カミキリバサミ−23page
そして、たどり着いた。
土手だった。
街からだいぶ離れていた。
川が流れる音と、明滅する街灯が時折スパークする音だけが聞こえる。
月は雲に隠れ、視界が悪いが、それでもソレがそこにいるのが分かった。
初めて見たときとは違い、体が透けていない。恐らく、少年が言っていたように髪を切るのが残り一人となった今、存在が安定しているのだろう。
「カミキリバサミ…いや、おっさんっ」
彼は呼びかけに振り向いた。
相変わらずその顔は子供の落書きのようだったが、その表情は泣き笑いのように感じた。
「こんばんわ、誠君」
はっきりした言葉と不明瞭な言葉が重なって返ってきた。
「なぁ、それがあんたがなりたかったものなのか?」
「まさか。夢にも思わなかったよ。自分がこうなるなんて」
「だったら…」
「君だったら何になりたい?」
「え?」
逆に質問を返されて答えに詰まる。
何に?
父親にも似たような事を聞かれたが結局保留のままだ。
「急に聞かれても困るよね」
その言葉に馬鹿にした様子はない。
「でもね。ある日、自分が100%望んだものではないにしろ必ず願いが叶う。そんなチャンスが与えられたら君はどうする? それを拒否したら2度目はないとしたら。次に別のチャンスが巡ってくる保障なんてどこにもないんだよ」
「どうするか、俺にもわからない」
正直に答える。嘘をついても意味はない。
「おれはある意味チャンスを逃した人間だ。普通の学生生活を続けていけばいいのに教師を殴ってフイにした。『そんな、お前には未来はない』そう言われて我慢できなかったんだ。俺みたいなガラの悪い奴にとって図星だったから」
そして、バッグを開けてホームセンターで買ったものを取り出した。
それは、履歴書だった。
「でもなっ、俺はまだ終っていないっ。みろよ、これ真っ白だろ。当たり前だよ、何も書いてないし書ける事もしてこなかった。でも、それはこれからいくらでも書く事を増やしていけるってそういう事だろ。なんだっていい。自由になんだってなれるって事だろっ!! チャンス? そんなもの待たなくていいんだ。だってそうだろ? あんたは俺とは桁違いにいっぱい積み重ねてきたんだろ? ただまっすぐに行けばいいんだ。あんたが望んだものにきっと届くって」
秀和は、いやカミキリバサミは満足そうに何度も何度も頷いた。
「そうだ。それでいいんだ」
君は。
デモネ、ボクハモウマチクタビレテシマッタンダ
「うわっ」
急速にカミキリバサミと誠の距離が詰まる。
思わず身構えるが、カミキリバサミはその脇を通り過ぎるだけだった。
「あっ」
後ろを振り向くと、背中まで髪を伸ばした少女がいた。
「やめろっ、おっさんっ」
追いかけたが、スピードが違いすぎた。
金属音、そして髪の毛が宙を舞った。
そして、カミキリバサミの姿が変容していく。
折れ捻じ曲がり細く小さく。
誠がたどり着いた時、地面には大振りなハサミだけが残されていた。
「語り継がれる者、本当はそれが彼がなりたかったモノだ」
「え?」
少年の声が少女から聞こえた。
少女が頭に手をやると、髪の毛がずれて、その下から更に別の髪があらわれる。
「お、お前。なんて格好してるんだ」
「う、うるさいな。仕方ないだろう。呪いの被害者を出さない為だ。僕だって好きでやってるわけじゃないっ」
「呪い? そうだっ。13人目の被害者が出たから呪われて死ぬんだろう?!」
「だーかーらー、噂では被害にあった13人の女性が髪を切られた逆順に死んでいくんだろう? だけど、被害にあった女性は12人、しかも最後は僕だ。呪いは発生しないよ」
「ちょっと待て、それって詭弁だろう。だったら、儀式の被害者も12人じゃないか」
「噂で儀式の被害者の性別に関して触れられていた?」
言われて記憶を思い返す。
「そういえば、性別に関しては特になかったな」
「そう言う事だ。これでこの件はお終いだ。本当は君が彼を説得してくれるのを願ってたんだけどね」
そういいつつ、少年はハサミを拾い上げる。
