空を望む−03page






 空に浮かぶ雲の中に《星詠》の里がある。
 夜の間は役目に励む《星詠》達も昼の間は思い々々の時間を過ごす。
 まだ日が沈むまで眠る者もいれば、より役目に励む為に自身の技能を磨く者もいる。地上に降りる者も。
 ただ、《屑星拾い》は里に留まるしかない。彼等が地上に降りるには《星詠》に運んでもらうしかないからだ。



 里の端っこ。雲の切れ間から地上を見下ろす精霊がいた。
 キラである。
 彼女は飽きる事なく一点を見詰めていた。
 そこには人間の村がある。
 人間にはそこに村がある事すら認識するのが困難な距離なのに、彼女にはたやすく村の様子が見てとれる。
 そこは地上ならどこにでも見れる風景。
 だが、彼女は重いため息を吐いた。

「いっその事、人間に生まれたほうが良かったかなぁ」

 人間の子は人間の子供でしかなく、人間の大人にしかなれない。
 その事を羨ましく思う。人間の事を詳しく知らない彼女には、貧富の差や身分などといったものがある事など理解出来ていなかったが。
 仕舞ってあった首飾りを取り出す、そして錆の浮いたほうを首にかけて先端を手の平に乗せる。

「似てる事は似てるよね。もしかしたら手がかりになるかも知れないね」

 拾った方の首飾りと比べながら呟く。
 それは彼女の生まれを探る唯一の手がかり。
 彼女が拾われた時、包れていた毛布と共に身につけていたもの。
 育ての母は、いくつかの精霊の里に聞いた回ったそうだが、誰も見た事がなかったそうだ。

「もしかしたら、本当は人間だったりしてね。…そんな訳ないんだけど」
「あら? 案外あたりかも知れないわよ? だって人間と同じで何も出来ないし」

 キラは振り向かなかった。
 振り向いたところでイライラがつのるだけだからだ。
 スイには構うだけ無駄なのだ。放っておけばそのうち飽きるだろう。

「その手に持ってるのはあの汚い首飾りかしら。いい加減捨てたら良いんじゃないかしら」
「ほっといてよっ!」

 前言撤回。唯一の自分自身の手がかりに触れられてカッとなる。

「いつもいつも。なんで絡んでくるのよっ。わたしが気にいらないなら近寄らなければいいじゃないっ」

 腰に手をあてて睨みつける。飛んでくるはずの嫌味に備えて意志の圧力を高める。だが、いつまでたっても返ってこない。
 怪訝に思って眉を潜める。なぜ、スイは目を丸くしているのだ?

「…それ」
「え?」
「なぜあなたがそんなものを持っているんですの?」
「そんな…もの?」

 無意識のうちに握り締めていた手を開く。指の間から零れる光が手のひらを開いた瞬間、花開くように散った。

「…これ?」

 キラが空いた手で指差すと、スイはこくこくと肯いた。

「まさか、盗んできたなんて大それた事をおっしゃらないですわよね」
「誰が盗むのよっ。拾ったのよ!」
「拾った? いつ、どこで?」
「昨日。地上で」
「地上?」

 首を捻るスイ。
 キラにはなぜ彼女がそんなに驚くのか理解出来ない。

「そもそも、これっていったいなんなの?」

 それを聞いたスイは信じられないという風に身を引いた。

「本気で言っているんですの?」
「そ、そうよ」
「そうでした、あなたは落ち零れでしたね。でも、《星詠》の里の精霊として恥ずかしくない程度の知識は持ち合わせて欲しいですわ」
「こんなものが《星詠》に必要な知識だっていうのっ!」
「《星詠》になるのには必要ありませんわ。ですけど、《星詠》になる精霊は知っていて当然のものですわ」
「だからっ、なんなのよっ」

 スイはわざとらしくため息をついて焦らす。

「それは《月詠》の証ですわ」
「《月詠》の…証?」
「ええ。まさか、《月詠》を知らないとまではおっしゃいませんよね?」
「そのくらい知ってるわよっ。月の光を運ぶ役目の精霊でしょっ」
「そう、私達《星詠》と同じ天に属する精霊。空では何度も顔を合わす事になりますわ」

 改めてしげしげとその証を見つめる。
 《星詠》にしろ《風守》にしろその証は腕輪であり、その他の役目で知ってるのは足輪だった為、証とはすべてそういったものだと思っていたのだ。

「…じゃぁこっちも、もしかしたら証なのかな?」
「そんな訳ないでしょう? そんなものを証とする役目はないはずです。少なくともこの辺りにある里は全て確認したと聞きましたが? わたくしよりあなたの方がそれは詳しいのではなくて?」
「うっ。そ、そうだけど」

 確かに育ての母からもそう聞いている。
 どこの里にも関わりがないからこそ、《星詠》の里に引き取られたのだ。確かにもしもこれが他の役目の証であるのなら、誰の子か分らなくともその里に引き取られていただろう。

