空を望む−07page






 《月詠》小首を傾げたまま二人を見ている。
 微かに吹く風に流されるように光球が揺れ舞う。腰まである銀の髪が受け取った光を反射する。
 それに魅入られるようにキラの視線が釘付けになりゴクリと唾を飲んだ。何度か見た事のあるはずのヒューもどことなしに緊張した空気を放っている。
 外見的にかなりの季節を重ねた精霊だろう事は分かるし、どことなしに貫禄が漂っている。《月詠》の中でもそれなりの地位にあるのかも知れない。
 そして、彼女の首には《月詠》の証がかかっていなかった。

「お仕事の邪魔をしてしまったかしら」

 少し困ったような表情をする。キラ達がそうであるように彼女もまたどう反応すればいいのか迷っていた。

「あ、あの…」
「はい、何かしら?」
「あの、どうしてここに」
「ここにいるのかって?」

 言ってからふと思い出したように

「ああ、自己紹介がまだね。私はリリ。証がないから分らないかも知れないけど《月詠》の役目にあるものよ」

 げっ、とヒューが小さく悲鳴を上げる。
 キラが目で問い掛けると彼は《月詠》に聞こえないようにぼそっと呟く。

「たぶん、次の長候補の一人」
「………」

 今度はキラが凍りつく。
 それなりの地位どころかトップ候補である。それぞれの里ではともかくとして、他の役目でそれほどの地位の精霊と言葉を交わす事はヒューもキラも勿論ない。
 ダラダラと冷や汗をかいている。

「どうしたの?」

 二人の固い表情に彼女は首を傾げるが、二人は意味もなく首をぶんぶんと横に振る。
 怪訝な顔で彼女は様子を見ていたが埒があかないと判断して自分から問いかける。

「あなたは《風守》よね? そっちは…」

 リリの視線がキラの腕、首もと、足首と移動していく。

「証を身につけていないようだけど…《風見》かしら? いえ、ごめんなさい。違うわね。だったら《火守》? それとも《水守》かしら?」

 《風見》とはまだ役目を得ていない《風守》の里の精霊の事。いわば《星詠》の里における《屑星拾い》のようなものだ。リリが《風見》でないと判断したのは見た目からとっくに役目は得ていると考えたのだろう。
 普通はその判断は正しいはずなのだが、悲しくもそれはキラを苦しめる結果となる。

「あの…、こいつ《屑星拾い》なんですよ」
「え、でも…。いえ、ごめんなさい」

 恐らく、キラの噂自体を知らなかったもののだいたいの事情を察っしたのだろう。リリはそれ以上は突っ込んで聞いてこなかった。
 そして、ふと思いついたように

「《屑星拾い》…か。あなたの担当はこの辺りかしら?」
「え? あ、はい。そうです」
「ちょうど良いわ。聞きたい事が…ある…」

 彼女の言葉が途切れる。最後まで言い終わる前にキラが取り出した物に目が釘付けになる。

「これ、ですか?」
「そうそうっ! 捜していたの。あなたが拾ってくれたの?」
「はい。もしかして《月詠》の誰かにお預けした方が良かったですか? そしたらわざわざこうして探しに来られるような事にはならなかったかも」
「いえ、助かったわ。休暇とって地上に遊びに行ったあげくに落としましたとはとても言えなくてね。やっぱりこの辺にあったの?」
「はい、あっちの丘の手前当たりに」
「ああ、良かった。そろそろ光が途切れる頃だから、ひょっとしたら見つからないかもって諦めかけてた所だったの」

 言われて初めて首飾りの光が薄れて消えかかっているのに気付いた。どうやらあれは無限に光を発するのではなく、吸収し蓄積していた月光を放っていただけらしい。
 リリはキラから首飾りを受け取って首にかける。証は一瞬、彼女の周りの光を吸い取ったように陰りを作り、次の瞬間には少しづつ輝きを放ち始めた。

「あのー」
「え?」
「証って簡単に再発行出来ると聞いていたんですが、どうしてわざわざ…」
「さっきも言ったように、遊びに出ててなくしたなんて体裁悪くて申請が出せなかったの。それにやっぱりこれは私が《月詠》である証だから、ね。簡単に見切りをつける訳にはいかないわよ」

 困ったように《月詠》は笑った。
 キラは少し胸が締め付けられるような思いがした。証にこだわれるのは証を持っていればこそ。
 自分は…

「それにしても…」

《月詠》は怪訝そうに呟いた

「あなた達。この辺の担当?」
「はい」
「いえ、俺は違いますが」

 頷くキラと首を振るヒュー。
 リリは不思議そうに首を傾げる。

「確かにあの夜にこの辺りで会った《風守》はあなたではなかったけど…、ねぇ、たまたま今日だけここの担当だったとかじゃないわよね?」
「えーと? どういう事ですか?」
「いえね。証を落とした夜も昨日も一度もあなた…というか《屑星拾い》と顔を会わせなかったから。《風守》以外にも他の役目には何度か会ったんだけど」