「なぁ、おっさんはなんでそんなものになりたかったんだ」
「さっきも言った通り、彼は後世に語り継がれる人物になりたかったんだ。偉人のようにね。その為に勉強を重ね、論文を書き、研究を続けた。でも、それはあっさりと同じ分野の他の研究者が特許をとってしまった。彼にとってその研究が全てで、会社の再三の路線変更の指示にもかかわらずその研究を続けた。会社を放りだされるまでね」
「それで就活してたのか」
「彼はすでに他人に特許をとられた研究成果にすがった。なぜなら、他に何もなかったから。でも、そんな彼を雇う会社なんてなかった。彼には真っ白な履歴書からやり直す勇気がなかったんだ。…そしてそこをつけこまれた」
「それがカミキリバサミか?」
「そう。人ではなくなっても、人々の間に語り継がれる存在、尊敬ではなく恐怖で語られる存在。彼はやり直すより、自己の存在を転換する事を選んだんだ」
「…なんでだよ、ちくしょう」
「彼の気持ちは彼にしか分からないよ。伝承カミキリバサミは完成した。今はこの近辺だけの噂だけど、じき都市伝説として日本中に広まるだろうね」
少年はハサミを見つめながら呟いた。
「終わりだ。残るは後始末だけだ」
「そうですね」
聞き覚えのない声が混ざった。
いつからそこにいたのか、黒のスーツを着た二十台後半くらいの男性がそこにいた。
見た目は普通のサラリーマンにしか見えなかったが、何故か誠の全身の肌がその男性が普通ではないと告げていた。
「な、なんだお前」
「誰でもない、何者でもないモノ。売り手にして買い手。願い渇望するモノの魂を嗅ぎ取り、その願いが紡ぐ物語の鑑賞料を対価として力を貸し付けるモノ」
少年はいつの間にか鞘に収まったままとはいえ、刀を手にしていた。
「こいつが全ての元凶。不動秀和と契約を結んだ張本人さ」
「元凶とは酷い言い草だ。私は何も無理強いはしていないのに」
「飢えた羊に、毒入りの干し草を差し出すような真似をしておいて良く言う」
「まぁ、いいでしょう」
切りがないとでもいう風に男性は肩を竦めて手を差し出した。
それは少年が持つハサミに向けられていた。
「それを渡してもらいましょうか」
「なぜ? すでに彼が伝承カミキリバサミとなっていく様の鑑賞料を対価として受け取っているはずだ」
「たしかにそうですが、私の契約において発生したものです。あなたが言ったでしょう、後始末だと」
「不要だよ」
少年がハサミを軽く宙に放るとそれは手品のように一冊の本に変わった。
「伝承カミキリバサミになった以後は、その存在をこちら側に委ねる。そういう契約だ」
「なるほど、手は打ってあった訳ですか。いやはや恐れ入りました」
特に悔しそうなそぶりをみせず男性は頭をたれた。
そして、頭を上げると誠のほうを見た。
「どうです。そこの君。私と契約してみませんか? そこの彼と違って面倒な対価なく望みを叶えて差し上げますよ?」
「失せろ、僕の忍耐が保っている間に」
「おお、怖い々々。では悪者はこれで退散いたしましょう」
男性は一礼すると、まるでそこにいなかったかのように姿を消した。
誠はその場に座り込む寸前だった。
あの男性の言葉、ものすごく甘美だった。
少年が割って入らなければイエスと言っていたかもしれない。
こちらの欲望を見透かすような、甘い言葉。
「…おっさんも、あれにやられたんだな」
「ああ、あいつの道楽の為にね。せめてあいつの手の内で永遠におもちゃにされるのだけを避けるだけで精一杯だった」
「もう、おっさんを元にもどしてやる事は無理なのか?」
「あいつに乗せられたとはいえ本人が望んだ事だからね」
元はハサミだった本が光の粒子となって消えていった。
「あれ、返してもらえるかな」
「ほらよ」
再び白紙となった本を少年へと手渡す。
「これで本当にお終いだ。たぶん、これ以降はお互いに顔を合わすことないだろう」
「そう願ってるよ。もうこんなのはこりごりだ」
そう言って、二人は分かれた。
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