空を望む−06page
一通り仕事を終えてヒューは昼間にキラがいた辺りに戻ってきた。
そろそろ日が落ちて《星詠》達の仕事が始まる頃だ。
てっきり、もういないものだと思っていたが、彼女は昼間と同じように同じ場所で同じ所を見つめていた。
「何やってるんだよ、お前」
彼女の真横に降りたヒューは彼女と同じ方向を見つめながら問いかけた。
キラはヒューが突然現れた事にも無感動で
「別に」
とだけ返した。
「もうすぐお前の仕事が始まるだろ」
「うん」
「だったらいつまでもここにいたらダメだろ」
「まだ、少しだけなら時間があるよ」
確かにその通りだが。
いつもなら必要以上に早く持ち場にいるのに、昨日の事が予想以上に堪えていたらしい。
(落ち零れと言われる程度なら慣れているだろうけどな)
胸の内で溜息をつく。
スイの言った事は大げさではあったが、まったくの法螺でもない。
いつまで経っても役目を得る事の出来ない精霊を抱える事は里にとって恥とされる事は確かだ。
たいていは季節を一つ二つ巡る程遅れる程度か、諦めて別の役目を目指すのが常なので大した事にはならないのだが。
すでに八つの季節を巡った彼女に届く視線は嘲笑、侮蔑であるのも少なくはない。
「ねぇ」
「ん?」
「わたしって、何が向いていると思う? ヒューの目から見て」
「役目の話か?」
「うん」
「そうだな…、俺個人の意見でいいなら《火守》が一番あってると思うな。お前は目もいいし耳も鋭い。足の速さなんかはたぶん現役の火守にだって勝てる奴は何人もいないんじゃないか? 聞いた話じゃ《火守》にはそういったものが重要らしい。地脈の調整とか、火の扱いとかはやってみない事には分らないけど素質はあるんじゃないかと思う」
「そっか」
キラは人間の村に背を向けた。
「じゃ、仕事に行って来る」
歩き去ろうとするその背中に届く声。
「…決めたのか?」
彼女の足が止まった。
「うん…《星詠》を諦める」
「そうか…昨日の事のせいか?」
「ううん。きっかけだとは思うけど、ずっと思ってた。私は《星詠》にはなれないんだって。でも、母さんと約束したから…。約束守りたくて《星詠》にならなきゃっていままでがんばって来たけど」
彼女は顔だけ振り向いた。
「もう…いいよね?」
憑き物が落ちたかのような晴れやかな笑顔。
ただ、ヒューの目には何か大切なものを欠いた笑顔に見える。
「ヒュー」
「ん?」
「後で《火守》の事を詳しく教えて」
「《火守》を目指すのか?」
「向いてそうなんでしょ? とりあえず他の役目も含めて色々聞いてから考える」
「…分った。いつがいい?」
「いつでも。でも、出来れば早い方がいい」
「だったら、仕事が一段落ついた頃にそっちいくよ」
「いいの? 今日は昼間も仕事だったんでしょ? 何度か上の方を飛んでいたし」
「…なんだ、気付いてたのか」
「うん、ヒューがいる時は風の動きにクセがあるから」
内心、舌を巻く。
飛び抜けて鋭敏な感覚。もしも飛ぶ事が出来たなら《光源》から誰よりも良質な星を選び運ぶ事の出来る《星詠》になれただろうに。
それを残念に思いながら、そうかと頷くだけだった。
「じゃ、後でね」
駆けだして、あっという間に消え去っていく彼女を見届けてから、ヒューは空へ駆け上がった。
じきに夕闇が空を覆う。
「…暇」
しゃがみ込んで星空を見つめながらぽつんとキラは呟いた。
夜が来て欠けた月が随分と傾いたが星が一向に堕ちてくる気配がない。
「いままで多かったからその反動かな? 聞いた事ないけど」
首を傾げる。
本来は良い事のはずなのだが、《屑星拾い》にとっては仕事がないのは困りものだ。
「みんな今日は調子がいいのかなぁ」
空を行き交う《星詠》達を見上げる。いつもそうしているように。
彼等を羨むような想いは《火守》になりさえすれば消えるのだろうか?