 キラは良く分からずに眉を潜めるが、ヒューは納得して相づちを打つ。

「ああっ。こいつ他の《屑星拾い》より担当が広いから。会わなくても不思議じゃないですよ」
「ふーん、そうなの。大変ね」

 担当の土地が広いのは、長く《屑星拾い》であり続けた結果故にだ。キラは体を精一杯小さくするしかなかった。

「広いっていうとあの丘あたりまで?」
「いえ…その向こうの山裾あたりです」

 リリは目を見張った。

「凄いのね。ここから向こうまでって普通の《屑星拾い》の3倍以上はあるんじゃないの?」
「え、えっと。その…」
「なにか間違ってるのかしら?」

 何か言い辛そうにしているキラに首を傾げる彼女。
 彼女達が立っている場所から、彼女が示す場所までの距離を考えると間違ってはいないはずなのだが。
 キラが何を困っているのか分るヒューは苦笑するしかない。
 その様子に気付いたリリが彼に目で問う。

「いや、基本的にはあっているんですけどね。それは向こうとここを両端にした場合の話ですよね」
「ごめんなさい。良く意味が判らないのだけど…」
「えーと、つまりですね…。おい、そっちの枝とってくれ」

 キラから落ちていた枯れ枝を受取って、地面に簡単な地図を書いていく。
 そして、自分達のいる位置に目印として小石を置く。

「つまりは…」

 そして、枝を使って小石の回りに楕円を引いていく。
 リリはそれを見てきょとんとするだけだったが、恥ずかしそうに俯いているキラを見てようやく意味を理解して絶句する。
 小石は描かれた円の中心にあるのではなく、やや位置が端に寄っている。それもヒューの描いた簡単な地図を読み間違えていないのなら、彼の言った山裾側の方へだ。
 見てすぐにこれがなんなのか理解できなかったのは、リリの理解力が足りないのではなくあまりにも広すぎたためだ。

「…本当に?」

 確認するようにキラに尋ねると彼女は顔を上げずに肯いた。
 キラの心中は今、恥ずかしさでいっぱいだった。
 初対面の精霊。それも《月詠》のトップ候補。そんな人物に自分の落ち零れぶりを披露しているようなものだからだ。
 だが…

「《屑星拾い》の事を良くしらないのだけど…、これってどう考えても5倍、6倍ですら収まらないわよね?」
「そうですね。たぶん10倍ぐらいですね。俺もそれ自体は凄い事だと思うんですけど」
「凄いどころの話じゃないわよ。よっぽど優秀な《火守》や《水守》だってここまでの土地の把握なんて…。そもそもどうやって星が堕ちるのが分るの? いくらなんでもここまで広いと目や耳で捉えられる範囲じゃないはずだけど」
「それは、星が堕ちて地面にぶつかる時に地面が揺れるから。それで…」
「地面が…揺れる?」
「ああ、こいつそういうの分るんですよ。すっごい感覚が敏感だから地面を伝わる振動からだいたいの堕ちた位置が分るらしいんです。…だったよな?」
「う、うん」

 肯いてから、なにやら穴の空きそうなという表現がぴったりなリリの視線に身を固くする。

「あ、あの?」
「あなた…本当に《屑星拾い》?」
「は、はい。そうですけど」
「本当に《星詠》の里の精霊なの? いくらなんでも現役の《火守》を確実に上回る振動探知能力なんて行きすぎよ。それとも、他の里から移ってきたの?」

 言われて言葉に詰まった。
 どこの里の精霊か、それは…

「…分かりません」
「分からない? それってどういう…」
「わたし、本当はどこの里で生まれたのか分からないんです」
「…ごめんなさい。余計な事を聞いてしまったみたいね」

 リリは素直に謝った。
 だが、頭を下げられた側が逆に大慌てになった。
 何しろ、相手は《月詠》の長候補。本当ならこうして言葉を交わす事すら憚られる相手だ。
 意味もなく両手をばたばたと振ってフォローする。

「あ、その気にしないで下さい。わたしは全然気にしてませんしっ。そ、それに今は《星詠》の里の精霊なんですし」
「そう、ありがとう」

 にこっとリリは笑って、それからふと眉を潜めた。その視線はキラの胸元へと向けられている。

「それは…何かしら?」
「え?」

 《月詠》の証を収めていたポケットから微かに赤茶けた鎖が覗いている。

「あ、なんでもないです」

 慌てて仕舞って、《月詠》の方を見ると首を傾げたままだ。
 見せたほうがいいかなと思い直して、一度仕舞った物を引っ張り出す。

「この通り、ただの首飾りです」

 良く見えるように鎖を指に引っかけて掲げる。微かに錆の匂いが鼻をついた。
 心なしか《月詠》が目を見張ったように思えた。

「それ、どうしたの? それも拾ったのかしら?」
「いえ、これは私が拾われた時から持っていたそうです。わたし自身は覚えていないですけど」
「…拾われた?」
「………」
「こいつ、地上に捨てられていたんですよ。たまたま見つけたのが《星詠》だったので《星詠》の里に引き取られただけで」

 口篭もったキラを見かねてヒューが説明する。
 その説明にリリは眉を潜める。まるでヒューの説明が納得いかないかのように。

「えっと、なにか?」
「いえ。あなた、引き取られたって言ったわね?」
「はい、そうですが。俺、何か変な事を言いましたか?」
「彼女の本来の里に戻そうとは誰もしなかったの?」
「分らなかったんですよ。手がかりとなりそうなのはこいつの持ってる首飾りくらいですけど。この辺り一帯に関わりのある里に片っ端から聞いてみたらしいですけど、誰も知らなくて。見た目は証みたいだけど、こんな証なんて」
「証みたいもなにも…」
「え?」

 リリはキラの掲げる首飾りに手を触れた。

「これは証よ」
「…え?」

 キラとヒューの呆然とした声が重なった。






© 2009 覚書(赤砂多菜) All right reserved