消える教室−4page






 それは巨大な口だった。
 まるでがまぐち財布のような胴体に足はなく目もない。
 ただ、手が無数についている。
 その手が足の変わりに胴体を支えていた。
 たったいま、噛み切った生徒の血をたらしながら、その手が地面に横たわったままの下半身を拾い上げる。

「あ…」

 美晴は思わず小さく声を上げた。
 目が合った。
 胴体に目がない怪物は手の平に目がついていた。
 再び、巨大な口がひらかれ、残った下半身が投げ込まれた。
 そして、聞きたくない肉が裂かれ潰れ咀嚼する音が暗闇に響く。

「いやぁぁぁぁぁぁ」

 女子の悲鳴が合図だった。
 それまで、あまりの非現実すぎる現実に麻痺していた思考が戻ってきた。

「おいっ! 逃げるぞ」

 三人は元来た道を反転して全力で走った。
 校舎の角をまがり、男子がタラップをかけあがる。
 美晴も必死に続く。
 が、何かにぶつかる。
 先にいってた男子の背中だった。

「何やってるの、早く登って」
「軽石が…」
「え?」

 下を見ると階段手前をよたよたと歩いている。
 頭のない身体が。
 そして、タラップにつまずいてそのまま倒れた。

「か、軽石さんっ」
「くそっ、あいつどこだ」

 懐中電灯はもうない。
 目視では見当たらない。

「教室に戻るぞっ。入ってこれないかもしれないし、武器になるものがあるかも知れない。人手もいる」
「うんっ」

 もう、重量がどうとか言っていられない。
 二人は縦にならんでタラップを駆け上がった。
 後ろを走っていた美晴は先に走る男子の背中しか見えない、はずだった。
 しかし、タラップの最後の段を踏んだ瞬間、突然視界が開けた。

「え? 金城くん?」

 周りを見渡すがいない。
 まさか、落ちた?
 そんなはずはない、ずっと彼の背中を見ていたのだから。
 落ちたというよりはむしろ──
 タラップに何かが落ちて、それがはねて金網の廊下に転がった。
 人間の腕。
 誰の腕か、わかりきっている。
 上に先回りされていた?!
 美晴は必死に走る、とにかく教室へ。
 教室へいけばなんとかなると。
 しかし、あと少しのところで視界があの巨大な口に埋め尽くされる。

「ひっ」

 反射的に下がって、勢いあまって尻餅をつく。
 未だにあごが上下して肉を咀嚼する音がするのは、先ほどの男子をまだ飲み込んでいないのか。
 だが、美晴にもきこえるような飲み下す音が聞こえた。
 この巨大ながまぐちの胴体に飲み込まれた先はどうなっているのか。
 それは恐らく、飲み込まれたものしか分からないだろう。

「や、やだ」

 尻餅をついたまま後ずさりするが、逃げ切れる訳がないのは分かっていた。

「な、なんで?! なんでこんな目にあうのよ!!」
「そりゃ、あの時帰らなかったからだよ」
「?!」

 声はがまぐちの方から聞こえた。
 しかし、その声には聞き覚えがあった。
 がまぐちの下。無数の手の隙間にあの少年の姿が見えた。

「本来、人助けなんてする柄じゃないんだけどね」

 少年はため息をついて金網の廊下に片手をついた。

「来たれ、ハツカネズミ」

 瞬間、ついた少年の手から白いネズミが無数に飛び出した。
 ネズミ達は一直戦にがまぐちにとびつき、手を伝い胴体にしがみつく。
 そして、全てのネズミがしがみついた時、爆発するように発火した。
 火達磨と化したがまぐちはまるで溶けるように形を失い、そして四散する。
 その欠片はひらひらと宙を舞った。
 美晴はその一つを手で受け止める。
 それは焼け焦げた紙片だった。

「え? なによ、これ?」
「式神ってやつさ。漫画や小説とかでおなじみだろう? 神とペーパーの紙をかけてわざわざ使ってるのはもはや古風だけどね」
「こんなものに、殺されかけたの? みんな殺されたの?」
「そうなるね」

 手の平の紙片をぎゅっと握り締める。
 紙片はあたかも、すでに灰となったかのようにぼろぼろと崩れ消えていった。






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