「まぁ、いいですわ。それよりもその《月詠》の証ですわ」
「これが…なに?」

 問い返してから気付く。
 これが落としたものなら、当然の事ながら落とした精霊がいるという事に。

「大変っ。落とした人、これを探してるんじゃっ!!」
「たぶん、大丈夫ですわ」
「なんでよっ。証って大切なものじゃないっ」

 呆れたようにスイがため息をつく。

「確かに大切ですけども。恐らくすでに再発行の手続きをとってますわ」
「…出来るの? 再発行って」
「じゃぁお聞きしますけど。再発行出来ない場合、万が一にも証を失ってしまったらどうするんですの?」
「困る…よね?」
「当然ですわ。証は単なる役目を証明するだけのものですから、手続きを踏めば再発行は出来ますの。お叱りくらいはうけるでしょうけども」
「ふーん。でも、なんであんな所に《月詠》の証が落ちてたんだろ。《月詠》って確か地上にはほとんど降りないって聞いたけど」
「風の噂で、時々休暇をとって地上に降りる《月詠》がいるらしいですわ。たぶん、その方でしょう。それはさておき、その証についてですけど」
「…なに?」
「渡して頂けます?」

 キラは眉を潜めた。差し出された手を見て一歩引く。
 スイはそれを見てこめかみをぴくっと震わせる。

「なぜよ?」
「あなたが持っていてもどうしようもないでしょ」
「もしかしたら、探しに来るかも知れないじゃない。そりゃ再発行の手続きとってるかも知れないけど、万が一また降りてきてたら…」
「だったら、なおさらわたくしが持っている方が確実ですわね」
「なんでよっ」
「もちろん、あなたと違って《月詠》と顔を合わす機会があるからですわ」

 うっと言葉に詰まるキラ。正論だった。
 だが、なんとなく反発心から言葉を紡ぐ。

「あ、あなただって証を落とした《月詠》が誰かなんて知らないでしょ」
「そ、それは…」

 痛いところを突いたらしく、今度はスイがたじろぐ。
 その様子を見て、ふと引っかかりを覚えた。
 …もしかして

「ねぇ、スイ。さっきあなたは再発行の手続きをとってるって言ったよね」
「そ、それがどうしましたの?」
「もしも、再発行の手続きを取ってた場合、当然この証は破棄、つまりは意味のないものになるからあなたが持っている必要もないわよね」
「もしかしたら、再発行してないかも知れないでしょうっ」
「すでに再発行の手続きをとってるって言ったのはスイだよ」

 半眼になって睨む。
 なんとなく理由が読めた。

「とにかくっ、いいからわたくしに渡しなさい。それは《屑星拾い》にはもったいないですわっ」
「やっぱりっ。ただ単にこれが欲しかっただけだったのねっ」

 奪い取ろうとする手をかわして、二つの首飾りを懐に仕舞った。
 二人は正面から睨み合う。
 スイが軽く地面(というか雲)を蹴った。ふわりと体重がないかのように体が浮く。

「いいから。それを」

 衣服が激しくはためいている。本気で奪い取るつもりなのは見てとれた。
 キラは服の上から確認するように仕舞った場所に手をあてた。これが《月詠》以外の精霊にどれほどの価値があるのかは分らなかったが、本来の持ち主以外に渡す気などさらさらない。
 それは善意というより意地だった。
 少なくともスイのような精霊になど渡せないっ!

「渡しなさいっ!!」

 一瞬前までキラの立っていた場所をスイが突き抜けた。
 キラはジグザグに走りながら遁走している。

「待ちなさいっ」

 方向転換して追いかける。
 だが、真っ直ぐ走っているならいざ知らず、ちょこまかと方向転換するので捕らえるのは容易ではない。
 なによりも、走るという事に関してはこの里でキラに敵う精霊はいない。
 純粋な速度では《星詠》の飛行速度にやや及ばないものの、その速度を維持したまま方向転換を実行するのだ。追いかけるほうはたまったものではない。

「このちょこまかとっ」

 頭に血が上ったスイは髪を振り乱して必死にキラの後を追いまわす。
 方向転換される度に距離は離れるが、直線移動に関してはスイの方が早いため見失う事はない。

「いい加減にあきらめなさいっ」

 何度目かの方向転換。しかし、何度もやられたせいでタイミングが読めていた。
 二人の距離が接触しそうな位に近づく。

「もらいましたわっ」

 高らかに叫んで両手を伸ばすスイ。
 その手はキラを抱き留めるはずだった。
 だが、その瞬間。キラの姿が掻き消えた。

「え?」

 そんなはずはなかった。
 もう右へも左へも逃れる事は出来なかったはずだ。
 上に逃げようにも、キラは飛べないはず。

「そんなばかなっ、て、きゃぁぁぁぁっ!!」

 驚きのあまり注意散漫になっていて、上から下の方へと突っ込んだ事を失念していた。
 視界に広がる雲の地面。
 手を鳥のようにばたばた振り回すが、その甲斐なく雲の欠片を撒き散らして激突する。

「自業自得だからね」

 キラは、スイの突っ込んだ方へと目を向けて言い放った。
 彼女は”飛ぶ”事は出来ないが、”跳ぶ”事なら出来る。飛び掛かられた瞬間にスイの頭上を跳び越したのだ。
 そして、また追いかけられる前にとその場から走り去った。
 後に残されたスイが何か悔しげに叫んでいたが、それを聞く者は誰もいなかった。






© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved