夢売りのミン 第四章 夢売りと眠りの歌姫。−第01話






 その歌は知らぬ言葉で綴られていた。
 それはミンにとっても衝撃的だった。
 神人が知らぬ言語がこの大陸にまだあったのかと思うと、ミンは大陸の広さを改めて思い知った。
 渦の地、九快。そこはもはや村ではなく街であった。
 時刻は深夜、すでに眠り粉で住人は眠っているのかと思っていたが、歌声に誘われて街の中央と思われる位置に来たのだが。
 開けた場所に舞台のような、高さがミンの肩ほど、幅がイヌカイの両手を広げて5人分くらいの正方形の台がある。四方に上れるように階段があり、今その上で一人の女性が歌っている。
 歌詞が分からないので内容は分からないが、悲しげな響きに聞こえたと思えば、童謡のように優しげにも聞こえる。
 不思議な歌であった。
 そして、歌が終わるとミンは惜しみない拍手をおくった。

「ありがとうございます。夢売り様」

 女性はミンに向かって一礼した。何せ聴衆は二人だけなのだ。その存在はとっくに気付かれていたのだろう。特に驚いた様子はない。
 ただ、少し困惑しているようだ。

「あの……、お隣の方はどうかしましたか?」
「は?」

 言われて横を見ると女性を見ながら呆けているイヌカイがいた。
 反射的に肘をわきの下に的確に叩き込む。
 ちなみに人間の急所の一つである。

「いってー。何をするっ、ミンっ!」
「ちょっと、偶然肘があたっただけですよ」
「そんな偶然があるかーっ!」

 がなるイヌカイの様子に、壇上の女性がクスクスと笑う。鈴が鳴るようという表現がぴたりとはまる笑い声。
 イヌカイの頬が微かに赤くなったのを見て、ミンは再び肘撃を見舞うのをこらえた。

 むー、面白くないですね。

 ミンの感情はともかくとして、その女性にイヌカイが見とれるのもやむをえなかった。
 金の髪、藍色の目。細長い一枚布を順序良く巻きつけたような見慣れぬ衣服。そして何よりこの世のものと思えない希薄と濃厚という矛盾な存在感。

「しかし、もったいねぇな。それとも練習か何かなのか? こんな時間に歌うなんて。聞く奴なんて誰もいないだろうに」
「いえ、それは違いますよ。夢売り様の血印者殿」
「え?」

 ミンとイヌカイの声が重なった。
 神人の血を飲み死の川に対する耐性を持つ血印者。
 その存在はとりたてて秘密である訳ではないが、その血を与える神人――すなわち夢売りが一所に留まらない為、夢売りに詳しい者しか存在を知らないのが実情である。
 ましてや、外見上は普通の人間と変わらない為、一目で分かるようなものではないはずなのだが。

 私と一緒にいたから? ですかね。

 心の内で答えを探している間にイヌカイが率直に聞いた。

「なんで分かったのだ。俺がこいつの血印者だって」

 む、こいつ呼ばわりですか。

 煮え始めた水面のように先程の黒い感情がよみがえりそうになる。
 しかし、女性の言葉を聞いて、そんな感情は吹き飛んだ。

「だって、私の眠りの歌を聴いても平気なのですもの。そんな人は、夢売り様でなければ、血印者ぐらいしかいませんもの」
「眠りの……歌ですか?」
「そうです。この街では眠り粉は使われていないのです。皆、私の歌で眠ってしまわれますので」
「そ、そんな事があるはずがっ?!」

 ミンは驚愕する。
 そんな事が可能なら、それはもう神々の力の領域だ。いや、神々ですら夢売りを通じて眠り粉を人間に与える事でしか、眠りに誘う事は出来ないのだ。考えようによっては神々の力すら超えた事。
 壇上の女性はそれを容易くやってのけたと口にしたのだ。

「嘘ではありませんわよ、夢売り様。実際にこの九快の街で起きているのは、お二方だけ。今日だけではなく毎日、私は眠りの歌を歌っております」

 確かに女性の言う通り、街が静か過ぎる。眠り粉を使っているのであれば、使うタイミングがバラバラの為、この時間でも少しは人の気配があってもいいはずである。
 女性が壇上から降りてくる。

「この街では眠り粉など使われておりません。夢売り様にはご足労頂いたのに残念ですが、他の街や村へ行く事をお勧めしますわ」

 女性はすれ違い様にそう言って去っていこうとする。

「あ、あなたは何者ですかっ?!」
「私ですか?」

 女性は足を止めて振り返った。

「名はチョウヨウ。ただの歌鳥です。夢売り様」
  
 微笑みを残し、女性は去っていった。






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