつ、精製機器の前に置いていた木箱から、空の硝子の小瓶を取り出す。
そして、水を流し込んだ精製機器から四尺ほど横にある台座の前に立つ。
台座は円形で、その上には漏斗の下を長くしたような口がある。
ミンはガラス瓶の栓を抜いて、台座の中心に置く。そして漏斗の上に続いている金属カバーの脇についているレバーを上から下へと引き下げる。
すると、漏斗の下の口からさらさらと銀色に輝く粉が小瓶に収まっていく。
ミンが下げた棒から手を離す。
粉が落ちるのが止まり、レバーも自動的に元の位置に戻った。
ミンは小瓶を手にとり栓をする。そしてそれをイヌカイに渡した。
「はい、出来立てほやほやですよ」
「これが……眠り粉」
勿論、イヌカイが見るのは初めてではないはず。
村がはぐれに滅ぼされる前は毎晩使用してきたはずだ。
だが、恐らくは自分が汲んできた水がこのような粉になったのが不思議なのだろう。
ミンは思い出したように付け足した。
「あ、私の場合。出来るだけ長持ちするように、少し強めにしてありますので、軽く吸うだけにして下さいね」
「そんな事ができるのか?」
「はい、作るときにあらかじめインプット――もとい、この道具を調節しておけば」
「……では、二度と目覚めないような眠り粉を作る事も?」
「可能です」
「そうか……」
ミンにはイヌカイの心は分からない。彼女に出来る事は一つだけだった。
「じゃぁ、もう夜も更けてきましたし。イヌカイさんはそれで寝て下さい」
「お前はどうするんだ」
木箱からさらに空の小瓶を取り出した。
「私は眠り粉の在庫を用意しないといけないので」
「寝ないのか?」
「実はですね。神人は眠れないんです。眠り粉も効きません」
だから、少しうらやましいです。心のなかでそう続けた。
「イヌカイさんはあれから寝てないでしょう? あまり起きつづけると身体に悪いですよ。押入れに布団もありますので」
「あ、ああ。分かった」
イヌカイは奥に戻ろうとしたが、ふと振り返った。
「ミン」
「はい?」
ミンは首を傾げた。
「これからよろしくな」
「はいっ! よろしくです」
こうして夢売りと復讐者の旅は始まった。
第一章 完