あおいうた−第二章 白と黒 第06話






 白仁と別れ、良縁に出会うまで世界を呪う事で生きて来た。
 他人を憎み、自分を憎み、何度も死のうとした。
 だけど、今この時ほど死にたいと思った事はなかった。

 分かってる。良縁は僕を責めない。

 だが、むしろそれが痛かった。手首を切る事なんかよりずっと痛かった。
 まだうかつだったと、責められた方が楽になれた。
 捕らえられた犯罪者のようにとつとつと話す声は自分の声が別人のように聞こえる。
 結局、最後まで話し終えるまで良縁は黙って聞いていた。

「ハハッ。お笑いだろ。僕の中にバケモノがいるなんて言っておいて、相手はもっとバケモノだった。それも気付いたのが別れた今なんてっ!」
「蒼一。もう……今日は休んだほうがええ」

 良縁が僕を抱きしめる。だけどこの身体はあいつがつけた痕だらけだ。
 思わず彼の手を払いのけてしまった。良縁まであいつに汚されてしまう気がしたから。

「あ……」

 だけど、違う。お前を拒絶したんじゃない。そんな顔しないでくれっ。
 違うっ、違うんだっ!!





 良縁は深いため息をついた。
 蒼一はようやく眠った。
 眠りにつくまでは、錯乱状態に近かった。

 責めてくれいう目してたな。

 半ば濁った目がそう言っているように思えた。

 だけど、そんなボロボロになった蒼一を責めろなんて酷な話やわ。
 それに悪いの全部。

 良縁は蒼一が羽織っていたコートを握り締めた。これが誰のものなのか一目瞭然だった。千切れるくらいの勢いでコートを床に叩きつける。

 全部、こいつが悪いんやぁっ!!

 全ては後の祭り。眠りについた彼の服を起こさないように着替えさせていたら、いやでも目に入る。白い肌に青紫の点がいくつも、まるで全てを食いつくそうとでもしたように。右手首にも酷いアザが残っていた。相当抵抗したのだろう。左手首は皮肉とでも言うか、リストバンドのおかげでアザにはなっていなかった。
 だが、もっとも大きな傷は間違いなく蒼一の心だ。

「ちくしょう……」

 こらえていたのに声が漏れた。そしてそれがきっかけとなったのか、涙が止まらなかった。
 守れなかった。
 これだけごつい身体しているのに。何の役にも立たなかった。
 頭ではどうしようもない事は理解出来ても悔しくて仕方がなかった。
 再びコートを握り締めて、ふと固い感触に気付いた。
 ポケットの中に何か入っているらしい。薄い金属の感触だったが。
 それをカウンターテーブルに取り出した。

「これって……」

 中身を見た瞬間に、良縁の気持ちは決まっていた。





「良縁?」

 目覚めた時にはもう日がだいぶ高くなっていた。
 身体のあちこちが悲鳴を上げているが、そんな事よりも良縁がいない事の方がよっぽど大事だった。
 ロフトからリビングに降り、一通り全ての部屋を確認したが、やはりいない。
 夢も見ずよく眠れたので、蒼一も多少は落ち着いて考えられるようになっていた。

 報復とか考えなければいいが……。白仁の会社を知らないから大丈夫か。

 リビングに戻って来た蒼一は、ダイニングのカウンターテーブルの上での光に気付いた。小さな金属板のようなものが太陽光を反射しているらしい。

「名刺ケース?」

 一瞬の間の後、それが持つ意味の重大さに気付いて血の気が引いた。





 そこはどこにでもあるオフィスビルのワンフロア。

「宇賀君、キミにお客が来ているんだが」
「私に……ですか?」

 課長代理の声に資料整理をしていた白仁は首を捻る。
 まだ、この支社に戻って来たばかりだ。挨拶周りに行くあてはあっても、わざわざ会社に訪ねて来るような相手に覚えはなかった。

「分かりました。ありがとうございます」

 壁に積み上げた商品に当たらないようせまい通路を抜けて、玄関口に出る。ドアのすりガラスの向こう側に人影が見える。呼び出し用の内線電話は玄関の中だ。わざわざ白仁を呼び出して、外で待っているらしい。

 なんなんだ?

 そんな疑問はドアを開けた途端に氷解した。
 見た目だけならいかにも社会人一年生といわんばかりの、濃紺のリクルートスーツに紺のネクタイをしめ、皮カバンを片手に下げた陸谷良縁がそこにいた。

「ちょいと、外に出てもらえまへんやろか」
「ここではダメなのかい?」
「俺はここでもかまへんで。困るのはあんたやろ?」
「確かにそうだな。出戻り早々問題を起こす訳にもいかないか」

 白仁は頷いてエレベーターまで歩いて一階のボタンを押す。

「どうしてここが? 蒼一に聞いたのかい? でも会社の住所までは知っていないと思ってたけど」

 良縁は無言で名刺を取り出す。そこには宇賀白仁の名前があった。

「まいったな。そう言えば、コートに入れっぱなしだった」

 頭を押さえて、一本とられたとでもいう風に笑う。
 その表情は蒼一をあそこまで追い込んだ人間だとは思えないものだった。
 二人は同時にエレベーターに乗り込んだ。

「そういえば、バケモノって言ってましたわ」
「俺がかい? それは酷いな。常に自分に正直なだけなのに」

 一階にはすぐついた。
 ビルを出ると、良縁が隣のビルとの隙間道を指差す。
 いまだ笑顔のまま白仁は従った。
 先を歩き、中ほどまで進んだところで振り返った。

「じゃぁ、話を聞こうじゃ――」

 最後まで言えなかった。真正面からの良縁の拳に殴られたからだ。その威力というよりは拳に押し倒されるような形で白仁は、腰をついた。

「誰が話をしにきたいうた? 俺はお前をしばきにきたんや。蒼一をあれだけ傷つけよってっ」

 ネクタイをほどき、カバンを放り捨て、良縁はそれまで抑えていた感情を開放した。しかし、殺気すら漂う彼の怒りにも白仁は薄ら笑いをやめなかった。






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