ぎゅっと胸を押さえて空から目をそらす。
ふいに風が変わった。
「ヒュー」
振り返るとちょうどそこにヒューが降りたところだった。
「仕事の方は大丈夫か? ちょっと早いかなとも思ったんだけど」
「今日は珍しく星がほとんど堕ちてこないから」
「そっか。最近は多かったのにな」
「ほんとに。いままで《光源》の調子が悪かったのかな?」
「かもな」
それっきり沈黙が降りた。
切り出したのはヒューからだった。
「じゃ、始めようか?」
「うん」
「何から聞きたい?」
「………」
眉間を押さえて俯くキラ。
ヒューはうろんげな視線で睨む。
「ひょっとして…」
「え、えーと、その」
「考えてなかったな?」
「ギクッ」
ごまかすように笑う、キラ。
大きなため息を一つつくヒュー。先行き不安である。
「とりあえず、なんでもいいから順番に」
「範囲が広すぎて無理だ。どれだけ役目の数があると思っているんだ。時間やるからさっさと頭の中を整理して聞きたい事を言え」
「え、えーと」
言われてキラは考え込む。
と言ってもいままで《星詠》の事にしか目を向けていなかったキラにとって、他の役目の知識は極めて薄い。まず何から聞くべきなのかすら思い浮かばない。
(落ち着いて、冷静に…)
深呼吸して思考を一端からっぽにする。
まず天に属する精霊の役目については聞いても意味がないだろう。なぜなら空を飛ぶ事が必須だからだ。
なら聞くのは大地に属する精霊の事か? ヒューは彼女には《火守》があっていそうだと言った。《火守》の事を含めてまず大地に属する精霊の役目の事を聞くのがいいように思えた。
とりあえず、聞きたい事を決めてその事を口にしようとして、ヒューがこちらを見ていない事にいまさらながら気が付いた。
「ん?」
同じ方向に目を向ける。そしてぽかんと口を開ける。
遥か先に微かな光が漏れている。
あれは堕ちた星だろうか?
「そんな…、あの辺には堕ちているはずないのに」
「ああ、たぶんそれは間違いない。さっき急に光りだしたんだ」
「え?」
「星が堕ちたんじゃない」
「…だったらなに?」
「さぁ、あの辺りに人間達の街や村はないはずなんだけどな」
「うん…確かあのあたりは」
ハッとしてキラは胸元を押さえた。
金属同士が擦れる感触。
あの辺りは首飾りを拾った場所のはずだ。
「もしかして…」
「なんだよ?」
ヒューの問いかけに応えず、それどころか彼の存在を忘れたかのように突然走り出す。
「え? へ? は? って、ちょっと待てっ」
慌てて走って追いかけるヒュー。
だが、全然スピードが違うのであっという間に距離が開く。
「だぁっ、くそっ」
ヒューは地を蹴って空を駆ける。一直線に走るキラの横に並んだ。
「おいっ、キラッ。どうしたっ」
「ひょっとしたら探しに来たのかも知れないのっ」
「は? なんの話だっ」
「いいからっ、急いでるのっ」
「訳わかんねぇよっ」
飛びながら頭を抱えるヒューを無視して変わらず一直線に走り続ける。
どんどんと光に近づいていく。そして、彼女の予感は確信に変わった。
「おい、ありゃ…」
怪訝なヒューの声。光の放つものの正体はやはり堕ちた星ではなかった。
それは人型をしていた。
星の放つそれよりも淡く微かに暗い光。よく見るとその人物が光を放っているのではなく、無数の小さな光球がホタルのように辺りに漂っている。
初めて見る。だけど、キラは知識として知っていた。ヒューは幾度か実際に見た事もあった。
月光。月の光。星と共に地を照らす輝き。
「《月詠》…」
まるでキラの呟きが聞こえたかのようにその精霊が二人の方を向いた。
「こんばんわ。良い夜ね」
低く微かに掠れた声で、《月詠》が言った。
足を止めて、または地に降りた二人と《月詠》の間になんとも言えぬ微妙な空気が流れた。
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